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11月6日(木) 旧暦9月17日
あら、まだ咲いていたのね。って見入ってしまった。 ![]() 秋は今日で終わり。 明日は立冬。 いよいよ冬となる。 なんとも短い秋であったことよ。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 210頁 2句組 著者の森悦子(もり・えつこ)さんの第2句集となる。昭和23年(1948)石川県能美郡生まれ。石川県白山市在住。平成11年(1999)「雪垣」入会、平成28年(2016)「雪垣」同人。平成29年(2017)千代女賞受賞、令和6年(2024)雪垣賞受賞。俳人協会会員、石川県俳文学協会常務理事、白山市俳句協会会長。本句集に「雪垣」中西石松主宰が序文を寄せている。 抜粋して紹介をしたい。 手作りの絵本のぬくみ雪しんしん 竹皮を脱ぐ腕白に可能性 完熟のトマトカレーよみなおいで 退職された後にも子供達を思う温かい句が随所に見られる。殊に〈完熟のトマトカレーよみなおいで〉は家族に呼びかけているとの解釈も間違いではないと思うが、四十年間のすべての教え子への呼びかけと思いたい。そしてそのような呼びかけは幼児教育に携わった誰もが出来るわけではない。作者が恒常的に持っている「童心」なのである。 白山へ声まつすぐに揚雲雀 白山の風の唸りや麦芽吹く 白山の風の梳きゆく大青田 白山に蓄えられた水は越前の九頭竜川、加賀の手取川、越中の庄川そして美濃の長良川へと流れ、その水への感謝が白山を神とする信仰となったのである。そしてその山を我々は親しく『霊峰白山』と呼び習わしているのである。しかし掲句には信仰的な畏怖は感じられない。いつも目の前にある山、手を合わす山なのであり、親和の情と云ったものに昇華したと言えよう。 本句集の担当はPさん。 好きな句をたくさんあげてあったが、数句にしぼらせてもらった。 青柿や少年の背を押す言葉 波跡に空の色あり秋澄めり 梅雨滂沱やり直したるパスワード 福寿草身に一灯をもらひけり 勤勉の男青田に染まりたり 青梅を拾ふ光を拾ふごと 薔薇の風ゆつくりと干す濯ぎもの 稲刈つて父の匂ひに近づきぬ きちきちの足うつくしく棲みつきぬ 梅雨滂沱やり直したるパスワード 「梅雨滂沱」という語彙はあまり聞かない。「滂沱」とは雨がはげしく降ることであるが、梅雨の雨というとそんなに激しい雨はなくて、どちらかというと、シトシトとしみ入るように降る感触である。「梅雨滂沱」という言葉がすでに梅雨のイメージを裏切って目に飛び込んでくる。そして激しい雨音が耳を攻撃する。そんな中での中七下五である。正解へたどりつかないかすかな不安。すこしいらつくおもい。雨の激しさが気持ちをさらに落ち着かなくさせる。「梅雨」の季節であることで、ちょっと抜け道がない閉塞感もかすかにただよう。 福寿草身に一灯をもらひけり 「福寿草」ならではの一句である。目の前にある福寿草の小さな明るさにおもわず照らされたのである。福寿草のまよいのない黄色は小さくても、まっすぐに目にとびこんでくる。「身に一灯をもらひけり」という措辞がなんといってもうまい。福寿草の小さな花が、一つの灯しとなって身体を照らしてくれたということだけでなく、もっと身体の芯までも入り込んで暖かな灯しとなっている。散文で書けば、そのようなことだろうけど、なんともまどろっこしい説明である。「身に一灯をもらひけり」。もうこれで充分。福寿草という花の名前にふさわしいいい働きをしているとも。〈蠟梅や子の空部屋を灯しをり〉という句もあって、この灯しの色は、福寿草の色とも微妙にちがうことがわかる。狼狽の灯し、それはやわらかなすこしさびしい表情をして、子どもがすでにいない部屋を照らしている。 勤勉の男青田に染まりたり Pさんとは好きな句がダブることが多い。先の二句もそうであるが、この句もそう。わたしも面白いとおもった。なんとなくユーモラスである。「勤勉の男」とまずは読者に紹介し、どう勤勉であるかというと、「青田に染まり」たるほどに。ということか。青田でがむしゃらに懸命に働いている男がいるのを作者は見ているのである。その勤勉なる働きをどう称えようか、って作者は思っている。で、「青田に染まりたり」という表現を得たのである。これはもうこれ以上の褒め言葉はないだろう。男はそんな風に見られていることも知らずにただひたすら青田の中で働いている。この句、作者のとらえた働く男への視点のおもしろさが読者の笑いをさそう一句だ。 青梅を拾ふ光を拾ふごと 作者にとっての「青梅」がいかなるものであるか、そんなことも思わせる一句だ。青梅が落ちている。雨あとの青梅なのか、濡れて光っているかもしれない。あるいは、日がさして瑞々しい青い光を放っているかもしれない。いずれにしても、かすかな光を放っている青梅を拾っている。一所懸命拾っていくうちに、青梅の輪郭が消え失せて、草むらにあるいは地上に光っているものを拾っているかのように、思えてきたのだ。この句、まず「青梅を拾ふ」と叙し、「光を拾ふごと」と対置させて決めたのが見事とも。俳句の定型を信頼し、シンプルな無理のない叙法である。 きちきちの足うつくしく棲みつきぬ 「きちきち」とは、精霊飛蝗(しょうりょうばった)のことであるということ。なにゆえ「きちきち」というか、調べたところ、「雄は飛ぶ時、前翅と後脚の擦り合わせにより「キチキチキチ・・・」と音を発しますので「キチキチバッタ」と呼ばれていること」ということによるらしい。つまり脚(足)が、要(かなめ)なのである。この句、まさにその「きちきち」の足へのオマージュである。「足うつくしく」とまず讃え、そして「棲みつきぬ」と、美しき足のままの命長きの生を肯う。俳句に配されたi音が効果的にはたらく一句ではないだろうか。 校正スタッフのみおさんの好きな句は、〈初場所の花道もどるとき笑窪〉「お相撲さんのふくよかな頬が見えるようです」 おなじく校正スタッフの幸香さんは、「〈犬の鼻触れ大空へ草の絮〉が好きです」。 句集名を「白山風露」としたのは故里の原風景がいつもあること、そして昨年北海道の礼文島、利尻島へ旅をした時のことからです。礼文敦盛草が咲き、利尻雛罌粟が咲いていました。断崖がそのまま岬になっているようなスコトン岬、礼文島の最北端で遥か沖合にはうっすらとサハリンの島影も見え足元には夏の植物が咲き乱れていました。その中に「白山風露」と書かれ少し頼りなげに健気に咲いている花を見つけました。この地で白山とは……私は胸がいっぱいになり、しばらくそこを離れることができませんでした。章立てに挙げた季語のうしろには必ず白山があります。私の中であの日の感動が句集名に繋がりました。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 装丁は、君嶋真理子さん。 題字は銀箔。 はんなりとした美しさがある。 表紙は白のクロス。 銀泊押し。 序句。 物の芽の朱色手取の扇状地 中西舗土 「私の故里を詠んだ句です」と森悦子さん。 各章に配された装画は、西のぼる氏による。 いくつか紹介をしたい。 妖精の降りたるやうに福寿草 福寿草には白山市松任地区の松任芽と云う早咲種がある。人を思い故里をこよなく愛した半生を松任芽に例えるに異存はない。これはその結実の一句である。(中西石松/帯) 森悦子さんに上梓後の思いをうかがった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 自分自身のような気がして愛おしくなりました。 思った以上に出来上がり満足しました。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 形に表して残すことは、自分の歩んできた道の小さな宝物のようです。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 ひとつ区切りとなり、これからまた新しい気持ちで今後の句作に取り組みたいです。 森悦子さん。 「さわやか自然百景」というNHKのテレビ番組がある。 毎週日曜の朝にやるのだが、楽しみに見ている。 10月26日放映のものだったか、北アルプスの立山連峰の自然を紹介したときがあった。 いつものように朝食をとりながら見ていたら、「白山風露」というナレーターの声が聞こえてきた。 「何!」 ということで思わず身をのりだしてしまった。 森悦子さんの句集のタイトル! いったいどんな花? あわてて写真に撮ってみたのがこれ。 きれい! っておもった。 蜂がとまっている。 一部がかけているし、うしろに変な人影があるけど、お気になさらないでね。。。 はじめてみる「白山風露」だった。 名前もいい。 句集『白山風露』とともに、忘れられない花となった。 白山の水の香りの梨を剥く 森 悦子
by fragie777
| 2025-11-06 19:47
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