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9月19日(木) 旧暦7月28日
倒れ咲く女郎花(オミナエシ) その光の洪水のなかにいた蜂。 自分でいうのもなんだけど、yamaokaは今日もよく仕事をしたと思う。 ひとつノルマを課していたのだが、見事にそれを果たした!! しかし、気をぬいてはいけない。 これからブログを書かなくては、、、 15日づけの読売新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、大木あまり句集『山猫座』より。 銀河にも句会あるらし出句せよ 大木あまり 「この世を去った友人への追悼句。銀河のかなたからその声が聞こえる』と長谷川さん。 大木あまりさんは、「山猫座」の句座の宗匠である。句会参加者は、あまりさんが愛する猫たちがもっぱらである。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 170頁 2句組 著者の金山桜子(かなやま・さくらこ)さんは、1959年生まれ、「なんぢや」同人。「儒艮」参加。「石蕗の会」「さざなみ句会」「OTTO19」「醍醐会」と略歴にある。現代俳句協会会員。共著に『鑑賞 女性俳句の世界第4巻』。本句集は、第1句集『水辺のスケッチ』につぐ第2句集となる。 本句集に、江里昭彦、久保純夫、岸本尚毅の各氏が栞文をよせている。どれも丹念に読まれた本句集への評となっており、金山桜子という俳人の特質をよくとらえている。 この三人の方の栞文を抜粋となってしまうが、それぞれ紹介したい。みなさん、沢山の句を引用されているが、数句にとどめる。 江里昭彦さん。タイトルは「小さいいのちの大きな働き」 金山桜子『ひかりあふうを』を一読する。少し考えこむ。再読、三読する。やがて、この第二句集の性格がみえてきた気がする。ああ、ここには「静かな頑固」の世界がある、と思った。句の素材の選び方とその述べ方とに、一貫した姿勢が感じとれるのだから。 『ひかりあふうを』は、端的に言って、ほぼ小動物と植物のみで構成される世界だ。(略) 小さい生命が、そのいのちをどう行使しつつ存在しているかに、注意深くかつ憐憫の情をもってむきあおうとして、『ひかりあふうを』一巻は編まれた、と。(略)) 見渡せる生活圏を、穏やかにして和やかな空間として設計しようとする構想でもある。それゆえ、排除するものは排除するし、重視するものは重視する。かくして「静かな頑固」の世界が読者のまえに現れた。 切株の洞に小さく冬の羊歯 蜥蜴出て針より細き指ひらく もぐる亀かすめ群れつつ落つる鮎 鳥渡る遠ざかりつつ入れかはり 鯉の目の落葉の下を過ぎゆけり ひかりの輪残して潜る春の鴨 木の瘤のやうなる冬のかたつむり 江里昭彦さんのこの「静かな頑固」の言葉は、まさに金山桜子さんの俳人のありようを語って卓見であるとおもった。 久保純夫さん。タイトルは「『ひかりあふうを』という贈り物」 『ひかりあふうを』には、先人の句のように、ひとつの物にすべての時空間が凝縮しているという表現は多くない。桜子が仮構する空間に事件が起きるのである。新たなる時空間。可視の有無を問わず、その時時をゆるゆると、突然に、大胆に、密やかに、異界を。 雨粒のふくらむはやさ韮の花 菱の実のめり込んでゐる春の泥 乗りあげて傾く秋のかたつむり 葉の裂ける音のかすかに柏餅 水底がプールの水に伸び縮み ふくらんでくる雨粒。菱の実と泥の関係。巨大な蝸牛。餅を包む葉は鋭く裂け、水は水中で伸縮するという視点。この空間には金山桜子の五感が横溢している。 いぼむしり前後にゆれて歩きだす この句について、久保純夫さんが、「このいぼむしりを、久保純夫像として勝手にいただいております。金山桜子からの贈り物として。」栞文の最後に書かれているのが、すてきだった。 岸本尚毅さん。タイトルは「『ひかりあふうを』を読む」。最初のほうの栞文を紹介したい。 殻のふち透けて穂の先かたつむり かたつむりの殻が薄いと思うことがある。なるほど、殻の薄さが見て取れるのは「殻のふち」だ。かたつむりそのものの描写だが、「穂の先」といったことで奥行きのある句となった。何かの穂の先にいるのだから、あまり大きくはないかたつむりだろう。 穂の先」からは野原や草むらの景が想像される。しかも「先」にいるのだから、上に開けた空のほうから光がさしていることも想像される。穂の先へ注ぐ明るい光が殻のふちを透過するのだ。 このような句を読むと、この句の作者が、短い俳句でモノや景色を描くことがどのようなことであるかをよく理解し、かつ、練達した叙法を使い得る作家であることがわかる。 食みし跡冬の菌のてつぺんに くちびるに紙のストロー夏木立 照らされて無数や冬の雨しづく 枇杷ほどの土竜果てたる梅雨入かな 柿の実の蔕にかかれる蜘蛛の糸 へうたんのくびれの無きも枯れゐたり などの句も岸本さんは、丹念に評している。 かなり大ざっぱに栞文を紹介してしまったのだが、それでも、本句集の特長がよくみえてくることと思う。 この句集は読み進めば読み進むほど、江里昭彦さんの言うところ、作者の「静かなる頑固」がおどろきとともに読者につたわってくる句集である。 わたしも読み進めていって、へえーってここまで足下ばかりをみつめ、視線を上にあげずにモノを見ることに徹底するのかと、思ったのだった。 本句集の担当は、文己さん。文己さんはすでに産休にはいってしまったけれど、好きな句を書いていってくれた。 てつぺんは日に透けてゐる栃の花 藪椿小鳥の腹に日のあたり 青葉潮黒き尾鰭のひるがへり この町の冬の日差しに棕櫚高く 水底にビーズの腕輪ゐのこづち 干柿のまだ吊りたてといふ光 着水の水鳥おのが影を抱く てつぺんは日に透けてゐる栃の花 金山桜子さんは、ほとんど上をみず、下の方のきわめて狭い世界を凝視しているってわたしは思いながら、この句集を読んだのだけど、この句のように上を向いてつくられることもたまにある。なんて書くとそれは言い過ぎって金山さんにしかられそう。でも、そうよ。この句はずいぶん高いところに視線をとどかせている。栃の花は高きに咲く花である。小さな花が横向きあつまってピラミッド型となり先がとがっている。存在感のあるどうどうとした花だ。その花の「てつぺん」を詠んだ一句だ。日差しをたっぷり浴びた栃の花がみえてくる。そして「てつぺんは日に透けて』を発見だ。存在感のある三角形のかたまりの栃の花であるが、天辺は日にすけているのである。「てつぺん」とひらがな表記にすることによって、日差しをやわらかく受け止めている栃の花のやさしい表情がみえてきたのではないだろうか。 この町の冬の日差しに棕櫚高く あれっ、この句も目線が高い。文己さんが好きなのは高きをみている句が多かったかも。この句は、江里昭彦さんが、「時間がときに見せる異貌に反応した作品である」のひとつとして取り上げて、この句集の例外として「別の地平でなりたつ、いささか硬質の美のような気がしてならない。」と評している一句だ。「冬の日差し」と「棕櫚」はよく合うってわたしは思う。たまたま訪れた街か。「この町の冬の日差し」というかなりおおざっぱな掴みかたで句をはじめ、下五の「棕櫚高く」でぐいっと焦点をしぼってみせた。高くそだったというかそびえた棕櫚が冬の日差しをまるで独り占めしているかのようである。巧みな叙法であるとおもった。 殻のふち透けて穂の先かたつむり 句の前半にある一句であり、岸本尚毅さんが名鑑賞をしているから、野暮な蛇足になってしまうけれど、わたしはこの句は、句集をよみはじめて最初に驚いた一句である。「殻のふち」ではじまり「穂先」があって。「かたつむり」と主人公(?)が現れる。その現れ方が、なんというか繊細で細やかな道具立てがあってのこと。まず「殻のふち」ってなんだっておもう。たぶん小さなものの「ふち」だ。そして「穂先」、何の葉の穂先かわからないけど、「先」という言葉で、きわめて狭い領域をおもう。すでに「ふち」と「先」で読み手のこころはしばられる。で、「かたつむり」の下五である。そうか、「かたつむり」かと。なんとも細やかな描写であることよ。しかし、かたつむりのいる景としてたいへん納得する。言葉の斡旋のしかたが巧みであるのだ。 束子からまづ溶けてゐる春の雪 この句は、作者が自選句にあげている一句である。わたしも「春の雪」らしいのでは、と思った一句である。束子の雪はすでに溶け始めていて、そのとげとげした形態がすでに現れていて、しかもびっしょり濡れていて、雪解けの水滴が落ち続けているそんな景がみえてくる。春の雪はどんどん溶ける。束子はちいさなものであるけれど、白い雪がとけてなくなり、あの茶色の束子がみるみるその姿をあらわしてくる。白から茶、束子はたっぷりぬれているけど、あたりは春らしいあたたかな日差しにはあふれている、そんな庭先の春の情景を小さな束子で十全に描写した一句だとおもう。 なめくぢり白きはなびら錆びはじむ 先ほどの掲句が、「かたつむり」を詠んだとしたら、こちらは「なめくぢり」である。ねっ、視線が低い金山桜子さんでしょ。この一句は心引かれる一句だ。この情景にエロティックなものを感じるのである、わたしは。なめくじのぐにゃりとした感触、白い花びらがすでに生気をうしなって白さがにごりはじめて錆色となりつつある。たぶん肉厚の花びらをもつ白木蓮のような花なのではないか。枯れるというよりは腐っていくそんな花びら。ぐんにゃりとして腐臭をただよわせている花びらとそこにさしかかったなめくじの異様な光り、ああ、ぞくっとする。この句にある濁音が、この一句にやや沈鬱な重さをあたえていると思うのだけれど、どうだろうか。 校正スタッフのみおさんは、 〈音もなく雨の吹き込む金魚玉〉のの句に惹かれました。雨に濡れてしまった床と、金魚の赤い色が美しいです。 おなじく校正スタッフの幸香さんは、〈みづうみと青きやまなみ心太〉涼やかでとてもおいしそうです。 第一句集の『水辺のスケッチ』以降の六年間の俳句をまとめて第二句集としました。 句集を編んでいてあらためて感じたことは、日々の出来事に驚きやささやかな喜びがあるということでした。俳句のゆたかさに気付かせてくださった先生や先輩、友人たちに感謝申し上げます。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装丁は、君嶋真理子さん。 本のカバーの挿画は、金山桜子さんのご夫君の画家・金山雅幸氏の銅版画の作品である。 カバーの折り返しに、「message of coela」とある。 「 coela」とは、しらべたところ、 古代ギリシャ語で「空の中空の」を意味し、シーラカンスの学名である「Coelacanth(シーラカンス)」の略称として使われることもあります。 針のごとくひかりあふうを神の留守 このすぐれた句集が良き読み手に出会うことを願っている。(岸本尚毅/栞) 上梓後のお気持ちをいただいた。 ○できあがった句集を手にしたご感想は。 句集は二冊目ですが、今回は文字のサイズや表紙の絵まで丁寧に希望を聞いていただきましたのでとても気に入っています。 ○この句集にこめた思いは。 第一句集を上梓した時にいろいろな方からご批評をいただいてとても嬉しく思いました。そして、それが糧となってその後さらに自分のテーマを模索しながら句作を続けてくることが出来たように思います。 ○これからのヴィジョンをお聞かせください。 思い返してみますと、第一句集上梓後の六年の間にコロナ禍や母の死を経験したことが第二句集で小さな命を詠むことに繋がったのだと思います。 そして、第二句集で三人の方に句集評をいただくことによって、これからの方向性がはっきりと見えてきたようにも思います。 金山桜子さん。 1月30日にご来社のときに。 何をどう詠むべきか、それをちゃんと見据えて俳句をつくられている金山桜子さん。 江里昭彦さん言うところの「静かな頑固」をこれからも貫いていただきたいです。 次の句集もさらにバージョンアップされることでしょう。 楽しみにしておりますね。
by fragie777
| 2025-09-18 21:29
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