ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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募りくるもの。。。

5月21日(水) 小満 旧暦4月24日



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繍線菊(しもつけ)。

雨にぬれてけぶるように咲いていた。



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「しもつけ」という言葉のひびき、そして花のたたずまいが控えめな風情で奥ゆかしさがある。

「控えめで奥ゆかしい」という言葉が、21世紀の現代人にとってどれほどのアッピール度があるかわからないけれど、わたしは好きな花である。(わたしがそういう人間でないことは言うまでもないけですけど、)
この花が咲いているとかならず立ち止まって見入ってしまう。

そして、古舘曹人さんの一〈繍線菊やあの世へ詫びにゆくつもり〉が口をついて出て来る。このブログでもかつて書いたことがあるが、いい句だと思う。すでに亡くなった夫人のことを詠んでいるのだが、きっと繍線菊のような方だったのだろう。生前、苦労をかけた妻への思いが切々と詠まれているが、しめっぽくはない。ある決然とした思いがつたわってきて、それがいい。その決意を「繍線菊」やさしくうけとめている。



新刊紹介をしたい。

福神規子句集『雛の箱(ひなのはこ)』(新装版)。


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四六判変型ソフトカバー装帯ナシ 三句組 144頁

俳人・福神規子さんの第1句集『雛の箱』を新装版としてあらたに刊行したものである。福神規子さんが主宰をされている俳誌「雛」は、この6月で創刊10周年をむかえれられる。その記念としての刊行である。新装版のための「あとがき」に福神規子さんは、このように書かれている。

『雛の箱』は私の第一句集の復刻新装版である。第一句集を編んだのは三十代の終わり。収録されている作品は十代の学生時代に始まり、結婚し子育てに追われていた頃の作品だ。今見返してみると、アルバムを繰るように当時の私に会えて、その若さがまぶしくも幼いが、その一途さが愛しくも思えてくる。

句集『雛の箱』には10代から30歳代までのおよそ20年間の作品が収録されている。初々しい作品にはじまって成熟さを加えながら人として成長して行く、そのような時の作品である。序文は、「雛」の創刊共同代表であった髙田風人子氏。作者の生活に身をそわせながら、じっくりと作品を評している。
巻末の一文を紹介しておきたい。

作者は素足が好きだそうな。「時雨寒夕餉のものを決めかねて」の新妻の悩みは、「歩きつつ献立決まり夕若葉」と主婦業が板に付いて解消した。「素足好き厨の風に簡単着」の句もある。花鳥諷詠詩は決して生活逃避ではない。その人の人生の軌跡である。家庭を守るのは作者の務め。まだ若い。これから不惑、知命と人生の年輪を重ね、どのような句に進展して行くか、楽しみに待とう。


本句集の担当は、文己さん。

 ミサ終はりたる午後からの花見かな
 まだミシン踏んでゐたくて春の宵
 雨吸ひて若葉の森のふくらみし
 底紅に雨上がりたる朝かな
 住職の大きな下駄に冬日かな
 春月やとろりと空のひと色に
 路地抜けて佃四つ辻秋の風

 
 まだミシン踏んでゐたくて春の宵

結婚をされて子育て時代の一句である。「ミシン踏む」という言葉に昭和の香りがする。作者の福神さんとわたしはほぼ同世代である。が、見て来た景色と生きてきた環境は大分ちがうと思った。が、それはどうでもいいことである。作者は、幼い子どもたちの洋服をきっとご自身で作られたのだろう。子育てもたのしく、充実した主婦としての日々がある。春の宵は心がゆったりと解放されていく時間であるが、まだ洋服作りに余念がない。この一句にあるリズム感が心地良い。作者が生活を子育てをふくめて楽しんでいることを語っている。句集全体にいえることであるが、生活に追われる主婦ではなくて、どこかで生活をたのしむゆとりを読者に感じさせ、その生活感情にきわめて自然に俳句が寄り添っていることに気づかされる。だから読んでいて、まことに無理なく読者のこころに納まるのである。

 春眠やあと五分だけ五分だけ

こんな句もあって、わたしは好き。〈休講を学外に抜けソーダ水〉これもきっと20代そこそこの句であると思う。若さがみなぎっていて、この時でなくては生まれなかった俳句だとおもう。〈厨事しつつ踊に行くつもり〉この句の「厨事」という語彙はきっと俳句用語だ。いくら昭和の時代であっても日常会話では学生は使わないと思う。しかし、10代から俳句をつくられていた福神さんである。とても自然に「厨事」という言葉が口をついて出てきたのだと思う。で、多分この「踊」は、盆踊りではなくて、70年代であるからディスコブームなどが台頭して、六本木などに踊りに行く若者たちが結構いたはずである。福神さんは、盆踊りではなくて、学生仲間とクラブなどに踊にいってらしたのではないだろうか、と。家事をおえて、おしゃれをして、友人たちと夜の東京にくりだしていく。それとも、福神さんだったら、社交ダンスかしら。その雰囲気がぴったりなお方である。この句「厨事」という古風な俳句的な言葉と「踊りに行くつもり」の心の自由な闊達さへの展開がおもしろい。

 リラ冷の今日頼りなき母よわれ

子育て時代の一句か。「リラ冷」がいい。母としての子育てが思っていたとおりにはいかず、やや参っている。そうであっても、子どもをせめるのではなくて、自身をなさけなくおもってしまうというのが、可愛らしい母である。「あーあ」って見上げた窓の外にはライラックの花が咲いている。自身の母としての頼りなさに心も寒々しくライラックも何処かよそよそしい。「リラ冷の」と上五をはじめ中七下五を一挙に読み下す。そして「われ」で終わらせることによって、われなるもののありようが読者のこころに印象づけられるのだ。叙法がたくみである。

 住職の大きな下駄に冬日かな

文己さんが好きな句としてあげていたが、わたしも好きな一句である。上五中七までは、すらすらと読んだが、下五の「冬日かな」に至って、ええっ!って一瞬おもったのだった。大きな下駄に虫でもいたのなら、ごく自然にいやあまりにもあたりまえで、俳句にはならないか。でもそれならわかる。しかし、「冬日」である。冬日が下駄に止まっているのか、いや、そんなことではない、「冬日かな」とあることによって、冬日に照らされた下駄がまずおおきくクローズアップされ、そして読者の目線は下駄をさかのぼってその下駄をはいている住職にまでいく。「住職」というのが心憎い。しかし、作者にとっては、はからいのない事実そのものだったのだろうけど。大きな下駄は無駄ではなかった。冬日をやどらせるのに充分な下駄。冬日は四季のなかでいちばんぬくさを感じさせるものだ。その冬日によって選ばれたのが、大きな下駄をはいている住職だった、いや住職の大きな下駄だったのだ。その大きな下駄と冬日の親和性に目をつけた作者がいちばんすごい。とても好きな一句だ。

 河骨に降り出しにけり募りけり

この句は、不思議な句である。とくに下五の「募りけり」が印象的だ。なにが募ったのか。省略が効いた一句だと覆う。河骨はいまごろ湿地帯に咲いている黄色の小さな花である、太い草色の茎(?)の天辺に花を一つ上向き咲かせる。派手な花ではないので、注意してみないとわからないことが多い。しかし、見つけると小さいながらも意志的な何かを感じさせるものがあり侮れない花である。「こうほね」という言葉の響も、へつらいのない毅然としたものがある。この句、「降り出しにけり」とあるのはもちろん雨である。そして「募りけり」と続くのである。この措辞によって、「募りけり」が雨であることはわかるが、普通は雨が募るということはあまり言わないので、「降り出しにけり」が効果的に「募りけり」を導きだしているのだ。だが、この句に曳かれるのはそれだけではない。「募りけり」が雨のことのみならず、なにかもっと訴えてくるものがある。それがなんなのか、釈然としないのだが、わたしはこの「募りけり」にやられたのだ。河骨ゆえに、ということもあるが、それのみならず、「募りけり」に作者の心情も加味されてくる。しかし、判然としない、それがかえって印象づける、不思議な一句。そして、この「けり」「けり」とつづく叙法もいい。


校正スタッフのみおさんは、「〈よその灯のよその暮らしや秋の雨〉がとても好きです。
よその家の灯にはっとすることはあるなぁ…と思い出します。」


父母の影響から俳句を作り始めたのは、高校三年の終わりであった。投句を始めてからは、父母の延長線上に高浜年尾先生がいらっしゃり、ご指導を仰いだ。やがて大学入学。大学の師でもいらした清崎敏郎先生にお会いし、お教えいただくこととなった。そして大学の先輩方の存在も得、はじめて句のお仲間が出来、俳句の楽しさを知った。卒業後間もなく結婚。それからの日々は妻として、母として慌ただしく、あっという間に過ぎてしまった。しかし、この間も細々ながら俳句を続けていたお蔭で、どんなに慰められ、励まされてきたであろうか。そして、つくづく自然の大きさに勝るものはないと思った。花鳥諷詠を信ずることは、この大道を歩んでいけばまちがいはないのだという深い安心感である。(略)
この度の句集『雛の箱』とは、大好きなお雛様という思いに加え、大変拙い句ばかりでお恥ずかしいのだが、私にとっては一句一句がかけがえのない、思い出深い雛箱の雛達であるという思いから名付けた。

初版の「あとがき」を抜粋して紹介。

装釘は君嶋真理子さん。


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装画のところどころにパール箔が押されているのだが、わかるだろうか。

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上品な仕上がりの一冊となった。


令和七年六月、結社「雛」はお蔭様で創刊十周年を迎える。その祝賀の会を五月に催すにあたり、記念となるお品はないかと頭を巡らすうちに、ふと第一句集の復刻新装版の上木を思い立った。恐らく「雛」のお仲間の多くは、私の第一句集の存在をご存じないだろうし、第一句集はもう手元に残部がない。
拙い内容だが、初学の第一歩もまた人生の軌跡である。(新装版・あとがき)



福神規子さんからは、メールで以下のお言葉をいただいている。

表紙のパール箔もカッコいいですね。
10周年のお土産の一つとして皆様に差し上げるつもりです。
ありがとうございました。


5月26日には「10周年のお祝い」の会を予定されている。
ご盛況をこころからお祈り申し上げます。



  何の木やほのと色づく実を結び    福神規子






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河骨。

神代水生植物園にて。



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by fragie777 | 2025-05-21 20:15 | Comments(0)


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