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11月7日(金) 立冬 旧暦9月18日
黄鶲(キビタキ) 今日は立冬。 気持ちがひきしまる。 新刊紹介をしたい。 細谷源二というと、すぐに思い浮かべる俳句がある。〈地の涯に倖せありと来しが雪〉。 そしてほかの句は思い浮かばない。 俳人の人でさえ、あるいはそうなのではないだろうか。 この度、札幌市在住の執筆者である五十嵐秀彦さんの熱心な取り組みによって、細谷源二という俳人の全体像に迫ることになった。 読み通していくと、北海道という風土に殉じた気骨ある俳人像がうかびあがってくる。 この一冊を読み終えると、ある感動のようなものが胸にせまってくる。 寒さと貧困にあえぎながらも、俳句にかけた情熱のすさまじさが伝わってくる一書である。 とりあげられている百句のうち、いくつかを鑑賞をふくめて紹介をしておきたい。 夕焼に油まみれの手を洗う 『鉄』 初期の句であり、源二にとって大きな転機となった句。昭和一〇年ごろ、反ホトトギスの旗のもと多くの若い俳人が集まっていた水原秋櫻子の「馬醉木」の句会に源二が参加した。秋櫻子はこの句を取らなかった。なぜ取れないのかと源二は聞く。すると秋櫻子は「夕焼に」の「に」が説明的であり、これが「の」であれば取れたと言った。だがこの句は夕焼の句ではない。夕焼に照らされた油まみれの手が主題だ。秋櫻子の言は受け入れがたかった。源二は句会を中座する。そののちすぐに新興俳句誌「句と評論」に入会するのだった。 地の涯に倖せありと来しが雪 『砂金帯』 第三句集『砂金帯』の句であり、よく知られた源二の代表句だ。この句が、新興俳句俳人であった細谷源二が北海道で生まれ変わるきっかけとなった。『鉄』『塵中』の先立つ二作に躍動していた工場労働者の俳句からの決別と再出発の象徴的な作品となる。昭和二〇年三月の東京大空襲で焼け出され途方に暮れていた源二一家が見た、目黒署の開拓団募集の立て看板。「父ちゃん行こうよ」という妻の声。家族七人で見たこともない北海道に渡り、与えられた土地を見た時の絶望。その一連の時間と感情のすべてがこの一句に凝縮された。 農夫となりぬああたくたくと冬の汗 『砂金帯』 東京で旋盤工として汗を流していた日々を思い出す。とび職であった義父の養子となり、小学校を中退しメリヤス針工場に住み込みの工員としてはたらき、旋盤工となって三四歳のときに自分の工場を持った。農民になるとは夢にも思わなかったことだろう。開拓団の看板が彼の人生を変えた。いまさらその是非を考えてみても仕方のないことだ。果てなく続く伐採作業で氷点下の中、汗が「たくたく」と流れる。凍り付いた空気に自分の汗が湯気となって白く立ちのぼる。「ああ」と声を出す。 べらぼうに青く孤独なきりぎりす 『餐燈』 「べらぼう」は東京生まれ東京育ちの源二らしい下町言葉。それがつい口をついて出てきた。キリギリスの青がべらぼうに孤独な存在に見えた。周囲は源二にこうした句を期待していなかった。各地の労働組合を回り俳句指導をする源二に求められたのは社会性俳句であった。しかし源二は、自分への期待を感じながら、それは違うという強い思いがあった。なぜなら俳句は詩であり、文学でなければならないからだ。社会性俳句と距離を置こうと決めた源二に友人たちの目は厳しかったことだろう。べらぼうに孤独だと吐き捨てているのだ。 僕を解剖せよ冬虹もきっと出てくる 「瓦礫」 「僕を解剖せよ」という激しい呼びかけは、自分自身の内側を深く見つめることで本質を暴き出し、何か確かなものを掴もうとしている。その果てに浮かび上がるのが「冬虹」というイメージだ。ここで「虹」が単なる美しい自然現象ではなく、冬の寒さの中に現れる存在であることが重要。それは源二が見つめた人生の本質ともつながる。解剖することで生まれるものが虹であるならば、それは希望なのか、あるいは残された一瞬の輝きなのか。この句はまるで、自身の精神の奥底を切り開いて、その果てにあるものを詠む行為のように感じられる。 巻末の五十嵐秀彦さんの解説は、「細谷源二ー新興俳句から北方俳句への軌跡」と題し、細谷源二の俳人としての軌跡を追う。 「一」の「細谷源二とは何者か」という項の解説のみを紹介しておきたい。 細谷源二の名は、新興俳句弾圧事件の犠牲者として俳句史に刻まれている。俳誌「広場」の中心的作家であった源二は、昭和一五年に関西から始まった新興俳句弾圧事件が東京に及んだ昭和一六年に逮捕され、二年半の獄中生活を強いられた。弾圧事件に関する研究の中で、東京三(戦後の秋元不死男)、橋本夢道らとならび、源二の名も長期拘留者として挙げられている。しかし俳句史の中で彼の名を見るのはそこまでかもしれない。空襲で焼け出されて北海道に行ってしまった人、そして〈地の涯に倖せありと来しが雪〉という句があることを知っている人も少なくなった。 ところが細谷源二の作品を通して読んでいると、彼が独自の光を放ったのは北海道に渡ってからのことだった。中央から遠く離れ、またかつての俳友との交流も自分からはあまり求めなかったが、戦後の北海道でひとり新興俳句をどう発展させるかを課題として奮闘を続けた人であった。振り返ってみれば、高屋窓秋や渡辺白泉と同様に、戦後に俳人としてどう生きるか苦悩した作家のひとりだったと言えるだろう。 細谷源二の俳句は、無季俳句もおおく、季節も冬の句が圧倒的に多い。 冬の句が多いということも、北海道という土地であることからもうなずける。 本書をとおして、生活苦と闘いながら、俳句へのゆるぎない信念をもって生き抜いた孤高の俳人がいたということを、私たちは改めて知ることとなる。 一箇の冬日宙にあり卓上にりんごあり 細谷源二
by fragie777
| 2025-11-09 22:26
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