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10月15日(水) 旧暦8月24日
神代植物園に咲いていた釣船草(つりふねそう)。 野の花であるが、華やかな花である。 溝蕎麦(ミゾソバ)に混ざって咲いていた。 13日におこなわれた100首シリーズのイベントのことをときどき思い出す。 その場でかたられたいくつかのことが、こころにのこっている。 その一つに塚本邦雄の辞世の歌について林和清さんが、語ったことである。 塚本の辞世の歌とされている歌については、『塚本邦雄の百首』の百首目に選ばれて解説がほどこされている。 しかし、林さんは、イベントにおいてもう一つある辞世の歌を紹介されたのだった。 そして、『岡井隆の百首』における岡井隆の辞世の歌とひかくしつつ、塚本のそれはあまりにもさびしいと。 イベント終了後、林和清さんから編集・発行をされている「アルテミス」ⅩⅩⅠをいただいた。 「塚本邦雄最晩年の様相」と題したページに「辞世の歌について」とあり、この辞世の歌二首のことが詳しく語られている。 ここでその辞世の歌二首を紹介はしないが、林和清さんはこの二首にふれながら、以下のように語っている。 どちらにしてもこの辞世の歌は、あまりにもしんみりと寂しい思いにさせられる。戦後最大の歌人・塚本邦雄の最後のともし火がふっと消えるような、そんな幕切れの姿を見せている。 それはそれで辞世にふさわしいのではないか、という解釈もあるだろう。しかし、あの塚本邦雄の華麗なる半世紀の歌業に対峙して最後に置くには、この歌の塚本らしくな、あまりに素朴でか弱い姿に、読者はあまりにも胸が痛み、やりきれない気持ちになってしまうのではないだろうか。少なくとも私は、この歌をまだ胸の痛みや苦しさなしには読むことできないままなのである。 『岡井隆の百首』の最後におかれた辞世の歌にたいして、大辻隆弘さんは、こんな風に鑑賞している。一部のみ引用したい。 ここには辞世の歌にありがちな諦念や静寂はない。岡井は、死という現象に対してさえ、激しい表現意欲をもって向かい、それを言語化しようとしている。 どのような歌であったかは、是非に本書をとおしてふれてほしいとおもう。 イベントで語られたことに、岡井隆は寺山修司をぜったいに認めようとしなかったという話も興味ふかかった。 なにゆえに認めようとしなかったのか、塚本邦雄はどうだったのか、その辺の話も表現者としてのありようとも関わってくるものであるとわたしはおもったのだった。 「ふらんす堂通信」に掲載となったら、三人の歌人によって生き生きと語られる寺山修司、塚本邦雄、岡井隆に出会ってほしいと思っている。 まだまだ語りたいことをのこしてイベントは終了となってしまったのである。 林和清さんが、『塚本邦雄の百首』を刊行されたことについて、出版記念インタビューでその詳細を語られている。 興味のある方は是非に。
by fragie777
| 2025-10-15 18:54
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