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9月3日(水) 旧暦7月12日
アオサギ。 仙川でひさしぶりに見た。 コサギである。 ほかにゴイサギもたまに見られるが、ごくたまである。 これはコサギ。 今日もクイーンズ伊勢丹にて、ホットビスケットを二袋購入。 そして、スタッフたちに配った。 「あたためてね」と言いながら。 甘いものをほとんど食べないPさんでさえ、食べたというのに、わたしはまだ最初のものがティッシュにくるまれたまま目の前にある。 今日も、どうしようかなあって1分くらいは逡巡して結局食べなかったのである。 わたしがせっせっと原稿整理をしているところに、 「ああ、面白かった。結局全部読んでしまいました」と言って渡されたのがこの俳誌。 「オトナりぼん」2025年7月創刊準備第2号 編集発行人 北大路翼 「フーン、何が面白かったの」と聞けば、 「鴇田智哉さんと北大路翼さんの対談」という答え。 「それぞれの視点」というタイトルだ。 お二人が並んだ写真があって、こっちを、なんか文句あっか、ていう感じで鋭く睨んでいる。 「おもしろくて一気に読んでしまった」とPさん。 どこが面白かったか聞いてみたところ、全部がおもしろかったらしいのだが、 「似たことがあり河骨の花の辺に」という鴇田さんの句について、北大路さんが「似たことがあり」の表記のことで、 何となく考えさせる。自分としては表現がこれで足りるんですか。僕はもっといろんなこと言いたくなっちゃうんですけど、河骨のあの辺に死体があったとか(笑)ゴミ捨ててあったとか、「似たことがあり」なんてこんな我慢のしかたで、批判というか、そこからもっとツッコまないのでいいのかと思っちゃう。(略) 智哉 我慢っていうか。推敲の段階ではもうちょっと余分なことが入っていたりしなくもないですね。ただ、この句は、河骨、がポイントだと思うんです。四音の夏の花なら、紫陽花、鬼百合、ネモフィラ、マロニエ、向日葵。などがありうるし、この句にそれらの花をあてはめても成り立ちます、違いは、それぞれの花がどんな「場」を連れてくるかだと思うんです。河骨が連れてくる「場」というものを考えると、この句は「似たこと」で事足りる、自分で判断したのだと思います。 Pさん、この「それぞれの花がどんな『場』を連れてくるか」という鴇田さんの発言にいたく感銘をしていたのだった。 そして、この対談は、北大路さんによって引き出された「鴇田智哉論」になっているとも。 それのみではもちろんなくてその逆もあるんだけど。 いろんな話が日常会話風にざっくばらんにでてきて、ふーんって言いながら読む面白さがある。 最初の方で世代の話がちょっと出て、鴇田智哉さんと同じ年なのが、関悦史さん、一つ年上なのが、佐藤郁良さん、榮猿丸さん、高山れおなさん、五島高資さん、田中亜美さんがちょっと下、とあり、Pさんとへえ-って思ったのだった。ちなみに鴇田智哉さんは、北大路翼さんより10歳くらい年上であるということ。 こんな話題も、あんがい意外だったりしてミーハー的に興味がある。 この対談、気取りのないざっくばらんな対談であるけれど、大事なことが平易に語られていてたいへん読みやすい。 鴇田さんの「目だけになりたい」という発言も面白かった、とPさんは言って先に帰ってしまった。
by fragie777
| 2025-09-03 18:58
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Comments(2)
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