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9月11日(木) 旧暦7月20日
そして、このセイバンモロコシは、なかなか恐ろしい雑草であるとも。 セイバンモロコシは1943年に千葉県で初めて発見された地中海原産のイネ科モロコシ属の多年生の外来種です。 現在では、畑地、樹園地、牧草地のほか、特に河川堤防で問題となっています。世界的にもトウモロコシやサトウキビ畑の強害雑草として問題になっています。若い株や上位葉に青酸が含まれているため、家畜が中毒を起こすことがあります。乾草は安全なようですが、踏み付けや刈り取りなどのストレスを受けた個体ほど多量の青酸を含むことが知られています。 強害雑草とは、はじめて聞く言葉である。 「色が美しい」などとうっとりしてはいられない強靱な毒性をもった外来種の雑草だった。 うかつにはさわれない。 新刊紹介をしたい。 46判ハードカバー装帯有り 210頁 二句組 著者の中西恒弘(なかにし・つねひろ)さんは、1938年埼玉県熊谷市生まれ。2010年10月に、初心者のための俳句講座(能村研三指導)に参加。2010年「沖」(能村研三主宰)入会。2019年「沖」潮鳴集同人。現在、俳人協会会員。千葉県俳句作家協会会員。本句集は、第1句集であり、序文を能村研三主宰、跋文を森岡正作副主宰が寄せている。 一月の光束ねて隅田川 句集のタイトルとなった一句である。能村研三主宰、森岡正作副主宰ともどもこの句にふれているので、抜粋して紹介したい。 浅草寺に初詣の帰りに、水上バスに乗って隅田川の川下りをされたのであろうか。普段東京の下町でお仕事をされている中西さんにとって、水上バスから見る町の風景には、格別な思いがあるであろう。さらに隅田川の上流の荒川は埼玉・山梨・長野が境を接する甲武信ヶ岳に端を発し、奥秩父山塊から湧き出る水を集めながら川となり、埼玉、東京を通って東京湾に流れ込む川で、中西さんには、故郷を思い起させる川でもある。。正月の瑞兆の光が隅田川の川面を照らし、手を振る人も白い水上バスも景色の中に輝いて見えた。本句集はこの句から、「光束」という題名を貰うことにした。(能村研三・序より) 句集名を得た句である。一月の晴天は空気が薄く感じられるせいか、光は夏のそれと違って神々しく、心の中まで洗われるような気がする。私も冬の良い天気の日に訪ねて、水面が光り輝く隅田川の景を見たことがあった。それはまさに隅田川の川幅一面が太い一本の光の帯のように見えたのである。「光束ねて」とはそんな景と思うが、「一月の光」と捉えたのもまたすばらしい。(森岡正作・跋より ウエットティッシュ湿り気抜くる厄日かな この句も、能村主宰、森岡副主宰がともに鑑賞をされている。 平成二十九年十一月号で、準巻頭をとった時の句。厄日とウエットティッシュの取り合わせが面白い。ウエットティッシュは地震や水害などの時にも必需品である。程良い湿り気があってこそ役割を果たすものなのだが、うっかりと蓋を閉め忘れたりすると湿り気が抜けてしまう。生活の中でも、このようなちょっとした失敗を俳句に詠むことで、ユーモアに結びつけているのも常に余裕をもったお人柄がにじみ出ているように思われる。(序より) ティッシュからウエットティッシュに進化し、身の回りの小物たる日常品のアイデアに恩恵を受けることが多いのであるが、ウエットティッシュもまた誠に便利である。とは言うものの湿り気あってこその物であり、湿り気が抜けてはしょうがない。その少しがっかりしたような気持ちが、何か心に引っかかる事でもあるのか、忌み慎まねばならない面持ちとちょうど良い具合に繋がっている。「厄日」という季語が実に上手く使われた句である。(跋より) 本句集の担当は、Pさん。 好きな句は、 浅蜊掻く漁夫の額に波の照り よそ行きの顔を掻き捨て花見酒 足裏に土の涼しさフラダンス 寒茜冨士一峰をほしいまま 手洗ひのジーパン叩き夏に入る 近道をして春泥の虜かな 夕ぐれて影の重たき八重桜 一郷の軒を余さず吊るし柿 一月の光束ねて隅田川 浅蜊掻く漁夫の額に波の照り 猟師がはたらいている様を一句にした。一句を声にだして読んでみると、やや切羽詰まったようなリズム感がある。こうグイグイと前におしだすような力強さといったらいいのか。一句を漢字でうめつくし、最小限のひらがなを配した緊密な一句だ。作者の目にみえるものだけを詠んでいるのだけれど、「額に波の照り」が巧みである。額は汗で光っている、そこに更に波の照り返しを詠み込んで労働の実態を描写した。たたみかけるような叙法が、躍動感をあたえている。「り」のくりかえしが読者の脳裡につよく響いてくる。 足裏に土の涼しさフラダンス この句はわたしも面白いとおもった一句である。「フラダンス」を詠むのに土に注目したのがおもしろい。作者も跣になってフラダンスをおどったのだろうか。あるいは跣の踊り手をみて、そうおもったのか。この句、「フラダンス」とは、「足裏の土の涼しさ」を感じることって言っているようにも思えてくるが、フラダンスをそんな風に解釈したとろに、「座布団一枚!」をさしあげたい。「フラダンス」という流れるような動きに対して、動かぬ大地を詠みこんだ。下五にもってきた「フラダンス」が読者を裏切るようでそうでなく、深く納得させてしまうという一句だと、そうはおもいません?身体にはじまり、身体でおわる一句である。この「土」いかにもひんやりとして気持よさそう。 手洗ひのジーパン叩き夏に入る 人間って、「夏の入り方(?)」は、いろいろとあるとおもうのだけど、この一句を読んだとき、そう、そういう気持のよい入り方もあるなあって、わたしも共感した一句である。上五に「手洗ひの」とあるから、洗濯機などで安易に洗ったのではない。こうゴシゴシと身体中の筋肉を総動員させて、気合いをこめてジーパンを洗ったのである。もうそれだけでも、やってくる暑い夏への心の準備はできたというものである。さらに、洗い上げたジーパンを干す段になって、それはもう世界中へひびきわたるようにこうパーンと威勢良く一発叩いたのである。晴れ渡った空をさらに驚かすごとく。あまりにも気合いが入りすぎて、「オレサマノジーパン!!」って叫んだかもしれないな。夏にむかう季節じゃないとこうはいかない。この俳句も「イ行」の音が、句に気合いをいれている。 近道をして春泥の虜かな この句の季題は「春泥」。たっぷりとぬかるんだ春の季節の泥である。この句は「虜」の一字が巧いとおもった。春になって解放感にときはなたれて、はやる心で近道をしてみた。ところが、泥道にはまってしまったのだ。もう、やれやれである。あーあ、っていいながらどこか楽しんでいる。「虜」という言葉が、その心の余裕をかんじさせる。泥道に四苦八苦しながらも、泥道をゆるしているのである。まあ、春だからさ。それも仕方ないよ、なんて。駘蕩とした春の気配が立ち上がってくる一句だ。 靴音に影の付き来る今日の月 作者の中西さんが、自選句にとりあげている一句である。「耿々と明るい月の夜は空気も澄み、影もはっきりとしている。(略)きっと良いことがあって知人と一杯やったのであろう。上機嫌のほろ酔いの靴音に感じられる。」と鑑賞をされているのは、跋文での森岡正作氏である。ああ、そうか、そんなたのしい気持もあるかもしれない。この句、私が面白いとおもったのは、月に照らされた道を歩いているわけだが、上五中七の「靴音に影の付き来る」の措辞である。音に影がついてくる、そんな風におもえたのがおもしろい。月に照らされた道の静寂、そこに生まれる靴音、澄みきった靴音だ。それ以外はなにも聞こえない、そして目を下におとせば、靴音にしたがうように影がある。きわめてクリアな影、そして靴音、この地上には、まるで靴音とおのが影しか存在しないかのようだ。いや、もうひとつあった、今を皓々とてらしている月。そう、今日の月だ。 校正スタッフの幸香さんは、〈満月の裏は真つ暗手酌酒〉心の奥底にあるものと対話しながらのひとり酒でしょうか。 平成二十二年秋、妻から渡された一枚のハガキは、初心者の為の俳句講座というものでした。 小規模の自営業者として全く文芸に縁無く過ごして来た私には少々荷が重いかなと思いましたが、年老いてからの時間の過ごし方を心配した妻が申込みをしてくれたので、取り敢えず参加してみようと、そのような俳句との出会いでした。 その時の講師が能村研三先生で、その熱心さに感動し本格的に俳句をやってみようかと平成二十二年十二月「沖」への入会を決意いたしました。 しかし、これからという翌年三月に、東日本大震災が発生した事は、忘れることができません。暫くの間、事務所や自宅の整理等で気持ちの切り替えがなかなか出来ませんでした。 作句についても、季語や語彙の不足、文語に馴染めず苦労しましたが、研三先生はじめ諸先生方や諸先輩のご指導で何とか付いていくことができました。 そして「沖」の素晴らしい仲間や温かな雰囲気も私に合っていて、何時しか十四年の月日が経っておりました。 俳句の世界ではこの程度の経験はまだまだ初心者の域を出ませんが、齢も八十の半ばを過ぎ、何か自分の生きた証の様な物が残せたらとの思いで、句集を上梓する事を決意いたしました。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 装釘は、山根佐保さん。 「光束」という句集名を、上手に活かした装釘となった。 ![]() ![]() 当初は、黄色のマットインクでこの光の筋を、ということであったが、印刷屋さんなどの意見も聞いて、いちばん、効果的な黄色の箔押しをすることに。 見返しは、箔の色とひびきあった黄色。 この黄色がこの句集に効果的につかわれている。 表紙もカバーと同じ用紙で。 光の筋は、型押しで。 扉も同じ用紙に。 花布、スピン、ともに黄色。 初明り吾が残燭を滾らしむ 先師登四郎の句に「初あかりそのまま命あかりかな」という句があるが、中西さんも元日の曙の光を浴び、残された人生を精一杯に、心を滾らせながら前向きに生きて行こうとする決意が見える句である。(能村研三/序) ご上梓後のお気持ちをうかがった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 目の前に自分の句集が山積みされた情景は,なんとも言えない不思議な感動が沸いてきました。 そして何度も読み直している自分が可笑しくなってきました。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい。 戦争を知る際に生きた者として、戦争体験句や反省句が何句か入れられたのは良かったと思います。 そして未熟な俳句で恥ずかしい気持ちと上梓できた達成感に満足しています。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 これからは力みのない句、きれいな句が一句でも作れたら思っています。挑戦してみます。 中西恒弘さま 第1句集のご上梓おめでとうございます。 ひとすじの光がつらぬく御句集となりました。 その光の先にみえてくるものをたいせつにこれからもご健吟くださいますよう。 八月や記憶の芯にある戦火 中西恒弘
by fragie777
| 2025-09-11 19:37
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Comments(2)
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