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10月7日(火) 十六夜 旧暦8月16日
ミゾソバの花。 先日のママコノシリヌグイとの違い、わかります? 今年はインフルエンザがもう流行っているらしい。 スタッフのPさんもMさんもすでに予防注射をうってきた。 わたしも今日の午前中にあるいて3分の病院に行って、うってもらった。 左腕にうつことになり、腕をくの字にして、手のひらを腰にあてるように指示された。 こんな格好をするのははじめて。 こうすると痛くないのか。。。 腕に注射器がささった。 あまり痛くない、しかし、だんだん痛くなった。 「痛い!」って声にだす。 そして、声にだす自分が可笑しかったけれど、声にだすと、わるくない気分である。 声にだすことによって、痛さがすこしやわらぐような、痛いんぞって回りにいちおう言っておく、そんな感じ。 注射が終わったあとも、「痛い!」って言った自分の声が、なんだかそのへんに浮かんでいるようでちょっと面白かった。 新刊紹介をしたい。 46判ハードカバー装帯あり 212頁 2句組。 著者の中島やさか(なかじま・やさか)さんは、昭和16年(1941)滋賀県生まれ。平成13年(2001)平井照敏の指導の下に俳句をはじめる。平成17年(2005)片山由美子主宰の句会に出席し、以後14年間続ける。平成22年(2010)「百鳥」入会、大串章に師事。平成24年(2012)「百鳥賞」受賞、「百鳥」同人、「百鳥」退会後、平成31年(2019)「香雨」創刊とともに同時入会、令和4年(2022)「香雨」同人。本句集は、第1句集であり、片山由美子主宰が序文をよせている。 序文より抜粋して紹介したい。 朝顔の向かうに朝の厨あり まつすぐに杭の打たるる秋日和 せせらぎのしぶきのごとく犬ふぐり さりげない句だが、作者の視線がとらえているものの確かさ。それを読者として共に見つめることで一体となる感覚を味わいたい。 春眠や老人もまた老いやすく 晩年の見えざるがよし草の花 三方の青嶺ゆるやかなる故郷 晩年意識や故郷への回帰、そうしたものが洗練された人生諷詠となっている。 片山由美子主宰が序文でも書かれているのだが、中島やさかさんは、長い間「ふらんす堂句会」で片山由美子さんの指導を受けてこられた方である。わたしたちもよく存知あげている方であった。この度こうして第1句集を上梓されたことを心より喜びたいと思う。 本句集の担当は、Pさん。 父の日の比島山中おそらく雨 握りしめないでと渡す桜貝 木の影のみな息づける蛍の夜 実むらさき人の歩みのゆるやかに 最寄駅まで短日の丘ひとつ 春は曙まどろみに浮力あり 昭和の日父は水漬くか草生(む)すか 泣きやみし子に涼風のきたりけり 梅雨雲の上に抜け出て旅始まる 影の舞ふダンス教室冬の暮 父の日の比島山中おそらく雨 この句は、片山由美子主宰も序文でふれている一句である。「戦争を詠んだ句は、その時代を体験した人なればこそのものである。」と書いているが、中島やさかさんは戦争体験者であり、お父さまを戦争で亡くしておられる。「比島」とは「フィリピン諸島」のことで、この地で戦死されたのであろう。父親像の希薄なままに「父の日」にはおのずと「比島」で死んだ父のことが思い出される。そしてその島の山中は雨で濡れているのだ。戦争で屍となった人たちの上に冷たい雨がふりつづいているのか、作者のこころもまた晴れることはない。〈昭和の日父は水漬くか草生(む)すか〉という句もあって、「昭和の日」には、昭和天皇を思い起こし、昭和の大戦が呼び起こされる。「比島」で戦死した父の屍はいったいどうなっているのか、「水漬くか草生(む)すか」がリアルである。父を思うことは、つねに異国の地で戦死しそこで果てていく父を思うことであり、それ以外にない、ということはなんとも残酷である。 握りしめないでと渡す桜貝 「桜貝」を詠んだ一句である。「桜貝」は、「淡桃色で透きとおった小さな薄い貝である」と歳時記にあるように、砂のなかにまじったその貝をみつけたときはおもわず、声をあげてしまう、そんな可憐な美しい貝である。わたしも鎌倉にあそんだ時、桜貝をみつけてよろこんだことを思い出した。「ほら、桜貝」って友人にわたしたかもしれない。この句はそんな場面を一句にしてみせた。話し言葉をたくみとりこみ無理のない除法で詠んでおり、桜貝にたいする人の気持ちが読み手にとどき、その場面も目にうかぶようである。人間が関係している景であるが、なにより桜貝が人間を統べている一句である。 朝顔の向かうに朝の厨あり この句は、序文でふれられている一句で、わたしの好きな一句である。清々しい一句である。「朝顔」が咲き、その向こうにみえる台所で人が立ち働く風景。「朝」の繰り返しがすこしも邪魔にならず、効果的にはたらいている。上5に「朝顔の」とおいてまず朝顔を印象づけ、「向こうに」とつづけることで読者は朝顔の像を手放さずに、「朝の厨」へと導かれていく。どちらも、あたらしく始まるいきいきとしたエネルギーに満ちている。「朝顔」も「朝の厨」も清新である。 最寄駅まで短日の丘ひとつ おもしろい一句だとおもった。シンプルな景を詠んでいるようだが、地形の空間に、時間を詠み込んでみせた。「短日」という季語が巧みに詠まれた一句であり、こんな風な詠まれ方はあまりないのではないだろうか。自分のいる場所から最寄駅まで丘がひとつを越えていく距離にあるのであるが、その「丘」に「短日の」とおいたことで、直線的に詠まれた句が一挙にふくらんだような、不思議感がある、「短日」とは冬の日の短さをいうのであるが、丘を越えるにはすぐに日ぐれてしまうといった心情もみえてくる。何も語っていないような簡潔な一句にしたてながら、季節によりそって生きる人の感情をも詠み込んだ一句である。 古雛の半眼を過ぎゆきしもの 句集の前半にある一句であるが、わたしの好きな一句である。さらりと詠んでいるようで、しかし、古雛のまえに佇んでいる作者の心境までがみえてくるような一句である。作者の視線はあくまで古雛におかれている。その「半眼」の目をみつめていると、その目がみつめてきたものに思いをはせているのである。「古雛」であることで、多くの時間を過ごしてきた雛であり、「半眼」としたことによって、ぱちりとひらいた目よりよほど内省的な様子がうかがわれる。ただいまの眼前の「古雛」の目のまえをとおりすぎていくこもごもであり、もちろんそれのみならず、時間のながい経過のなかで古雛の「半眼」を通り過ぎゆくものでもある、そのこもごもに作者は思いをこらしているのだ。が、わたしは、この「半眼」であることによって、通り過ぎゆくものは通り過ぎるままに無常の流れをそのままに行かしめていく「古雛」の「半眼」であることを思うのである。「古雛」もまた、無常の流れにさらされているのである。あるいは、この「半眼」の古雛は、作者自身の姿を投影させているのではないか、そんな風にもおもえてくる。 校正スタッフの幸香さんの好きな句を紹介。〈水仙に誘はれてこの崖つ縁〉 『茫茫』は、平成十四年から令和六年まで二十三年間の作品から三五八句を収めた、私の第一句集です。 定年退職を目前にして平井照敏氏の講座で初めて俳句を学び、六十歳で退職した後は、俳句一筋の生活を送ることになりました。これは自分でも予想外のことでしたが、そのきっかけは本句集の二句目にある句が、朝日俳壇の川崎展宏選の一席となったことと、その選評にありました。 朧夜の淡海(おうみ)の海ははてしれず 〔評〕琵琶湖といったのでは、句の思いにはなれない。「はてしれず」は太古からのこの湖の歴史をふまえてのはるばるの思いであろう。 俳句を始めて丁度一年、最短定型詩と呼ばれる詩型が、言葉を選ぶことによってこれほど深い内容を伝達できるものなのか、ということに感激したのです。 以来、現在まで飽きもせずほぼ毎日、俳句を作り続けておりますが、句境を深めるとまではなかなかいきません。やはり「六十の手習い」の限界なのか、それともわが能力の限界なのか、などと思いもしますが、とにかく命のある限り努力して、その限界のあたりを探ってみたいと思います。〔略) 句集名の「茫茫」は、私の尊敬する森澄雄氏を追悼する句から採りました。〔略) 最後になりましたが、この句集の上梓にあたり片山由美子主宰より多くの御助言をいただき、また優しく温かな序文を賜りましたことを重ね重ね御礼申し上げます。「あとがき」より抜粋して紹介をした。 装丁は、和兎さん。 パール箔を効果的にもちいた。 表紙は布でなく、紙。 扉。 影の舞ふダンス教室冬の暮 現代風景だが、そこに詩情がある。特に、「影の舞ふダンス教室」の動画的な味わいには心惹かれた。 こんなところにやさかさんの新たな展開が見られるかもしれない。 やさか俳句の更なる深化を見つめ、共に進んでいけたら嬉しい。(片山由美子/序) 上梓後のお気持ちをうかがった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? まず手に取って、カバーと帯の抄出句が良いと思い、次いで片山由美子主催の序文を熟読し、まことに有り難いことと感激しました。肝心の拙句については、悩み抜いてここまで纏めたことを諾いつつも、まだまだ底が浅いと痛感しました。残された時間は短く、先は遠いとの思いです。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 今までに詠んだ句が一万句近く、新聞や雑誌に掲載された句が九百句ほどありますので、何を選ぶか、どのような基準で選ぶのか、という点で苦労しました。結局、きれいに纏めるよりも、二十三年間の歩みを忠実に辿ろう、そこに前進があるのかどうかは読む人に判断してもらおう、ということに決めました。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 自分の俳句の方向というものが未だ判然としません。ただその時々の感興に応じて詠んでいるだけです。これからも無理に方向づけせず、自然に自分の俳句が出来上がるのを待ちつつ、方向について少しは考え、努力してみようという心境です。 中島やさかさん。 今年の2月25日のご来社の時に。 水明りして寒暁の湖西線 中島やさか 掉尾の一句。 滋賀県のご出身、ふるさとを思う中島やさかさんである。
by fragie777
| 2025-10-07 20:19
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