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8月18日(月) 旧暦6月25日
榎の実。 すでに秋の気配が濃厚である。 神代水生植物園にて。 どうやら風邪をこじらせてしまったらしい。 昨夜から咳がでるようになり、熱はないのだが身体のきれがわるい。 ということで、お医者に行った。 スタッフたちがコロナを心配するので、コロナの検査もしてもらったところ、陰性だった。 咳は体力をつかうのでツライ。 しかし、休み明けである。 仕事をがんばらねば。。。。。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 244ページ 二句組 「香雨」主宰、俳人・片山由美子(かたやま・ゆみこ)さんの第7句集となる。 まず、あとがきを紹介したい。 本句集には、二〇一九年一月から二〇二四年一二月までに発表した作品の中から三八九句を収めました。 当初は、主宰誌「香雨」が五周年を迎えたのを機に、二〇二三年までの作品をまとめるつもりでしたが、準備を進めていた昨年五月二七日に、鷹羽狩行先生が逝去され、以後、「香雨」の追悼企画、総合誌各誌の追悼特集の準備に追われることとなりました。その間、俳句入門以来四五年にわたりご指導いただいた先生の作品を読み返し、教えを思い起こすなど、貴重な時間だったと思います。先生からは多くのことを学びましたが、最も大切なのは俳句の格調ということだと思っています。それを今後も作句の指針にしていくつもりです。昨年、総合誌から求められた追悼句も含め、先生の作品に呼応して詠んだ句を最後に収めました。 「総合誌から求められた追悼句も含め、先生の作品に呼応して詠んだ句を最後に収めました」とあるこの章のタイトルは「大いなる鳥」である。 師への追悼をこめたオマージュである。 大いなる鳥の飛び立つ青嵐 また、本句集には江戸の絵師・若冲の絵に触発されて作った「動植綵絵頌」と題した作品群がある。作者の意欲的な試みである。それについて、片山由美子さんは「あとがき」にこう書いている。 しばらく前から、若冲の絵に俳句的なものを感じており、「俳句」(KADOKAWA)の巻頭五〇句の依頼があったときに、若冲の絵をヒントにまとめられないかと思いました。思いついたのは、頭の中で若冲の絵を3D化し、その世界に入り込んで俳句を作るということです。したがって、素材はすべて若冲の絵の中にあり、若冲が見たものということになります。俳句として成功しているかどうかは分かりませんが、楽しみながら作った五〇句を一章にしてみました。 白象の歩めば軋む夏の闇 それぞれ一句のみ紹介してみた。 本句集の担当はPさん。 Pさんの好きな句はたくさんあったが、そのうちの数句を紹介したい。 切口のしずかに揃ふ年木かな 睡蓮や水は平らを強ひられて 母にまだ生きる力や白木蓮 初寝覚したしきものに雨の音 蒔けばすぐ地のものとなり花の種 鵙鳴くや布巾はりりと乾きたる 花冷のうすき夕刊とどきけり たたむとき昔のにほふ日傘かな 朝の庭けふの落葉のために掃く 帰省して一冊の本持ち帰り 緑陰の白き鸚鵡の声立てず はかなさを色にかたちに黄蜀葵 呪文吐くごとく天南星の花 蛍待ちゐて一行にはぐれたる 新涼といふこと声に出してみて 十月や永久に誕生月として 睡蓮や水は平らを強ひられて 睡蓮は水に咲く花である。水の表をおおうように葉が平らにひろがり、そこに浮き立つように睡蓮が咲いている。おおわれている池の水面は水がほとんどみえず、睡蓮はまるで水を制覇しているかのようだ。その様子を「水は平らを強ひられて」と詠んだ。睡蓮の勢いがみえてくる一句であり。ひろびろとした池の様子もみえてくる。 たたむとき昔のにほふ日傘かな ああ、この感覚わかるなあって思った一句である。「昔が匂う」というのだけれど、どんな匂い、昔っていつごろ、とか考えてしまうと、はたと首をかしげてしまうのだけれど、日傘をたたむ行為って、情趣があるというか、おもえば「日傘」は大人の持ち物であり、通常子どもはもたない。最近の猛暑によって、男性も日傘をさすようになり、やがて子どももさすようになるのかもしれないけれど。日傘は雨傘にくらべて女性たちに意識的に愛用されてきたものでもある。雨がふるから無造作に傘をさすのではなく、日差しの強さに肌がやけないようにある繊細な思いをこめて傘をさす。そういう丁寧な思いが日傘をさすことのなかに籠められているのである。そんな気持をつちかってきた人のこころは、傘をとじてたたむときにふっと懐かしさを感じる。その懐かしい思いを「昔のにほふ」と叙したところが、巧みであると思う。その匂い、わたしも体験したことがきっとある。 帰省して一冊の本持ち帰り わたしも好きな一句。だれにもこんな経験があると思う。この一冊、かつて読んだ本であり捨てずに本棚におかれていた一冊だ。ひさしぶりに帰省をした。そして本棚をのぞいたところ、懐かしい一冊にであったのだ。もう一度読んでみよう、あるいは手許においておこう、そう思って鞄にいれた。さらにこの「一冊」というのが、なにか作者にとって抜き差しならない、アイデンティティーにかかわるもの、そんな風にもおもえてくる。この一句からは、鞄につめこんだ一冊であるかもしれないけれど、なにか作者が大切にかかえて持ち帰ったような印象をうけもする。それほど、作者のこころに近い一冊なのだ。想像がふくらむ一冊である。 緑蔭の白き鸚鵡の声立てず 「動植綵絵頌」の章にある一句である。若冲の白の鸚鵡の絵は何枚かある。わたしも実物をみたことがある。この白き鸚鵡は、「老松鸚鵡図」と題した松に二羽の鸚鵡がとまっている絵であると思う。それに寄せた一句である。ひとつの絵にたいしての挨拶の一句である。思うにあの若冲の絵にそれぞれ50句を挨拶として寄せたわけである。そこがすごいとおもう。わたしたちが、若冲の絵をみて、「ああ、いいね」とか「この白がいいわ」とか『鶏すごいね」などと言うかわりに一句一句俳句によって挨拶をされたわけである。おしつけがましくなく、粋で上等な挨拶ではないだろうか。俳句ならでは、とも思う。「楽しみながら作った」とあとがきにあるのもいい。 十月や永久に誕生月として 本句集の最後におかれた一句であり、「大いなる鳥」の最後の句となる。師・鷹羽狩行へのこころからのオマージュである。10月5日は鷹羽狩行氏が生まれた日であり、第1句集『誕生』の刊行日でもあった。この「永久に」ということば、俳句のなかに詠み込むのはたいへんむずかしい。安手な歌謡曲の歌詞となってしまう。しかし、この句の場合、この「永久に」が、作者の澄みきったこころ見せ、句に格調をあたえている。鷹羽狩行という俳人がこの世にうまれたことへの祝福の一句とも。 ほかに、 たましひの触れ合ふ音か春の雪 知らぬ子の吹くしやぼん玉わが肩に 露けしや鍵に公私のあることも ひぐらしや錆びゆくものが家中に 引く波の残す光や春渚 「水柿」は色の名前です。その色の魅力もさることながら、ことば自体に惹かれて句集名にしました。美しいものはもちろん、人の喜びや悲しみに心を寄せつつ丁寧に生きることで、自分なりに納得のいく句を作り続けられたらと思います。 「あとがき」である。 この本の装幀は、君嶋真理子さん。 装画は、日本画家の菅原さちよさん。 片山由美子さんのご希望である。 カバーの折り返しにも、絵をたっぷりと配し、 見返しは、金銀の箔のある用紙。 表紙は ごく淡いピンク。 装画を型押。 扉。 それぞれの章に、菅原さちよさんの絵を配した。 花布は、金。 栞紐は、オレンジ。 開かるること待つ扉大旦 私にとって俳句は、声高にものをいうためのものではありません。社会に向かって何かを主張するというものでもありません。平凡な日々の営みの中で、小さな発見や驚きをことばにするささやかな営みに喜びを見出してきました。(あとがき) 担当のPさんの感想である。 片山由美子先生のお誕生日の令和7年7月17日と、7に合わせて刊行できるように頑張りました。 装丁の色味も細部までこだわられ、何度も打ち合わせを重ね、装丁画の菅原さちよさまのスケッチをふんだんに使用しました。 最後の鷹羽狩行先生への章は、最初に御原稿をいただいて拝読したときに涙がこぼれそうになりました。 『水柿』の作品を通して「鷹羽狩行」という俳人の偉大さが伝わると同時に、片山先生の鷹羽先生への思いを通して、生前の鷹羽先生との温かく優しく時に愛を持った厳しさの思い出が蘇ってきました。 かなりのハードスケジュールであったことは、わたしも傍からみていて、よくわかった。 Pさんはよく頑張ったとおもう。 「片山由美子句会」の担当スタッフとして敬愛をしている片山由美子さんである。 その方の句集と言うことで、Pさん、楽しそうに、そしてめちゃくちゃがんばった。 片山由美子さま 常日頃より句会の御指導をいただきありがとうございます。 また、この度は第7句集のご本を刊行させていただきました。 心から感謝申し上げます。 ご健勝とご健吟をおいのりもうしあげております。 紫苑すつくと孤高の丈を伸ばしをり 片山由美子
by fragie777
| 2025-08-18 20:37
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Comments(2)
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
村山半信さま
ありがとうございます。 咳がなかなかぬけず、難儀をしております。 無理をせずに仕事に向き合いたいと思っております。 (yamaoka)
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