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4月10日(木) 旧暦3月13日
山吹の花。 神代植物園にて。 この日、大鷹にも遭ったのだった。 今思い返してもゾクゾクする。 目下、ふらんす堂のwebサイトで「短歌日記」を連載されている高橋睦郎さんより、広報誌「ずし」が送られてきた。 オールカラーのA4判サイズの冊子である。 「ずし」は、逗子市の広報誌である。 高橋睦郎さんの特集である。 「逗子の詩人 高橋睦郎さん」とあり、「文化勲章」「市民栄誉賞」とちいさくあって、 「今月は、高橋さんの経歴をひもとくとともに、作品や人物像にも迫ります」と。 素敵なコートをめしたおしゃれな高橋睦郎さんがいる。 右下には「泳ぐ母」と題した詩が掲載されている。 高橋さんのコメントの一部を紹介しておきたい。 少なくとも100歳までは仕事をしたい。それまでどんなものに出会えるか、不安であると共に興奮させられる毎日です。 次のページには、逗子市長の桐ヶ谷さんとの対談があり、「わたしの好きな逗子」と題した高橋さんの散歩コースの写真が掲載されているが、海とみどりゆたかな公園や緑地があってよきところである。 ここが主に「短歌日記」の舞台なのか、 ふむ、ふむ。。 「短歌日記」の紹介もされており、高橋さんがよく行かれる逗子の古書店の店主木村海さんも登場する。 木村さんのおすすめの高橋睦郎さんの書籍2冊のうち1冊は、句集『花や鳥』(ふらんす堂)、もう1冊は『友達の作り方』(マガジンハウス)である。 そして、本日づけの岸本尚毅さんによる神奈川新聞の「俳壇時評」は、大木あまり句集『山猫座』である。 この1冊のみの丁寧な紹介である。 タイトルは「大きなものを包蔵』 抜粋して紹介したい。 (略)「死はいつも近くに枝の雨蛙」は秀句。1941年生の作者には、「病身にシャネル一滴寝正月」という句もある。「死はいつも近く」とは創作上の誇張ではあるまい。絶えず身近にある「死」のイメージをどのように形象化するか。そこに作句の要諦があるわけだが、この句には「雨蛙」が登場する。アマガエルはかわいらしい、どちらかといえば弱々しい生きものだ。そのアマガエルが窓の外の枝からじっとこちらを見ている。凶暴な死ではない。日常身辺にあって靜かに作者を見守り続けているかのような「死」の面影を、この句は「枝の雨蛙」に託した。 一方で「冬うららうららというて死にたしよ」は山本リンダが歌った「狙いうち」の歌詞を連想させる。冬のうららかな日に日なたぼっこでもしながら恍惚と死んでゆくことを願う。これもまた俳諧の美学といえようか。 大木あまりは読売文学賞の受賞者で、当代を代表する俳人の一人。多様な作品を収録した「山猫座」は包蔵するところの大きい句集である。 すぐる3月30日づけの朝日新聞の「俳句時評」においても岸本尚毅さんは、大木あまり句集『山猫座』にふれている。 こちらば「文人俳句の自由さ」と題して、川上弘美句集『王将の前で待つてて』(集英社)を主とした時評である。 抜粋して紹介をしたい。 引込線ゆけば花野に終はりけり 引込線を辿ると、秋の草花が咲く花野で途切れた。川上には、叔父の幽霊と花野で会う「花野」という短編がある。花野に至る謎の引込線は、小説「花野」の世界を思わせる。(略) 余技ゆえの余裕が文人俳句の魅力だといわれるが、川上の句は、その小説と同様の特異な発想が読者の意表を突く。 奇想に遊ぶといえば、大木あまりもそうだ。近刊の『山猫座』(ふらんす堂)にこんな句がある。 暖簾くぐるごとく柳の中へ入る 暖簾のような枝をくぐって柳に入る人影。「遊行柳」の柳の精だろうか。 大木には詩画集の著作もあり、その句には文人的な雰囲気が漂う。 猫の蚤畳へ飛んで柚子日和 柚子の熟れた秋の明るい日、座敷で猫の蚤を観察する。その浮世離れした趣は文人俳句にも通じるものだ。
by fragie777
| 2025-04-10 19:17
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