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4月15日(火) 旧暦3月18日
神代水生植物園。 ここは静かで人もすくなくていい。 この日はすばらしい春の一日だった。 うれしいお知らせがひとつ。 第24回俳句四季大賞が決まった。 第40回詩歌文学館賞、第17回小野市詩歌文学賞、とのトリプル受賞となった。 中村和弘氏は、本年度の現代俳句大賞も受賞され、俳人として俳句への貢献が顕彰されることとなった。 こころよりお祝いを申し上げたい。 なおこの俳句四季大賞については、「俳句四季」七月号に選評が掲載されるということであ。 今日は藤田湘子(1926~2005)の忌日である。 没後20年となる。 この20年の歳月のはやさをあらためて思う。 音楽を降らしめよ夥しき蝶に 藤田湘子 「春日紀行」の行程で大阪以西は湘子にとって初めて踏む土地。クライマックスに被爆地広島訪問があった。原爆ドームを詠み、太田川を詠み、街の人々を詠む。「市内に日雇婦多し」の前書のある。「春日鶴嘴重き原爆未亡人」など表現は未熟だが、いわゆる「社会性俳句」に向かう俳壇の気運を反映しているのだろう。 広島連作は「わが禱り」の前書のある最後のこの句を得て、にわかに湘子の作品になった。視覚と聴覚が渾然となった幻影、思いが堰を切ったような破調が、甘美なまでの祈りの詩となった。(『途上』) 夕ぐれのづかづかと来し春の家 藤田湘子 昭和五十八年二月四日立春から三年間に及んだ湘子の「一日十句」が始まる。一日も休まずに一日十句以上を作り、そのすべてを「鷹」に発表した多作修行である。句集『一個』『去来の花』『黒』は一日十句三部作。合わせて三、〇七一句を収める。 「づかづかと来し」という夕暮の擬人化は、春の駘蕩たる印象を裏切りながら、なお読者を納得させる勢いがある。夕日が深く差し込んだ床を泥靴が踏み鳴らす。そんな荒々しいイメージが春の家をかえってなつかしく見せる。多作の勢いの恩寵と言えるだろう。(『一個)) 田中裕明・森賀まり共著『癒しの一句』では、田中裕明さんが2月28日付けで藤田湘子の俳句を鑑賞している。 うすらひは深山にかへる花の如 藤田湘子 春先にうすうすと張る氷を薄氷(うすらい)という。また、張っている氷が少し解けて薄くなっている状態もいうようだ、万葉集にも見られる言葉である。ただ春の季語として用いられるようになったのは明治以降で、江戸時代までは冬の季題として用いられた。 単純に春の訪れを喜ぶというのだけの季語ではない。「眠りては時を失ふ薄氷 野見山朱鳥」「薄氷の消ゆるあたりのうすあかり 小林康治」など精神的な風景にも通じる。 藤田湘子は大正一五年(一九二六)小田原市生れ。水原秋櫻子に師事した。現代作家のなかでも覚悟の定まった人である。「愛されずして沖遠く泳ぐなり」「筍や雨粒ひとつふたつ百」などに俳句の醍醐味を十分に味わわせてくれる。 掲出句は「如し」という比喩の言葉が入っているが、通り一遍の比喩ではない。いま眼前の薄氷をこの世のものでない何か、例えば人間には手の届かない、自然美の象徴のようにとらえている。 昭和五三年作。句集『春祭』所収。(薄氷・春)
by fragie777
| 2025-04-15 19:03
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