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9月12日(金) 鶺鴒鳴(せきれいなく) 旧暦7月21日
芙蓉の花。 芙蓉にしてはやや険しい表情か。。。 今日は、午前11時に森賀まりさんがご来社くださった。 ご来社をお願いしていたのだった。 「ふらんす堂通信」の187号から、西村麒麟さんに替わって投句蘭の選者をしていただくことになったのである。 今日はその打ち合わせのためにご来社をお願いしたのだった。 スタッフのPさんがいろいろとご説明をしつつ、ことこまかにお願いしたのだった。 森賀まりさんは、終始おだやかな表情でにこにこと説明をきかれている。 「投句蘭には、名前をつけていただいているんです」と申し上げると、 「いままでの方は、句集名からとられてますね。。う~ん、どうしようかな。」とちょっと考えられて、 「それでは、「またたき集」で。」 第2句集『瞬き』からだ。 「ああ、いいですね」と、即、きまり。 ということで、「ふらんす堂通信」187号からは、森賀まりさんが選者になられます。 森賀まりさん。 西村麒麟さま、いままでありがとうございました。 ご尽力に感謝もうしあげます。 「週刊 読書人」が送られてくる。 「図書館員のおすすめ」というコーナーに、ふらんす堂の本がとりあげられている。 おすすめくださったのは、宮崎県立図書館の上米良(かみめら)綾子さん。 抜粋して紹介したい。 牧水研究の第一人者の伊藤一彦氏が、牧水の歌をぎゅぎゅっとしぼってそのエキスをこの一冊に閉じ込めた。 九千首読むのは難しそうだが、百首なら読めるかもと思わせる。生誕140年を機に牧水の歌に触れようするとき、手始めにふさわしいのが本書である。 余談であるが、この「読書人」のトップの記事にはっとした。 「追悼・田川建三」とあり、橋爪大三郎氏が寄稿をしている。 (ああ、田川さん、亡くなったのか。。。。) その記事には、新約聖書学者の田川建三氏が二月十九日に亡くなったとある。 「神は存在しない」と説教して、国際基督教大学(ICU)を頚になった。へこたれず学問の道に邁進した。個人訳『新約聖書 訳と註』(全七巻八冊)を完成させた。田川建三博士は、尊敬すべき硬骨の聖書学者だ。 という文章で橋爪大三郎氏の追悼文ははじまる。 もうずっとむかし、そのころ一緒に暮らしていた人間が、田川さんと親しくといってもはるかなる大先輩であったわけだけれど、一度、わが家に泊まりにいらしたことがある。小さなマンションであったが、朝起きたら、田川さんはすでに起きられていて、布団がちゃんとたたまれてあったのが印象的だった。背筋のすっと伸びた礼儀ただしい方だった。家には田川さんの著書もいろいろとあって、『批判的主体の形成』という一書などはその時代の若者に大きな影響をあたえた一冊である。吉本隆明の『マチウ書試論』などと一緒にわたしのまわりではおおいに読まれ語られていたのだった。 わたしの同居人は、田川健三シンパであったけれど、わたしはファンダメンタルなキリスト教徒だった。 キリスト教をとりまくさまざまな状況があるということ、「神を信じるとはどういうことか」そういうラディカルな疑問をこころのすみにおいやりながら、わたしは日常に流されていったのである。 この日なぜかすべてが荒々しかった。。
by fragie777
| 2025-09-12 19:51
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