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7月31日(木) 旧暦6月7日
百日紅(さるすべり) いまいちばん目にする花かもしれない。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、山口昭男俳句日記『花信草信』 より。 百日紅を詠んだものである。 家内安全無病息災百日紅 山口昭男 「音読するとなんとも快く、まさに家内安全無病息災の気分になる。静かに咲き続けるサルスベリがこの夏の護符であるかのようだ。」と坪内稔典さん。そして、「余談だが、サルスベリは幹をそっとさすってやると、枝先の花がひそかに揺れる。この木の別名は『くすぐぐりの木』」と。 「くすぐりの木」。。。 知らなかった。 こんどやってみよう。 今日は午後3時より、俳人の藤本美和子さんがご来社くださった。 ことしのはじめに『綾部仁喜全句集』(藤本美和子編)が刊行となったが、そのご挨拶にとあらためてご来社くださったのだ。 なんと律儀なこと! わたしの方が御礼をもうしあげなくてはいけないのに。 『綾部仁喜全句集』を間において、ひとしきり綾部仁喜先生の思い出をなつかしく語り合ったのだった。 11年の間に声帯をうしなったまま入院されていた綾部先生を弟子としてささえつづけたのが藤本美和子さんだった。 俳誌「泉」の編集の仕事のみならず発送の仕事まですべて藤本さんの肩にかかっていた。 わたしも何度かお見舞いに伺っているが、いつも藤本美和子さんが運転する車で連れていってもらっていたのだ。 「田中裕明賞をぜひに創設しなさい」というメモをいただいたのも、このお見舞いのときである。 「あのときのことは、わたしもよく覚えているわ」と藤本美和子さん。 綾部先生は、ベッドにしばりつけられていても、声帯をうしなっていても、俳句の世界のことはよく見えていたお方だった。 そういう文脈のなかでの「田中裕明賞の創設を」という言葉だったと思う。 おもいもかけない言葉に、わたしは当初はちょっと逃げ腰であったけれど、綾部先生がおっしゃる思いはよくわかった。 その言葉は、ただ俳句のためにという思いのみで、俳壇政治的なはからいもご自身の利などとははるかに遠いところにおられた方だ。 あまりにも唐突であったけれど、若い俳人のかたが励みになるような賞がうまれたらそれは素敵なことであるとはおもった。 「田中裕明賞」というのはすごく魅力的だけど、ふらんす堂には荷が重いな。。。っておもった。 しかし、綾部先生が、八王子のベッドの上から、仙川のふらんす堂に念力(スーパービーム)をおくられたのだろうか。 わたしは「田中裕明賞の創設」を決意したのだった。 藤本美和子さんは、綾部仁喜先生の厳しい教えをうけてこられた方だ。 だから、その厳しさを継承して、俳句に対してはそれは厳しい姿勢をつらぬいている。 おしゃべりをしているとあたりは柔らかく明るい方であるけれど、こと「俳句」になると頑固一徹の厳しさがある。 右顧左眄しない、ゆるがないものを持つ、それは本来あるものではなくて、育てられたものなのだ。って思う。 綾部先生は、りっぱに弟子を育てられたとこころから思う。 って、ちょっとyamaokaえらそうじゃない。 藤本さんとたのしいおしゃべりをしていても、こと俳句になるとそのゆるぎない厳しさがガツンと顔をだす。 おお、これだね、っておもうことがいくたびも。。。 藤本美和子さん。 そしてこれはお土産にくださった梅干し。 今年も9㎏の梅干しをつくられれたとのこと。 昨年のものと今年のものがミックスされているということ。 「一年おいたくらいのほうがおいしいのよね」と藤本美和子さん。 この梅干しで今年の猛暑をのりきりたいyamaokaである。 午後3時にいらして、おおいに話がはずみお帰りになられたのが、午後5時過ぎ。 たのしいひとときだった。
by fragie777
| 2025-07-31 19:28
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