ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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気付けば八十歳を疾うに過ぎましたのに未だに俳句に飽きることがありません。

10月21日(火)  旧暦9月1日


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白式部の実。


気付けば八十歳を疾うに過ぎましたのに未だに俳句に飽きることがありません。_f0071480_17403280.jpg
色づく実は多いが、白い実ってそんなにないかもしれない。




新刊紹介をしたい。

栗原公子句集『折り鶴(おりづる)』


気付けば八十歳を疾うに過ぎましたのに未だに俳句に飽きることがありません。_f0071480_17405209.jpg
四六判半上製カバー装帯有り 196頁 2句組

著者の栗原公子(くりはら・きみこ)さんの第1句集『銀の笛』につぐ第2句集である。2016年より『銀の笛』を上梓してより、2017年に千葉県俳句大賞・奨励賞を受賞、2018年「沖」珊瑚賞受賞 蒼茫集同人。現在は、「沖」同人副会長。市川市俳句協会副会長・俳人協会幹事。本句集には、「沖」の能村研三主宰が、帯文をよせている。

 折り鶴を開けば四角ひろしま忌

第一句集『銀の笛』は、俳壇からも多くの評価を受け、千葉県俳句大賞の奨励賞、「沖」の珊瑚賞を受賞している。第二句集名『折り鶴』となった句は、広島、長崎に原爆が投下され八十年になる今も、何万もの折り鶴を御霊に捧げることで平和を祈り続けている。心を込めて折った鶴も開けばただの折り紙に戻ってしまうように、中々平和の実現に至らないもどかしさを詠んだものであり、真の平和を願う作者の強いメッセージのある句である。

句集名ともなった一句である。
本句集は、第一句集上梓より、9年を経てのものとなった。

 水の色雲の色とも白魚は
 惜春やルーペに文字を太らせて
 秋立つや布目ますぐに物を干し
 風爽かまだ濡れてゐる草木染
 冬の星鍵一本でたる暮らし
 桃は種人は命を深く抱き
 指栞して初秋の風を聴く
 秋声のひとつにペンの走る音
 蛍の夜かかとで洗ふ足の甲
 子の肩を借りて素足の砂おとす

担当のPさんの好きな句である。

 水の色雲の色とも白魚は

白魚に色を見いだしてよんだ一句だ。もとより「白魚」は、すでに白の色をそなえた魚である。そこに色を詠み込むというのはある意味大胆とも。そして、その色は、「水の色」であり「雲の色」でもあるという。一見白い小さな魚である白魚であるが、光が当たったり、陰ったりすることによって透明度をましたり、濁ったりもみえる。そのかすかな変化をとらえた一句とみた。透明感、濁り感を「水の色」「雲の色」としたことによって、読者に鮮明なイメージを喚起させたのではないだろうか。

 桃は種人は命を深く抱き

作者に栗原公子さんも自選にあげている一句である。桃をたべると大きな種につきあたる。果実はそれぞれいろいろなかたちで大小の種をもっている。桃の種はやわらかな果肉に対して厳然とその存在を主張してくるあなどれない種である。この一句、中七下五の「人は命を深く抱き」の措辞への展開にややおどろきつつ、心動かされるのである。命をふかく抱いている人間という存在であることに気づかされるのである。その気づきへの導き方が桃とその種との関係によってであるとは、おもしろい。中七下五への展開にどんな上五をつけるかということが肝心なわけであるとおもうのだが、「桃は種」というこの素っ気ない除法が、中七以下を新鮮な気づきへと導いているようにわたしには思えるのだ。

 指栞して初秋の風を聴く

こちらも作者が自選にあげている句である。「指栞」ってよくわたしも時にやる行為である。本を読んでいて、途中でやめるような状況になったとき、読んでいる頁に指をはさんで軽く閉じるという行為である。誰かに呼ばれたり、あるいはふっとほかのことを思い出そうとしたりして、または猫がじゃまをしに来たりして、いろんな状況が考えられるが、この一句においては、風に気持ちがうばわれたのである。そっと耳をかすめた風、その新涼の風によって秋を感じ、嗚呼、秋が来たのかと本より顔をあげ「指栞」をしてあらためて風の音に耳をすましたのである。「初秋」という季語が、作者に秋がきたことを知らせているのである。「初秋の風」であることによって、すでに夏は過ぎ去って周囲は秋の大気につつまれているということも見えてくる一句だ。〈秋声のひとつにペンの走る音〉澄み渡った秋気のなかで、さまざまな音はより鮮明となってわたしたちの耳にとどくのである。

 蛍の夜かかとで洗ふ足の甲

蛍を見にいってきたのだろう。濡れた草むらに足をよごし、帰ってきてそれを洗っているのだ。その洗い方を一句にしたのである。足をあらう句はいろいろとみてきたが、このように具体的に詠まれた一句は珍しいし、おもしろい。この洗い方が、「螢の夜」とどう関係があるのかとあえて問うてみたところで、すごい関係があるというわけではない。右足のかかとで左足の甲を洗い、左足のかかとで右足の甲を洗う。わたしもやることがある。楽でいい。「螢の夜」というある意味情趣がある言葉に対して、こういう人間の雑ぱくな行為(ごめんさなさい)を取り合わせていることがおもしろいとわたしは思ったのである。「螢」という季題をやや突き放して詠んでいるようにみえるのもおもしろい。

 墓石にはつかな火照り金木犀

これはわたしの好きな一句である。いまは「金木犀」の季節、今日も出勤途上で金木犀の香りがした。この句、「金木犀」の香りではなく、その色に心をとめた一句だ。「墓石に」という上五にドキッとする。その墓石に、きっとよく磨かれた墓石なのだろう、金木犀が映っているのか。そのことを色のみにとどめず、「はつかな火照り」と踏み込んで詠んだところが巧みである。死者を象徴する墓石、ぬくもりはなく冷たい墓石である。そこに恩寵のように「かすかなぬくもり」を与えている金木犀なのだ。墓石と金木犀の対比が見事な一句とも。

栗林公子さんの俳句は、さりげない表現のなかに、深遠なる意味合いをこめたものが多いとおもった。


校正スタッフのみおさんは、二句を好きな句として選んでいる。〈冬銀河サイフォンを湯の駆けのぼり〉理科の実験を見るときのようなあの瞬間を思い出します〈鰯雲さよならの手も左利き〉もう二度と会えないような感じがして切ないです。



このたび二〇一七年(平成二十九年)から二〇二四年(令和六年)までの三三二句を纏め、第二句集『折り鶴』を上梓することが出来ました。
夫を見送った後の独り暮らしの心細さを慰め、自分を奮い立たせる為に取り組みました第一句集『銀の笛』から九年が経ちました。何とか独り暮らしにも慣れ、結社の句会の他に公民館のサークル句会の講師としての仕事なども増え、忙しくも充実した九年間でもありました。
気付けば八十歳を疾うに過ぎましたのに未だに俳句に飽きることがありません。それどころか俳句の奥深さ難しさに呻吟しつつ益々俳句が楽しいのです。
俳句を拠り所として一生懸命に生きてきた証のような一句一句を、元気なうちに纏めておきたいと思い立ちましたのも気持ちに少しゆとりが出来たせいでもありましょうか。
独り暮らしとは言いながら俳句結社「沖」の主宰・副主宰はじめ多くの句友、公民館サークル句会のお仲間、独り暮らしを見守ってくれる二人の娘たち家族などなど、思えば多くの人達に助けられながらの幸せな日々を感謝せずにはいられません。


装丁は和兎さん。

栗原公子さんは、第1句集『銀の笛』の装丁が気にいっておられ、それと響き合うものをというのがご希望だった。


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 もの言うて一人に気付く冬灯


この先どれほど今のような生活を楽しむことが出来るでしょう。願わくばこれからも俳句を拠り所とし、毎日を大事に過ごしていきたいものと思っております。(あとがき)
 

上梓後のお気持ちをうかがった。

1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか?
第二句集が届きました時は早速第一句集「銀の笛」と並べて嬉しく眺めました。
その後改めて句を読み直してみますと無駄な句や下手な句ばかりが目につき皆さまの目に触れるかと思いますと身の竦むような恥ずかしい思いがしております。

(2)第二句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい
第一句集から9年もたち俳句を拠り所に生きて来た日々を纏めたいと思い立ちました。
第二句集を編むまで俳句に夢中になるなど若い日の自分には想像もできなかったことです。
俳句があればこそ充実した毎日を過ごせることに感謝しております。
    
(3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。
俳句を中心に充実した日々をこの先どれほど続けることができますでしょう。
一日も長く俳句を楽しみながら元気に暮らせますように祈るばかりです。


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栗原公子さん。

6月10日のご来社のときに。



 
 梅真白このうへ何を捨つるべき   栗原公子






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by fragie777 | 2025-10-21 20:06 | Comments(0)


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