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4月2日(水) 旧暦3月5日
片栗(かたくり)の花。 別名堅香子(かたかご)の花。 堅香子にまみえむ膝をつきにけり 石田郷子 ことしもこうして見られたことがなぜか嬉しい片栗の花である。 新刊紹介をしたい。 四六判上製カバー装 152頁 著者の中谷泰士(なかたに・やすし)さんの4冊目の詩集となる。第1詩集『旅の服』(1999刊)はふらんす堂刊行のもの。ふたたびのご縁である。1961年石川県金沢市生まれ。第2詩集『桜に偲ぶ』(2015年刊)、第3詩集『旅を 人の限界へ』(2017年刊)につぐ第4詩集となる。「詩と詩論」同人、日本詩人会会員、石川詩人会会員。 詩集名は「二人芭蕉」であり、副題として「詩でたどるおくのほそ道」ということより、芭蕉の『おくのほそ道』をテーマにした詩集であることが分かる。 詩集の冒頭に以下のことばがおかれている。 二人(ふたり)芭蕉 おくのほそ道を歩いている芭蕉 おくのほそ道の草稿に手を入れる芭蕉 交錯する時空 この「二人」とは、おくのほそ道の芭蕉であり、本詩集によって立ち上がってくる芭蕉でもあるとわたしは思う。 というか、そのことがつよく意識される。 時空をこえた複雑な仕掛けのなかにあたらしい表情の芭蕉があらわれてくる。 詩行にあらわれる芭蕉は、詩人中谷泰士さんの芭蕉像であり、その芭蕉が「おくのほそ道」の芭蕉と呼び交わす。 本詩集は、49篇からなり「おくのほそ道」にしたがった地名の小見出しを詩篇の冒頭に付して、詩を展開させている。一つの地名に一つの詩とはかぎらない。それぞれの詩篇のタイトルは「おくのほそ道」のそれぞれの地名となっている。 いずれにしても、まずは最初の一篇を紹介しておきたい。 【序】 月日は 今日も今日とて 夢もうつつも ほんのり木陰の向こうがわ 陽はひろがっています 春めくにはまだ早く 目を覚まして 私はどこへやら 月もまだ昇ったまま 身の回りがひとときの客舎 陰と陽は立ち代わって 私のようなものも 依り代にする 行きかう年月も 今更です 定住したくなかった 漂泊を願った 年が明けてからずっと いろんな仕事も引き受けてしまえば やってしまう性分で 百代の過客もどこへやら でも 心の底は漂泊だった 風羅坊が一皮むけた 海辺の長い道は 出会いに満ちていた ああ 姨捨山もひたとせまって忘れられない ただ もういいのです さすらいに何かを求めるのは終わり さすらいにさすらう これ 片雲の風 胸にずっと流したまま 深川の家を明け渡します 心一存 雲の移動のように 西行殿や多くの先人と どこまで 言葉思い浮かぶか はかり知れません 雲泥にまろぶにしても ともに語らう友垣もおりますが 杉風(さんぷう)さん 頼みますよ なんとか 道祖神へとりなしを うまいことしておくれではないか 股引の破れなんて 気にしてないわりに繕っています 習い性の灸も口実めいて ああ 生活が まだ見ぬ言葉が 旅ににじむようだ しばらくは 旅をよそおうつもり 「芭蕉さん」と呼びたくなるような親しみのある芭蕉である。 このような語り口で、「おくのほそ道」の旅はつづいていく。 本詩集の担当は、文己さんである。 すきな詩篇をきいているのだが、全部を紹介すると長くなってしまうので、詩行の紹介にとどめたい。 【松島】 鳥のように よそおい乍ら 進みましょうや 確かにここは来たかったところ 空想と妄想と憧れの綯い交ぜと そこから生まれる新しい物語 私は中国の憂国の士だ または洞穴で座禅する修行の僧だ 私はよそおう 風景にも装わせる 想像すれば 夢想すれば 風景は浙江に飛ぶ 【最上川】 焦れて飛ぶ 木漏れ日に目が 思いがけず痛い 私の足も 私の足じゃないようだ 難所を越えた疲れなど放っておけ 景色は生心を露出させる 旅に出て数ヶ月 もっと先へ もっと風景へ 言葉の先へ 本詩集は、「地名」とタイトルの下方に、小文字で「芭蕉たちが訪れた事情を記した文」が付してあって、それが詩に奥行きをあたえている。 たとえば、「白川の関」の「夢かうつつか」という詩篇にたいしては、「四月二十一日。古来多くの歌人が白河の関を詠みこんできた。その関を越えるにあたって、二人はそれぞれの感慨を持たずにはいられなかった。卯の花をかざしに関の晴れ着かな 曾良」という風に。 ともあれたいへん面白い試みであって、著者がのぞむように「おくのほそ道」の原文や解説をかたわらにおいて、詩を読み進むのも味わい深いのではないだろうか。 旅人と思わせるのは何だろう。旅のよそおいや振舞いという時空間に自分を置くことで、人として失われてしまいそうな何かを留めようとしているのかもしれない。日常から離れることが、自分を取り戻すとは、なんと逆説的なのだろう。旅こそが人生の本質であるのかもしれない。 敬慕する芭蕉翁の『おくのほそ道』を試みとして詩にしました。できるなら、原文や解説の本を傍らに置いて、楽しんでいただけると嬉しいです。詩は、所属する同人誌「詩と詩論 笛」に掲載し手直ししたものがいくつか、その他の多くは書きおろしです。同人の方はもとより全国の多くの詩人の言葉に触れることで、芭蕉翁の細道を大垣まで進められた気がしています。 「あとがき」を紹介。 本詩集の装幀は、君嶋真理子さん。 残ってしまったのは言葉しかないわけです 季節の美しさも個人の生き様もやさしくしてくれた人々も すべて俳諧です これが孤独です (【種の浜】 孤独の言葉より) 上梓後のお気持ちをうかがってみた。 ◆所感 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 本当に出来上がったのだという実感のような、夢心地のような気分になりました。 (2)この詩集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい。 旅を「装う」ことを書き表したいと考えていました。俳句を打ち立てようとする芭蕉は、なぜ旅に出て、旅に出た後までも草稿に手を入れ続け、さらに後世の人々が心砕いて芭蕉の詩文を考え続けるのか。私は芭蕉の俳句に加え、「装い」という言葉を通じて、旅に対しての人の思い、そして芭蕉に旅に思いをはせました。 (3)今後の詩作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 詩をずっと書いています。この詩集で、四つ目になりました。おそらくは、もうしばらく詩や文を書くと思います。 そして、さらにうかがったことによると、 この詩をかきはじめるきっかけになったのは、もとをたどれば長谷川櫂氏の「おくのほそ道」の講演を聴いたことによるそうである。 もう一篇のみ詩を紹介しておきたい。 担当の文己さんが、「本当に芭蕉が詠んだような臨場感があって好き」という詩篇である。 【塩竈】 塩竈神社にて 北野加右衛門の紹介で塩竈神社近くの宿に泊まった芭蕉たち。 明くる五月九日の早朝、快晴のうちに参拝も済ませ、午後には いよいよ松島に船で渡ることになる。 思い返せば 仙台からのお蔭をいただき こんなふうに ひどく無事なまま 旅のひとくくりを迎えようとしている そんな朝 五百年を思い返す 今の私が立っている ここまで長かったな われらの国も その道のりも こころに浮かぶ 文治三年 奮い立たねばならない 歌枕に偲ぶもの 哀れに連れ添うもの いかめしくも勇壮な武人たちの姿 では 参拝しましょうや あとは 松島が待っている 第1詩集の「旅の服』からはじまって、詩人中谷泰士さんにとって、「旅」は永遠のテーマである。
by fragie777
| 2025-04-02 19:02
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