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7月22日(火) 大暑 旧暦6月28日
まさに夏らしいどこかなつかしい景である。 ![]() 緑がまだ疲れていない。 藺草の花が咲き、 足元には、夏菊が咲いている。 今日は大暑。 今朝パートさんのIさんが、歩いていて急に汗がふきだして、うずくまってしまったという話をしていた。 それって明らかに熱中症よ。 どうやら熱中症はとつぜんおそってくるのね。 お互い、気をつけましょう。 紹介しなくはていけない新聞記事などがあるのだけど、今日は新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 角背 206頁 二句組 著者の遠藤容代(えんどう・ひろよ)さんは、1986年東京都生まれ。2015年作句開始。2017年「未来図」入会、のち退会。2018年「天為」入会。現在「聲」・「天為」所属。俳人協会会員。「聲」は、お母さまの遠藤由樹子さんとふたりではじめられた俳誌である。本句集には、「天為」の日原傳さんが序文を、遠藤由樹子さんが跋文を寄せられている。 日原傳さんの序文をまず抜粋して紹介したい。 容代さんの俳句の特徴としては、まず自由でのびやかな把握とやわらかな言葉使いが挙げられよう。それは動物を詠んだ句に顕著である。 と書き、たくさんの動物を詠んだ句をあげている。そのうちのいくつか。 梟はどんな名前が似合ふらむ 春惜しむすぐに大きくなる熊と 若葉雨ドッグフードをうさぎ食べ 冬晴の鳥語だんだんわかりさう 冬泉野生の馬も来るといふ 人間の行動の一場面をあざやかに切り取って示す句もその特徴の一つである。として、数句をあげ鑑賞をほどこしている。 春の昼棒もて帽子下ろされぬ 判決を伝へに外へ天高し あとは戻るのみの岬よ夏怒濤 跋文を寄せられた遠藤由樹子さんは、容代さんを俳句にみちびいた方でもあり、母としてのまなざしのみならず、俳句の先達として時間をかけてみつめてきた作品に寄り添うように細やかにしてあたたかな鑑賞を寄せている。 春の水見て懐かしくなりにけり 本人のあとがきにもあるが、思いもよらない人生の転機の中で始めた句作である。多くを語らない作者だが、この句を詠んだ当時はさだめて大変な時期であったに違いない。二十代にして既に懐かしいと感じる時代を持つ作者が、新しい場所を得てスタートに立とうとする懸命な願いの籠もる一句であると思う。春の水の明るさに、懐かしさと希望を感じる。 手袋を明日の鞄に入れておく 手袋の句は句集掉尾に置いた作品である。明日という言葉はつくづくよい言葉であるということを作者に伝えて、私の跋文としたい。 本句集の担当は、Pさん。 梨一つほどのよきこと友来る 標本に透明な糸冬近し あたたかや双眼鏡に軽く酔ふ 六月や火を囲むごと輪読し 暖房や静かな人と気が付きぬ その下のほの明るくて冬紅葉 冬晴の鳥語だんだんわかりさう 手袋を明日の鞄に入れておく 梨一つほどのよきこと友来る この一句は、遠藤由樹子さんも跋文でとりあげている。わたしも好きな一句である。「『梨一つほどのよきこと』という気持ちの表し方はいかにも作者らしく、一句の奥から瑞々しい情感が溢れてくる。」と。作者をよく知る人である故の鑑賞である。友人がやってくるということ、それが作者にとって梨を手にしたときのような喜びであるということ、さらにその友人は梨の果実のようなさっぱりとした爽快感をおもわせる人であるかのように、友人と梨が一句のなかでひびきあう。そして作者にとっての梨という果物がしめる格別な思いも清々しい印象をあたえる。友も梨もとても大切。 あたたかや双眼鏡に軽く酔ふ 日原傳さんが、「注目した句」としてあげれおられた一句である。冬のよく晴れた日に、野鳥観察にでかけたのだろうか。冬の枯の世界はいちばん鳥の姿をとらえやすい。この句はおもしろさは、「軽く酔ふ」という言葉である。双眼鏡をのぞいていて「酔う」という感覚はあまり体験したことはないが、上五におかれた「あたたかや」によって、夢中になりすぎて双眼鏡を覗いていたところ、やや気持があたたかさに弛緩してしまったということがわかる。多くを語らず、「双眼鏡に軽く酔ふ」というやや乱暴な措辞が、「あたたかさ」の裏付けによって、読者はなっとくさせられるのだ。まったりとした気分がおおうなか「双眼鏡」のみはその硬さを固辞している。その物質感が読後に伝わってくることも面白い。 原題は簡潔であり冬銀河 これはわたしが好きな句である。日原さん、遠藤さんともにとりあげている。翻訳のお仕事もされている遠藤容代さんである。「小説や映画などの原題と邦訳とを見比べている場面。考えるところがあるのだろう。」と日原さん。「或る日の作者の姿が息づいている。」と遠藤さん。邦訳をしていて、タイトルをつけて仕事をつづけていたところ、ふっと原題を改めて確認して、その簡潔さに思い入ったのである。その原題の簡潔さへのオマージュとしての「冬銀河」なのだ。夜の翻訳仕事をしていて、そんな思いに出くわすということもある。簡潔さとは単純とはまったく異なるのであるということ、「簡潔」であることの清々しさの心持ちでもって、天空にまたたく星々をみあげたのかもしれない。余談であるが、原題はそっけないけど邦訳タイトルがとてもいいっていうのがある。フランスの映画でフランソワ・トリュフォー監督の「突然炎のごとく」のタイトルは「Jules et Jim」。カトリーヌをめぐる二人の男性ジュールとジムの名前をタイトルにしたもの。断然、邦訳名のほうがいい。ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌがとびきり美しいこの映画、「突然炎のごとく」というタイトルに引かれて見に行った映画である。 冬泉野生の馬も来るといふ 帯の一句である。日原さん、遠藤さんともにとりあげている。「作者は林中の小さな泉の前に佇んでいる。清冽な冬の水面である。下五の「来るといふ」の一語から、野生の馬が水を飲みに来ることもあるらしい泉だとわかる。眼前にいないからこそ、見えてくる野生の馬だ。」と遠藤さん。そして「この野生馬もまた、作者の資質の片鱗を表すもの」と。「冬泉」と「野生の馬」とのとりあわせが印象的だ。おもしろいのは、遠藤さんが簡潔に指摘しているように「眼前にいないからこそ、見えてくる野生の馬だ」ということである。作者は実際にみたのではない。伝聞によってそれを想像したのである。そしてわたしたち読み手もまた、冬泉に映った野生の馬を想像する。そのイメージはやがて想像の枠をはみだして、私たちの脳裡にくいこんでくる。生暖かい息遣いまで耳元でしそうである。深閑とした冬の凍てつく泉であるからこそ、馬のいのちの躍動するはげしさがみえてくる一句である。そしてその野生の馬は、生々しい残像として強烈に泉辺でありつづける。 手のひらをあくびに添ふる八重桜 これはわたしのみが選んだ一句である。人間がよくやる行為を丹念に平然と描写して句であり、それに一瞬笑ってしまったのだが、下五におかれた「八重桜」の季語が抜群にいいとおもったのだ。作者は、たまたま八重桜の季節に、そういう行為をしたかあるいは誰かがやったのかを見たのかもしれない。しかし、普通はそれを俳句としてあえて叙すことはまれだ。この行為、詠めばとてもしとやかな行為である。手で欠伸の口をおさえたのではなく、あくまで手の平をあくびに「添」えたのである。なんとも上品な趣。こういうゆったりとした上品さは、たいへん「八重桜」にふさわしい。って思った。「八重桜」でなければ成立しなかった一句。八重桜がさく季節は、とかく眠気もおこる。身体がゆるむ季節である。なぜか、八重桜って、ふつうの桜より、たっぷりした時間をかんじるのよね。 わたしも欠伸をするときは、かくのごとく手のひらをあくびに添えていたしましょうって思った次第。 ほかに かたつむり一枚の葉を傾かす 涅槃図を真正面より斜めより 初蝶や汚れてもいい靴を履き 受付の金魚長生きまだ生くる ほうたるの百葉箱のまはりに 本句集は、俳句を始めた二〇一五年から二〇二四年までの十年間の句から三百二十一句を選んで収めたものである。母が俳句をしていたのをずっと間近で見てきたが、やってみようとは不思議と思わなかった。それが病や環境の変化が重なり、俳句の道に足を踏み入れるようになった。今は、その巡りあわせに深く感謝している。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 「あとがき」には、俳句をみちびいてくれた方々への丁寧な御礼のことばが記されているが、ここでは上記の抜粋にとぞめた。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 上品で落ち着いた色合いの一冊となった。 タイトルは金箔押し。 写真は地味になってしまったが、実物はもっと生気のなるグリーン。 角背が若々しい。 扉。 赤の花布。 容代さんは母の由樹子さんとともに昨年七月に俳誌「聲」を創刊された。一年に二回ぐらいのペースで発行の予定という。俳句は言うまでもないが、複数ある文章も面白い。活動を拡げてゆく容代さんに期待するところ大である。(日原傳/序) 遠藤容代さんより、本句集の出来上がりについての所感をいただいた。 1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? とても美しく瀟洒な本に仕上げていただいて、大変うれしく思いました。どの句を入れようか、この句は止めようか、これで大丈夫かなど悩むこともありましたが、そのような思いが報われたような気がしました。カバーのデザインから表紙の色、栞、花切れまですべて細やかに神経が行き届いていて、何度も手に取ってはよろこんでいます。淡いグリーンの表紙を眺めているだけでも、心が落ち着きます。深い思い入れを持てる本が出来上がったことに感謝しかありません。 2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 俳句を始めてから十年、普通より遅く大学を卒業したり、家で出来る仕事をするようになったり、コロナ禍に見舞われたりと色々なことがありましたが、それらを肯定的に受け止めていきたいという思いを籠めました。一句一句を読み返すと、その時の自分がまざまざとよみがえります。あんなことで悩んでいたな、焦りを感じていたな、など、当時から遠ざかったからこそ、見えてくるものがあるなと思いました。 3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 季節の移り変わりに毎年心動かされます。そうすると、何か詠みたいなという気持ちになります。日常生活においても、自分の心の動く瞬間があります。そうしたものをこれからも見逃さず、積み重ねて詠んでいきたいと思っています。 遠藤容代さん{左)。お母さまの遠藤由樹子さんとともに。 ことしの1月22日にご来社くださったとき。 灯台は時の外れや南風吹く 作者の精神の奥行の深さが宿る句である。俳句は細心な詩形だが、自由な詩形でもある。何より息が長い詩だと思う。(遠藤由樹子/跋) 多くの人の祝福のうちに編まれた一冊であると思った。
by fragie777
| 2025-07-22 20:01
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