|
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
10月4日(土) 旧暦8月13日
秋明菊(シュウメイギク)。 好きな花である。 とくに白の花がいい。 山里の民家の玄関先などで見かけると、その白さにはっとする。 別名貴船菊(キフネギク)とも。 菊としては優美なたたずまい。 新宿まででかける都合があって、電車に乗った。 電車は混んでいて、30分ほどを立ったままとなった。 わたしは背負っていたリュックを、前に抱きかかえるように腕を通した。 いくつかの駅を通過して、人がやや少なくなったころ、 車内を見渡してみた。 わたしより年上の人間はいったい何人くらいいるだろうかって。 で、 わかったのである。 わたしの目にする範囲において、多分一人もいないと。 ゲッ。 わたしってこんな歳くってしまったのかって。 ややショックであったけれど、 すぐに忘れた。 (ブログを書くにあたって思い出したのだけれど) 今日は高野素十(1893~1976)の忌日である。 日原傳著『素十の一句』より、今日の句を鑑賞とともに紹介したい。 蟷螂(とうろう)のとぶ蟷螂をうしろに見 高野素十 今日は素十の忌日。昭和五十一年十月四日早朝に神奈川県相模原市の自宅で亡くなった。享年八十三。掲句は素十の絶句とされる。「とぶ」を前の蟷螂の動作ととるか、後の蟷螂の動作ととるかで読みが分かれるが、前者とするのが素直な解釈であろう。蟷螂は飛ぶのは上手くない。翅を広げて短い距離をふわりと飛ぶのみ。句の後半は飛ぶ蟷螂に成り変わって後方を見ているような感じがする。絶句の末尾が「見」の字であるとは、写生を信条とした素十の俳句人生を象徴するところがある。季語=蟷螂(秋)(「芹」所収 昭和五十一年八月号) 以下、日原傳さんの「あとがき」の最初の部分を紹介しておきたい。 俳句には解説を加えること自体が蛇足になりかねない作品がある。目で見たもの、耳で聞いたものの瞬間を切り取って一句に仕立てることの多い素十の俳句はその傾向が強い。そのような思いを時に抱きながら平成二十三年一月一日掲載分から一年間素十の俳句を読み解いていった。選句に当たっては、従来注目されなかった作品を発掘する意気ごみで臨んだが、結果の如何は覚束ない。俳句自体の魅力とは別に、句の詠まれた背景に興趣を覚えて取り上げた作品もある。新渡戸稲造の引率で行った発火演習の地を後年再訪した折の句(十月一日)や虚子の形見分としてもらったセルを詠んだ句(十一月四日)などがそれに当たろうか。 ちなみに、上記に記されている十月一日と十一月四日の句を紹介しておきたい。 秋の日の笛吹川も一見す 高野素十 軽暖(けいだん)に在あられしはこのセルの頃 〃 高野素十は、まもなく刊行される中本真人著『中田みづほの百句』の中田みづほとの親交がふかく、みづほは素十の俳句方法を高く評価した一人であった。
by fragie777
| 2025-10-04 17:37
|
Comments(0)
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||