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9月6日(土) 旧暦7月15日
朝焼けである。 明け方トイレに起きたときに。 わが生涯ではじめてかもしれない、 こんなふうに朝焼けをみるなんて。 (へえー、すごいぞ)なんて言いながら、iPhoneで写真に撮って、 このあとふたたびぐっすり寝てしまった。 昨夜の大阪・梅田蔦屋書店でおこなわれたイベントは充実したものであったようだ。 わたしは夕食をすませてアイスクリームをパクついていたら、スタッフのPさんから電話がはいった。 「終わりましたあ。おもしろかったあ」と。 で、いろいろと興奮さめやらぬ状態のまま、パネラーの方たちの発言を話してくれたのだった。 それぞれの方の発言が興味ふかいものがあったらしいのだが、とりわけ大辻隆弘さんが語る歌人・岡井隆にはいろいろな発見があったようである。 このイベント内容はすべて録音し、「ふらんす堂通信」に掲載する予定である。 あーあ、無事に終わってよかった。。 「百首シリーズはいいシリーズですね」って言われました。ということで、担当のPさんはおおいに励まされたのではないだろうか。 さらに充実したものにしていきたい。 イベント会場風景。 イベントにいらしてくださった皆さま、ありがとうございました。 パネラーの藤原龍一郎さま、大辻隆弘さま、林和清さま、お疲れさまでございました。 梅田蔦屋書店の永山さま。なにからなにまでお世話になりました。 ご尽力に感謝するばかりです。 スタッフのPさんもお疲れさまでした。 寺山修司、塚本邦雄、岡井隆が、かつて一緒に映画を観たことがある、という情報には驚いてしまった。 今日の讀賣新聞の夕刊の「俳句とことば」に森賀まりさんが、「移ろう時、受け入れる季語」と題して、三冊の句集をとりあげ評しておられる。 それぞれ抜粋して紹介したい。(全文を紹介したいところなのだが、ままならず) 片山由美子句集『水柿』 端正さのなかに揺らぎをたたえる句集である。〈きさらぎやひそかに点る読書灯〉は、「衣更着(きさらぎ)の語感を響かせつつ、灯火の温みに体感が添う。(略)〈母にまだ生くる力や白木槿〉では、「まだ」という息遣いが「白木槿」に届く。生きていてほしいと願う純粋が花を選ばせるが、同時にその花はやがて枯れ失われる。季語を添えることは、時の移り行きを受け入れることであるもある。〈白さくつきり鷹の羽芒なる〉の句には、師を悼む心が託されている。「鷹の羽芒」は白い筋を持つ芒の一種で、鷹羽狩行を偲ばせる。穏やかなその受容には、この人にしかない深い寂しさが漂う。 対中いずみ句集『蘆花』 〈冬たんぽぽ決めてしまへば気が楽に〉〈鉄片のやうに蝿ゐる花八手〉などの即吟性が、師を超えて波多野爽波を想わせる。「秋草」入会以降は素材との距離の詰め方に変化があり、言葉の速度が増したようだ。(略)掉尾近くの〈笏見せて立ちたる神や水の秋〉には、冷えた美意識が光る。師系をあらためて考えさせる一冊だ。 若林哲哉句集『漱口』 第1句集。1998年生まれながら句歴は10年を超える。本書は〈新涼や葉脈に似てシャツの皺〉という透徹した句に始まる。(略)句集名は〈山吹の散り浮く沢に漱ぐ〉より。清流に折り畳む肢体と樹木の間から差す光が瑞々しい。あとがきで著者は、俳句は「ひとときの安寧をもたらす」と記す。現代を「単純な生存すら難しくなりつつある現世」と見据えるその認識は重い。その奥の光の届かない場所を抱えつつ、句集は真摯な光を放っている。 今日一冊の本を買った。 そして、驚いたのだった。 トーマス・マンの『トニオ・クレエゲル』がいつのまに『トニオ・クレーガー』という邦訳名になっていたことを。 いったい、いつから。 クレーガーじゃない、クレエゲルだよ、って名前がでてくるたびに、心でさけぶわたしがいる。 しかし、クレエゲルからクレーガーの間には、50年以上の歳月がある。 なんということ! Pさんの飼い猫の「きいちゃん」
by fragie777
| 2025-09-06 19:51
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