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6月14日(土) 旧暦5月19日
神代植物園の今日の大鷹の雛たち。 なんと三羽も生まれていた。 餌をまつ雛鳥。 飛び立たんばかりだ。 この後、親鳥がやってきて、餌をあたえたあとふたたび飛び去った。 次にあうときは、きっと大きくなっているだろう。 いつ来られるかしら、と思いをのこして立ち去ったのだった。 新刊紹介をしたい。 四六判コデックス装三方ミーリング 160頁 5句組 著者の大塚凱(おおつか・がい)さんは、と書き始めて略歴がないことに気づいた。ということで、そういう紹介はなしていきます。本句集は、1ページ5句組、収録句数を数えてはいないが、およそ700句以上はあるのではないか。かなり小さな活字で天地揃えでなく、句がならんでいる。略歴はないが、大塚凱という俳人を知っている人はおおいので、この句集が第1句集であるということはわかると思う。 わたしは、先ほどこの句集を拝読し終えたのだが、さて、いったいどんな風に紹介をしようかって、思っている。というのは、数が多いばかりでなく、充分に編集はされた句集であるとしても、厳選に厳選をかさねて多くの句を振り落とした句集という態(てい)ではなく、(実際はそうであったのかもしれないが)もっと読者にさりげなく日常の顔をして作者がそこにいる、そんな身振りの句集のような気がしているのだ。気負いがないと言ったら言い過ぎだろうか。多くの俳句の文体は、切れ字を用いて、できるだけものを言わず物に託することで表現していくのであるが、本句集においての俳句の文体は、なんといったいいのだろうか誤解をおそれずに言えば、定型の中で作者は放心している。けっこう自由に放心をしている、それがわたしには面白かった。どちらかというと、韻文で書かれた俳句は切れ字などによって感動や余韻が求心的に緊張感をともなって詠まれていくのではあるが、大塚さんの文体はもとよりそうではなくて、そういう緊張感からはまったく自由で脱力している。ヘンな言い方かもしれないが、気合いをいれて脱力しているようにおもえた。ただ、次から次へと展開していく作品世界は、さまざまにどのようなものをも俳句にして読ませるという作者の力量をおおいに感じさせるものだ。 最初はこんな風に句集ははじまる。 もの言はず墓参の父にライター貸す ひとりになるために墓参の水汲みへ おもかげのなくて水澄むベンチかな いつか住む街を迷へば鰯雲 3句目に「かな」が用いられているが、この「かな」が「ベンチ」をことさらに際立たせようというはからいではないように思える。 定型に託しながら、作者はすきなように言葉を選び叙していく。しかし、一見、心をゆるく叙しているように見せながら、言葉は巧みに選ばれており余韻がある。 この本の担当はPさん。 Pさんは、大塚凱さんの本作りへの要望に楽しく応えながらの編集作業だった。 Pさんの好きな句を紹介したい。 目つむりゐても西日がつらぬくバス 春雨にまぎれるやうに借りて住む ちるかもめ成人式へいかぬ午後 白息やよく燃えさうな小屋の中 覚めて春胸に振り子の音ひらき 目つむりゐても西日がつらぬくバス この句、「西日」がバスをつらぬいている、ということだけでも一句になる句であるが、「目つむりゐても」もが、冒頭におかれることによって、「西日がつらぬくバス」が、目をつむっている主体の脳裡に心地よく吸収されていく、そんな風に感じられてくる。夕暮れのバスに目をつむって体をあずけて乗る、そのゆったりとした解放感も伝わってくる。この句「ゐても」では、永遠にふっとふれたようにおもった。 春雨にまぎれるやうに借りて住む 部屋をどこかに借りたのだろう。「秋雨」でもなく、「夏の雨」でもなく、「冬の雨」でもない「春雨」に「まぎれるやうに」とは。どう言ったらいいのだろうか。春雨って絹のように細い雨、そして柔らかな雨、その「春雨」の気配のなかにひそやかに部屋を借りて住む。「借りて住む」という現実的な営為もまた春雨のはかなさのようにおもえてくるのだ。 ちるかもめ成人式へいかぬ午後 上五と中七下五にいったいなんの関わりがあるのだろうか。と思ってしまうが、「成人式へいかぬ午後」のその時間をかかえて、そしてやや暗鬱とした気分のままに海辺にたっている。成人式に行かないで海に来たのよね、成人式なるものが自分にもたらす意味とは、なんて考えているのかしら、そんなんではなくて、なんとなく行く気がしなくて海にやってきたのだろうか、空を鴎がたくさん飛んでいて、その鴎が一斉に飛び去ったのか。この句「ちるかもめ」とひらがな書きで上五において、中七下五を導きだしているのだが、「ちるかもめ」という音の響きの逼塞感が成人式へいかぬ若者の鬱屈した心の陰翳を効果的にしている。余談だけど、yamaokaも成人式には行かなかった。もちろん振り袖なんて着なかったし、成人式、ケッって思ってた。大塚凱さんはそんな風にではきっとなかったから、海で鴎をみていたんだって思う。ああ、でもこの作品主体は大塚さんとは限らないのよね。 覚めて春胸に振り子の音ひらき この句、叙法がきわめて巧みである。「覚めて春胸に」と破調ではじまって下五へとさりげなく導いていく。ハ行の音とラ行の音がたいへん効果的であり、「音ひらき」と言い止めたところに余韻がうまれた。しかし、巧まずして一挙にできた俳句ではないかと思う。「音のして」とかでなくて「音ひらき」と詠んでみせたところに春駒の命のあかるさを導きだした。素敵な一句だ。 猫の子のあくびまるごと貌の中 これはわたしの好きな句である。猫の子を欠伸を的確に描写していて、ほんとうにその通りっておもった。下五の「貌の中」がなんとも上手いっておもう。 校正スタッフのみおさんは、〈文体がちがふ夜食のまへとあと〉「ほのぼのとしたおかしみもあって大好きです。緻密で完成度の高い句の数々に圧倒されました。」 本句集の装釘は、三橋光太郎さん。 三橋さんは、句集のゲラをしっかりと読んでくださり、 大塚凱さんをまじえて担当のPさんとともに打ち合わせをしてつくりあげた一冊である。 ふらんす堂としてもはじめての試み。 どこの製本屋さんでもできるものではなくて、その製本屋さんさがしからはじまった。 ラベル張りの題字。 図版のように見えるが、これは三橋さんが撮った写真を用いたもの。 枯葉の写真である。 背丁を見せ、寒冷紗をはっただけの製本。 三方ミーリングの製本。 ミーリングとは、「無線綴じ製本で、本文の背の部分を機械で削り、接着剤が浸透しやすくするための加工のことです。この加工により、表紙と本文がしっかりと接着され、耐久性の高い本を製本できます。」ということ。 つまり製本段階の一過程をこのように三方にあえてミーリング加工のままにしたのである。 なかなか美しい。 ギザギザ感があり、それがいい。 本文の用紙は、大塚概さんご希望のわら半紙のような感触のもの。 涼しくてのりしろひとりでにひらく 出来上がった一冊について、大塚凱さんが所感をくださった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 想像していたより軽い......と吃驚しました。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 詩歌本の多くは自費出版だという前提の話ですが、金銭を対価に句集を出すというプロセスを、たとえば賞を取るための手段や自分の句を世に残すための手段であると捉えてしまっていたら、私にとってはとたんに味気ない経験になっていたと思います。そういう意味で、焦燥に駆られるでもなく、良い俳句を見せたいという気負いもそんなになく、この極東の、私がいてもいなくても別に何も変わることのない詩型・コミュニティにおいて、俳句仲間と、句集制作に関わってくださった方のお仕事に触れ、そしてその体験の価値を引き取ってお金を払うことができる、という経験そのものが幸福でした。 まだ大した年齢ではないものの、それでも、15年ほど俳句をやって、この年齢になっておいてからの出版でよかった、と心から思います。句集を出していなかったことが、この句集を養ってくれたと感じます。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 この句集のオーダーをする際に「戦争が起こったとしても、携えて行けるくらいの大きさの本にしたい」とお伝えしました。その日が訪れないことを祈ります。 この句集は次から次へと立ち上がってくる句をスピード感をもって読んでいくのも楽しいと思う。一句一句に読者は心をのせて味わっていく。あるいは作者はそんな読まれ方を望んでいるのかもしれない。 または、すきな頁をひらいてその並びの俳句を堪能する。そんな読まれて方をされても楽しい一冊である。 そんな気のして湯豆腐の灯に帰る 大塚 凱 大鷹の木。
by fragie777
| 2025-06-14 20:44
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Comments(3)
静かに呟く一言に、ひけらかす、偉ぶるは一切なく、となりでそれでいいんだよと寄り添うような俳句であると感じました。
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