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3月14日(金) 旧暦2月15日
桐朋学園の寒緋桜。 ![]() ひと目をひく華やかさである。 午後4時になると、わたしのパソコンは急遽動きがにぶくなる。 毎日である。 いま原因をさぐるべく、スタッフがいろいろと見てくれたが、原因となるものはわかるようだが、うかつに消すこともできない。 ということで、やはりキャノンさんに診断をしてもらうことに。 パソコンはすでに古くなっており、そろそろ交換時期にも来ているらしい。 経費がかさむし頭の痛いことである。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装おびあり 208頁 二句組 著者の山田喜美(やまだきみ)さんば、昨年の6月1日に84歳で亡くなられている。本句集は遺句集となる。昭和15年(1940)岡山市生まれ、昭和55年(1980)3月「鷹」に入会、藤田湘子、小川軽舟、後藤綾子に師事。昭和62年(1977)「鷹」同人。現代俳句協会会員、俳人協会会員。大学を卒業してより、昭和44年(1969)で退職をされるまで教育者として歩んでこられた方である。 本句集は、ふたりのご息女(小李花さん、愛理さん)が、句集刊行をのぞむお母さまのために編んだものである。1冊になるあたっては、小川軽舟主宰、辻内京子さんのご尽力よるところが大きいと「あとがき」に記されている。 序文は、軽舟主宰が山田喜美さんへの思いをこめて書かれたものである。「千里遙望」という句集名も軽舟主宰がつけた。 山田喜美さんの俳句は阿(おもね)るところがない。これが喜美さんの俳句をずっと読んできた私の一貫した印象である。 という書きだしではじまる序文を抜粋して紹介をしたい。 散る桜海に届かず殯(かりもがり) この句は、東日本大震災の起きた二〇一一年の春に投句された。 殯は火葬の風習が広まる前の古代の葬送の儀式である。遺体をすぐには埋葬せず、棺に納めてしばらく安置した。この句の場合は、葬式までを死者と過ごす数日のことなのだろう。死者を悼む思いが厳粛な心の風景として描かれていると感じた。 しかし、私はここで鑑賞を終えることができなかった。津波の災禍が連日報道されていた時期である。火葬が間に合わず、遺体を土葬にしていると聞くと、そのことがこの句の殯と重なり、海まで続く津波の痕の泥濘に散る桜が思われた。そこまで書きながら、喜美さんは関西の人だから、これは私の勝手な思い入れだとは承知しているつもりだった。 ところが後日、喜美さんの短いエッセイが関西支部報に載った。喜美さんは阪神・淡路大震災のとき、ドライアイスを抱いて体育館で何日も火葬を待つ死者に胸が塞がったが、とても俳句には出来なかった。それが東北では土葬されたと聞いて心が休まった。神戸の体育館で浮かんだ殯の言葉が、今度の地震でこの句に甦ったのだ、と書いてあった。 そこまで深い背景のある思いを、喜美さんはたった五七五の言葉の力を信じて俳句に託した。そして、その思いは、散文で事情を記すのとは違う何かを確かに伝えて、私に感動をもたらした。俳句の作者と読者は、このように心を通じ合えるのかと驚かされた。これはひとえに、喜美さんが何者にも阿ることなく、自分の思いを俳句に表すことに真摯に努めてきたからだろう。 この句との出会いを、軽舟主宰は「『鷹』の選者をしてきた中でも」「忘れられない経験だった」と記している。 本句集の担当は、Pさんである。 「お母様のためにお嬢様おふたりがこころをこめて作られました。 装幀で使用した想画は喜美さまのお姉様がデザインしたテキスタイルです。喜美さまへの愛情のつまった一冊です。」とPさん。 冬野なりふりむけば墓ざわめきぬ 春の雲広き川幅悲しめり 十の指ひろげて秋の風通す 涼風や神戸は西へ長かりき 白露の欠けたる玉のなかりけり 月涼し漣われに集まり来 裸木の名を失ひて立てりけり 露草や混みて静かな精神科 冬野なりふりむけば墓ざわめきぬ 「墓ざわめきぬ」という措辞にドキッとする。茫漠として色を失った冬の景色のなかにいる。突如ふりむいたところは墓場だ。深閑としているかと思えば、墓がざわめいたというのだ。いったい、、、これは作者が一瞬にして感知したざわめきか。死者の声か、あるい墓石そのものが動いてたてる音か(そんなこともあり得る)、この一句のおもしろさは、ひとえに「ざわめき」という言葉にあると思った。音でもあり、空気が揺れ動く運動でもあり、得体のしれないものが立ち騒ぐような気配でも有り、作者の心象のざわめきでもあるようなさまざまな動きや音や気配を思い起こさせる。正面からざわめきに真向かっていないぶん、背が感知するものは侮れない。 白露の欠けたる玉のなかりけり この句については、軽舟主宰が序文でもとりあげている。「白露の句も写生ではない。欠けた露というあり得ないものを思うことで、すべての露が円らに存在する世界が感動をもって現れる。」と。もうこの鑑賞で充分であると思う。この句、とても当たり前のことを叙しているようであるが、「すべての露が円らに存在する世界が感動をもって現れる」と鑑賞されることによって、白露という微少なるものが、果てなき宇宙の気息へと照応しているかのように読み手の心をゆたかにひろげてくれる。鑑賞の力によって読み解かれたものでもあるが、当たり前のことをシンプルに詠んでいるようで森羅万象の真実へと導いてくれるのは、俳句の定型の力でもあると思う。 露草や混みて静かな精神科 わたしも立ち止まった句である。「混みて静かな」という措辞は、「露草」でもあって「精神科」でもあるのだろう。上五中七は、露草を詠みとめていることとして安らかにうけとめられるが、「精神科」という言葉によって心がざわつき不安定になる。心の医療ケアとしての精神科、心を病んだ人たちが治療をもとめてやってきている。「混みて」というのだから、たくさんの患者さんがいるのである。しかし、「静か」である。この沈黙の静けさが、心の病を圧しているように思われ、息づまるような感じを読み手にあたえる。そのかたわらに、混み合って静かに咲いている露草の色がひそやかに心にとまるのだ。 海に魚空気に私春夕 これはわたしが面白いと思った句である。「海に魚空気に私」って、まあ当たり前のことかもしれない。「魚に海が必要なように私には空気が必要」と散文化してしまえばなんとも陳腐な一節となる。しかし、定型の枠内にまことに素っ気なく言い置いてみると、この開き直り方がとてもいい。しかし、こんな当たり前のことをあえて俳句にしようなんて、まさに春の夕べであるからこそ。身体もくつろぎはじめゆるんでくる、気持ちもおだやかに解き放たれていく。「ひとつ、魚と私のことを考えて見よう」なんて作者は思ったかもしれない。ちょっと人を喰ったようであるが、春の夕べをゆっくりと楽しんでいる人間がみえてくる。わるくないなあ。唐突かもしれないが、田中裕明さんのわたしの好きな句「春の海魚と鳥と寝るならば」を思い出したりしたのだった。 集めたる木の実に用のなかりけり この句もおもしろい。「木の実」が季語であるが、木の実をこんな風につれなく詠んだ句はめずらしい。多くの俳句は「木の実」という季題に対して心を寄せて詠むのがおおい。こう詠まれてみるとたしかに夢中に拾い集めた木の実であるが、これを食するわけにもいかず、とりたてて何かの用にたてられるものでもない。木の実木の実といって夢中で拾いあつめてしまったけれど、いったい、これらをどうするの、と手の中で溢れている木の実にため息をついてうんざり顔。小川軽舟主宰が、山田喜美さんのことを「阿(おもね)ない人」と序文で書かれていたが、そう、どんぐりというかわいい木の実にも阿ない人なのだ。この先、木の実をひろったあとに口をついて出て来そうな一句である。 校正スタッフのみおさんは、〈雨粒にいちいち応ふ春の水〉「いちいち」が何とも言えず春らしくて水なのにかわいい!」と。 母・山田喜美が句集を出したいと言い出したのは、闘病の末、母と同居していた妹愛理が、主治医よりホスピスか在宅医療かと問われ、自宅へ戻すことを決め、母が病院から家へ戻って来て間もなくのことでした。 句集完成にはとても間に合わないけれど、母を少しでも喜ばしたい一心で、妹が「鷹」同人の辻内京子さまにお願いをし、辻内さまに大変なご尽力を頂き、句集作成を進めました。 病状としては末期でしたが、母の感性と俳句愛は、全く衰えていませんでした。 これが、母が俳句の話をした最後となりました。 このような貴重な時間を与えて下さり、軽舟先生と辻内さまには感謝してもしきれません。 ご息女・山田小李花さんの「あとがき」を抜粋して紹介した。 小李花さんは、お母さまの喜美さんがメモ書きに書いた李白の詩、「下江陵」を紹介し、 軽舟先生が、ご自身の俳号の由来がこの李白の漢詩にあると書かれていた文章を読み、母が書いたものでした。 母が若い頃から李白、杜甫を敬愛していたことは、私達が幼い頃よりたびたび聞かされていました。 軽舟先生がつけて下さったタイトル「千里遥望」と繋がった瞬間でした。 「千里」は、私達家族が長く暮らした千里ニュータウンの千里であり、李白の漢詩の世界の「遥かなる千里」でもあります。 母は、天国でどんなにか誇りに思い、喜んでいることでしょう。 編集作業上の連絡は主に愛理さん。このようにして、本句集は、ふたりのご息女のお力によって上梓されたものである。 装釘は君嶋真理子さん。 喜美さんのお姉さまのデザインされたテキスタイルを用いて君嶋さんが装釘した。 渋いけれど深みのあるデザインである。 枠内は白抜きではなく薄く緑をひいてある。 表紙。 螢追ひ肘雫せるこの世かな 「千里遥望」の句集名は、喜美さんが心血を注いだ千里山教室の地を遥かに望んで贈る私の惜別の言葉である。思えば喜美さんは、自分自身に拘りながら、その自分を超えるべく千里先を遥かに望んで俳句を探求する人であった。(小川軽舟/序) 今回、お言葉はいただけなかったが、生前のお写真を送っていただいた。 山田喜美さん。 お会いしたかった!!です。
by fragie777
| 2025-03-14 19:37
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