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10月12日(日) 旧暦8月21日
カンナのつぼみに止まった赤とんぼ。 神代植物園にて。 こちらはとても小さな赤とんぼだった。 人声がして飛び去ったのであるが、ふたたび戻ってじいっとして写真にとらせてくれた。 わたしが、「ありがとう」って言うとさっと飛び去っていった。 新刊紹介をしたい。 執筆者の川本千栄(かわもと・ちえ)さんは、1962年生まれの歌人。1998年「塔」短歌会入会。河野裕子に学ぶ。2002年第20回現代短歌評論賞受賞。歌集に『青い猫』(第32回現代歌人集会賞)、『森へ行った日』(第30回ながらみ書房出版賞」など。評論に『キマイラ文語』など。現在は「塔」編集委員。 本書は百首シリーズの一貫として刊行されたもので、「アララギ」を代表する土屋文明(1890~1990)の短歌の入門書をかねた百首の鑑賞の本である。巻末に解説を付す。タイトルは「近現代短歌を生きた百年」 本書よりいくつか、短歌と鑑賞を紹介しておきたい。 この三朝(みあさ)あさなあさなをよそほひし睡蓮(すゐれん)の花(はな)今朝(けさ)はひらかず 〈この三日間、朝ごとに、美しく装うように開いていた睡蓮の花が今朝はもう開かない。〉 第一歌集『ふゆくさ』の巻頭歌。歌の師であった伊藤左千夫の元に上京してきた頃に作られた、初期の歌。文明十八歳の時の作である。 「三朝(みあさ)」「あさな」「あさな」と「あさ」の音を三回繰り返し、調べの整った、愛誦性のある歌となっている。花の美しく咲いた姿ではなく、もう咲く力を持たない、衰えていく姿を写し取っている。文明は植物が好きで、生涯を通して多くの草木の歌を作った。『ふゆくさ』 死病(しびやう)ならば金をかくるも勿体(もつたい)なしと父の云ふことも道理(も つとも)と思ふ 〈どうせ死ぬ病気なら治療する金がもったいない、と父の言うことも道理にかなっていると思う。〉 文明の父は事業に失敗し、故郷の家と田畑を売り払って上京。米屋を営んでいたが、震災に遭い、バラック住まいだった。病気が見つかり急いで文明を呼ぶが、話題は金を惜しむことだ。自分の父ならそう言いそうだし、確かにもったいないと文明も思う。治療して少しでも長生きをと望むようでもない。肉親と自分を、非情な突き放した視線で描いた一首。文明は父への複雑な愛憎を多くの歌にしたが、父に似た自分にも苛立っている。『往還集』 新しき国興(おこ)るさまをラヂオ伝ふ亡(ほろ)ぶるよりもあはれなるかな 〈新しい国の建国の様子をラジオが伝えている。それは国が亡ぶ様子よりもあわれである。〉 昭和七年三月、日本は満州事変で軍事的に占領した、中国の東北部地域を「満州国」として独立させ、清朝最後の皇帝溥ふ儀ぎをその執政(のちに皇帝)とした。しかし独立国とは名ばかりで、事実上は日本の傀儡(かいらい)国家で植民地であった。当時のメディアである新聞やラジオが伝える「満州国」の成立を、国民の多くは熱狂的に迎えたが文明は違った。歴史に翻弄される人間の哀れさを感受し、この国の末路さえ予感するように歌っている。『山谷集』 降る雪を鋼条(かうでう)をもて守りたり清(すが)しとを見むただに見てすぎむ吾等は 〈降っている雪を鋼条(こうじょう〉(鉄条網)で囲んで守っていた。それをただ清しいとだけ見よう、ただ見て通り過ぎよう、われら市民は〉〉 昭和十二年の作。前年に起った二・二六事件の歌。陸軍の青年将校たちが雪の降る二月二十六日未明、クーデターを起こし、政府の重臣を殺害し、首都の中心部を拠した。事件の様子を清々しい、清らかと歌うが、それが逆説的に不安や怒りを表す。もう、一市民にはうかつに物が言えない時代だった。鉄条網に隔てられた向こうを、ただ見て通り過ぎるしかないのだ。『六月風』 垢(あか)づける面(おも)にかがやく目の光民族の聡明(そうめい)を少年に見る 〈垢で汚れた顔に輝く目の光がある。私は民族の聡明さをこの少年に見る。〉 中国大陸の風景は桁外れに大きかった。この時は汽車が川の増水で停車。減水を待つ間、文明は列車を降りて、辺りにいた少年と虫を捕って遊んだ。貧しいからの習慣が違うからか、少年の顔は垢で汚れていり。けれどもその目は聡明さを湛えて輝いている。彼の民族は聡明だ。民族名は述べておらず、中国人全体を指すと考えられる。文明は相手をそのままに見ることにより、中国の人々に対する、当時の日本人の意識を超えたのだ。『韮菁集』 白き人間まづ自らが滅びなば蝸牛幾億這ひゆくらむか 〈人間という白く脆弱な存在が原水爆で自滅したならば、その後は幾億もの蝸牛が這いゆくのだろうか。〉 「蝸牛(かぎゅう)」はかたつむり。昭和二十九年三月アメリカによるビキニ環礁での水爆実験により、漁船第五福竜丸が被曝、乗組員一名が死亡。人々を放射能雨の恐怖が襲った。「人間の恐るる雨の中にして見る見る殖えゆく蝸牛幾百」と事実に沿って歌い、次にこの歌で戦慄的な幻想に飛ぶ。数年後、レイチェル・カーソンは『沈黙の春』で、農薬汚染により他生物が死滅した地に、蝸牛だけが這い回る様子を記した。この二つの地獄絵は相似形だ。『青南集』 いつの間に時は行くのかなびき合ふすすきの原にこゑののこりて 〈いつの間に時は過ぎていくのか。なびき合うすすきの原に声が残って。〉 平成元年九十九歳、ほぼ最晩年の作。秋の終わり、風になびき合うすすきを見ている。結句の「こゑ」は亡き人々の声だろう。生涯に出会った人々の声が、すすきの揺れる音の合間に聞こえるように思うのだ。また、二首後の「草の葉もさやぎを止めししばしの間すぎゆく時のこゑのきこゆる」という歌では、「時そのものの声」という、より抽象的な表現となっている。写実を極めて象徴へと転じているのだ。『青南後集以後』 巻末の解説で、川本千栄さんは、 土屋文明は一八九〇(明二三)年に生れ、一九九〇(平二)年に百歳で亡くなるまで、明治後半から大正・昭和を通して、また二〇世紀の大半を、近現代短歌と共に生きた。 という書き出しではじめ、既刊歌集にそって、その歌人としての生涯を五期にわけてみせる。 そして一期ごとに短歌をあげつつ時代や短歌的状況とのかかわりのなかで、その短歌がどのように変遷していったかを分析してみせる。解説の巻末にはこう記している・ 一九九〇(平二)年、百歳の誕生月である九月号の「アララギ」に最後の一首が掲載された。大和(奈良)の住人で、文明を支え続けた友の遺歌集への一首だ。文明はその年の十二月に逝去。まさに死の間際まで歌を詠み続けた人生だった。また、文明の死後、一九九七(平九)年、近現代短歌に大きな影響力を持った結社「アララギ」は解散した。文明の生涯は「アララギ」九十年の歴史と重なるものでもあった。 命すぎ何をつくろはむこともなし皮をはぎ肉をすて骨をくだけよ 土屋文明 明日はいよいよこの百句シリーズの刊行記念イベントが新宿の紀伊國屋書店にて開かれる。 パネラーは『塚本邦雄の百首』の執者者林和清、『寺山修司の百首』の執筆者藤原龍一郎、『岡井隆の百首』の執筆者大辻隆弘の各氏。大阪・梅田蔦屋書店で開催されたものを、是非に東京でもという強い希望があって実現したものである。 「塚本邦雄・岡井隆・寺山修司の前衛短歌運動を語る」 席は立ち見席をふくめてすでにいっぱいとなってしまった。 わたしも主催者側のスタッフとして行く予定である。(会場づくりを手伝ったりしなくてはいけないのね。) 録音して、「ふらんす堂通信」に掲載予定。 参加できなかった方で興味のある方はそれを是非に読んでいただきたい。 そして、川本千栄著『土屋文明の百首』を初売りします! 今日の大鷹
by fragie777
| 2025-10-12 18:19
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