|
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
9月10日(水) 二百二十日 旧暦7月19日
「あれ、今日はお昼頃、雨がふるっていってたけど、降らなかったね」と言ったところ、 「いいえ、降りましたよ」ってスタッフ。 そうか、降ったのか。。。 そんなことも気づかず、仕事に夢中になっていたのか。 いや、お昼の時間だったら、お昼をばくつきながら性懲りもなくパソコンで〇〇ドラマを観ていたからか。。 あるいは食事後の午睡の時間だったのか。 いずれにしても少しも気づかなかったyamaokaである。 新刊紹介をしたい。 四六判フランス装帯ナシ 184頁 2句組 私家版 著者の内藤雅子(ないとう・まさこ)さんは、1933年甲府生まれ、俳句暦は長い方である。1953年、新聞や雑誌に悼句をはじめ、1980年「雲母」入会、「雲母」終刊後は、1993年「白露」創刊、会員。「白露」終刊後は、2013年「郭公」創刊、会員。現在は「郭公」の会員である。長い句歴の内藤雅子さんであるが、この句集は私家版としてごく少部数をつくられて、身のまわりの方々のみに送られたものである。 俳句で自分史を綴ることを友と約束し今回は第一作目としました。 飯田龍太先生をはじめ、佳き師、佳き友に恵まれひたすら歩んで来た道です。 目まぐるしい世相の中、近辺の些細な出来ごとが俳句となりました。自然の中に生活する人々の心を見つめ、四季折々の推移を俳句に記そうと心掛けて参りましたがいかがでしょうか。 「あとがき」を紹介した。 自分史としての句集である。 作者はことし92歳になられる。 本句集には、およそ70数年間の作品が収録されているのである。 句集のはじめのほうには、「飯田蛇笏先生葬儀 一九六二年十月三日逝去」という詞書きを付して、 秋のこゑ葬列漣のごとくなり という句がおかれているということからも、作者の俳歴の長さがわかるというものである。 この句のすこしまえには、「飯田龍太先生特選」として、〈秋彼岸やすらか山の音を背に〉の句、「松村蒼石先生特選」として〈山囲む秋昼の町ととのへり〉がある。 作者の内藤雅子さんが、まだ20代のころの作品である。 本句集は「自分史」とあるように、作者が結婚をされ、お子さんを生みそだてたこと、ご両親のこと、義父義母のこと、夫君のことなどがおりにふれて詠まれている。夫君の転勤などによって住む場所を変えられもしている。 まさに俳句とともにある人生であられたのだ。 本句集の担当は文己さん。 都電すぐ去りゆく秋を灯しつつ 夕映えの花野の人を遠く見て 街少しそれたる山の夕笹子 風の日は風に光りて雪柳 老人の手の柔かし盆の月 都電すぐ去りゆく秋を灯しつつ 句集の前半にある一句である。「都電」が走っていたころの句である。そのころの東京の風景が、都電を知っているわたしには甦ってくる。いまでも東京の早稲田近郊には都電は走っているが、かつての東京は便利な乗り物としていろんなところで人々は重宝していた。わたしは都電に乗って三軒茶屋から代々木あたりまで、受験のための予備校に通っていた思い出がある。この句、「秋を灯しつつ」という大掴みな措辞がいい、夏を灯すより、冬を灯すより、また、春を灯すより、しんしんと秋がふかまってゆく趣がある。都電が去っていったあとには、薄闇に人と車が往来している昭和の都会の風景のが残像としてある。 街少しそれたる山の夕笹子 まだ甲府にお住まいのころの一句だと思う。山々に囲まれた甲府盆地は、街をすこしそれるとすぐ山にぶつかる。夕暮れとなり街のはずれにやってきた。目の前には山がつらなる。よく知っている親しい山々である。近づいていくと笹鳴きが聞こえてきたのだ。買い物などで街にやってきたのだろうか。「街少しそれたる山の」という措辞が、街と山の距離の関係を作者の動きを主体にしつつさりげなく詠まれており、無理がない。「夕笹子」という下五の据え方も簡潔で巧みであるとおもった。 晴れて甲斐駒山藤は青の中 これはわたしの好きな一句である。七五五のリズムとなっており、たたみかけるように叙している。晴れ晴れと日差しのなかに緑かがやく甲斐駒ヶ岳が目の前にたちあがる。そして点在する山藤。その山藤の藤色をまず読者に感じさせ、その山藤は、まさに甲斐駒の「青の中」と簡潔に決め、山藤を擁する青嶺の甲斐駒ヶ岳を讃仰しているのである。読者の目には、その景がまるで絵画のようにやきつけられるのだ。 墓山のうしろ青空つくつくし 後半にある一句である。ちょっと不思議な一句だとわたしは思った。「墓山」とは、いろいろと解釈ができるのかもしれないが、わたしは、お墓などがある山と解釈した。田舎などでよく見られる景だ。あまり高い山ではなくて、人家の後方にひかえている山であり、その中腹あたりにお墓が何基がたっている。肉眼でもみえる高さであり、距離もちかい。この句、どうして不思議とおもったのか、思うに、「墓山のうしろ」という措辞である。「墓山の上」ではなく、「うしろ」が面白い。普通「山のうしろの空」とは言わない。空は山のうしろではなく、上にある。しかし、この「山」も「墓」が被せられると、そういうものかと納得してしまう。それは、「墓山」ということばが、山全体が「墓」であるかのような印象も読者にあたえるということもあるのだろう。そのうしろの青空であるから、やけに青空がせまってくる。しかし下五におかれた「つくつくし」が、青空の色をうちけすかのように悲痛な鳴き声をあげている。束の間の青空をホウシゼミの声の無常感が圧倒する。この青空、なんだか「書割」めいてもくる。 葉桜やランチタイムの街若き 句集の後半におかれた句である。作者は年齢をかさねてすでにお若くはないが、若々しい一句である。作者の瑞々しこころがとらえた初夏の街の風景だ。「葉桜」の季語がいい。ランチタイムとなって人々は街に繰り出した。葉桜の生命力にまけじと、人間も食欲旺盛である。そんな風景をまぶしく眺めている作者がいる。中7下5にふくまれている「イ音」が、リズミカルでこの句に躍動感をあたえている。 校正者のみおさん。〈日向ぼこ椅子の姑こぼれさう〉「小さなおばあさんが傾きながら眠っている様子が目に浮かびます。」 おなじく校正者の幸香さん。〈瀧となる水に木の影山の影〉に特に惹かれました。」 転勤、子育て、介護と儘ならない折に、龍太先生から一枚の筆太の葉書を頂きました。そこに書かれていたのは「継続は力」でした。大切な宝物です。 この言葉を胸に今日まで俳句を続けられました事は至福の極みです。 「あとがき」をふたたび紹介した。 装釘は、君嶋真理子さん。 内藤雅子さんには、装釘へのこだわりがおありだった。 紫色と黄色。 そして、フランス装。 月仰ぐ母はこの世を離れをり 集名となった一句である。 「NHK全国俳句大会 龍太先生特選 一九九五年」と詞書きがある。 「今回の句集は内藤雅子と名乗っておりました時代の句を編みました。」とあとがきに記されている。 心あづけて秋晴れの観覧車 内藤雅子 このご本を上梓された内藤雅子さんは、いま、きっとこのようなお気持ちでおられるのだろう。 烏瓜の花のつぼみ。 夜にならないと開かない花である。 ところが、友人がこのつぼみを切り取って、 バッグのなかにいれて家にもちかえったところ、 なんとバッグのなかで花ひらいていたということ。 要するに、烏瓜には夜が必要なのではなくて、 「暗さ」が必要なんだと言うことがわかったのである。
by fragie777
| 2025-09-10 18:52
|
Comments(0)
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||