ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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晩年に至り、自分の句業を纏めるという喜びを知ることとなりました。

2月28日(金) 草木萌動(そうもくめばえいずる) 旧暦2月1日


晩年に至り、自分の句業を纏めるという喜びを知ることとなりました。_f0071480_16124470.jpg

今朝のこと、今季はじめての鶫(ツグミ)に出会った。

前年までは、鶫はいたるところにいた。

しかし、

今季はずっと鶫の姿をみていなかったのだ。


晩年に至り、自分の句業を纏めるという喜びを知ることとなりました。_f0071480_16124951.jpg
愛らしい鶫。



晩年に至り、自分の句業を纏めるという喜びを知ることとなりました。_f0071480_16125219.jpg

畑を駆け回っていた。

情報によると今年は鶫が少ないらしい。



今日の毎日新聞の坪内稔典さんの「季語刻々」は、『行方克巳季寄せ』より。

 無味無臭而(しか)して無策冴返る     行方克巳

「自身を嘲笑しているのかも」と坪内さん。
「無策」と認識するからには、「策」があたまをよぎったのか。
なにかの局面にあたっての「無策」であることに思い至ったのか。
それにしにても「無味無臭」がどんな意味をなしているのだろうか。
とぼけた味わいでおもしろいけど、下五の「冴返る」で緊張がはしる。




新刊紹介をしたい。


河内文雄句集『加計比幾(かけひき)』


晩年に至り、自分の句業を纏めるという喜びを知ることとなりました。_f0071480_16125893.jpg
A5判変形ハードカバー装。 226頁 二句組


河内文雄(こうち・ふみお)さんの第7句集となる。河内文雄さんは、平成28年(2016)「銀化」(中原道夫主宰)に入会し、「銀化」同人。コンスタントに句集を上梓しておられる。句集上梓は自己確認の意味をも持つのかもしれない。
今回の句集名は「加計比幾(かけひき)」。俳句のつくりにおいても、タイトルの付け方についても作者の遊びこころがあふれている。

子どもの頃からずっと、明日のために今日を犠牲にするという人生を歩んできました。
若い頃はそれなりに悩んだり焦ったりしたこともありましたが、長ずるにしたがって、自分の人生は所詮こんなものだと諦めるようになりました。
ところが世の中は何が起こるか分かりません。大きなしあわせとは無縁だった自分は、晩年に至り、自分の句業を纏めるという喜びを知ることとなりました。

と「あとがき」に記す河内文雄さんである。

本句集の担当は、前句集にひきつづき文己さん。

 身の内に雪の覆はぬ道ありて
 寒明けやさて何処へと信号機
 丸顔は花見の客と見做さるる
 梅雨の傘一人二人と数へらる
 水底の月ふつくらと夜を待つ



 身の内に雪の覆はぬ道ありて

不思議な一句である。中七下五は、よくわかる景である。雪が降ったあるいは降っている道にひとところ雪が覆ってないところがある、というのは見ない景ではない。しかしながらで、である。上五におかれた「身の内に」の言葉によって俄然風景は変わってくる。雪は身の内、つまり身体の内側に降っているのである。一挙にシュールレアリスティックな幻想性をおびる。だが、こう詠まれるとなんとなく分かるような気がしてくるのだ。しかし、さらにあ身体内部にふる雪はまんべんなく降るのではなく、雪の覆わぬ道をのこしているのだ。その道は、いったい、どこへ。

 梅雨の傘一人二人と数へらる    

「梅雨の傘」って傘であっても特別な感じがある。梅雨に傘はつきもの。だから人間の身体と傘は一体だ。梅雨のさなか、雨筋のみえるなかを傘をさした人たちがあるいてくる。顔はみえないが、覆っている傘はまるでそれぞれが個性をもっているようだ。いまこの鑑賞を書きながら、ふと脈絡なく写真家ソウル・ライターの作品を思い出した。あの赤い傘。。人の顔はみえず、あるいてくる。そうまるで生きもののように。

 人のゐる人のあはひや去年今年

句集の冒頭におかれた一句である。去年今年という縦につらぬく時間の流れ、と人と人との間(あはい)という空間。人は人に関わりながら、その間を大切にしながら、古い年から新しい年へと時間を旅をしていくのだ。人が存在すること以上に、存在する人と人の間にあるもの、そこにあるなにか。その間(あはひ)を改めて認識するのが、人間なのだ。

 人日に拾ひし仔猫汝と名付く

これはわたしの好きな一句である。「人日」が季語。正月7日のこと。そんな日に猫を拾った。「汝(なれ)」という名前がいい。人の日なので、猫も「汝と我」の対等の関係にあるみたいだ。そして特別な「汝」である。猫をよぶたびに特別な関係性がよみがえる。そしてすこい良い気持ちになる。「なれ」という音もかわいらしいじゃにゃい。

 良く知らぬ己の素顔とろろ汁

おおよそ自分の顔を熟知している人間なんてこの世にいないのではないか。写真にうつった顔や鏡のなかの顔をみて、まあ、こんな顔なんだろうと推測しているのだ。ましてや「素顔」ってなんだ。化粧をしないありのままの顔、と辞書にあって、まあ「化粧をしない」まではわかる。しかし、「ありのままの顔」とくると、なかなか難しい。さらに、「虚飾のない、ありのままの姿」ときたら、これは嘘だろ、って思ってしまう。「虚飾のない」って、あり得るか。嘘でかためてるとまではいわないけど、まず無理だわ。だから素顔なんて到底わかりっこないんだから「良く知らぬ」でいいのよ。と思いつつとろろ汁を掻き回す。とろろ汁は最高にうまい。とあげたその顔、いい顔してると思う。

 篤実なカバンのままに越年す

「篤実なカバン」を大切にしている作者か。しかし、この「篤実なカバン」っていったいどんなカバンなのだ。カバンの風体をさしていることもあるだろうが、わたしはこのカバンの持ち主を投影させているのだろうと思った。篤実な方が愛用しているカバンであるから、篤実なカバン。だけどそれじゃつまらない。カバンがひとつの人格をもっているように篤実さが前面に出ているのだ。そしてそのカバンが年を越す。年を越してもカバンへの信頼はゆるぎない。だって篤実なカバンだから。わたしもこんなカバンが欲しいとおもったけど、だめ。人間がヤクザだから。きっと作者の河内文雄さんは篤実なお方なのだ。う~む。確かに。

校正スタッフの幸香さんは、〈舟虫の背後にまはること難し〉が好きであると。
「楽しい句です。今度挑戦してみます。」

自分は、このような句集を編みたいと思い、このような句集を編みました。その単純な一事を以て、今まで無駄だと思って来た遠まわりの日々が、突然、意味のある時間の連なりへと変貌を遂げました。
これは間違いなく俳句の効用です。しかし、それだけでは無いことを教えてくれたのは彼らです。世間では、仏の顔も三度までと言いますが、彼らは
何と、七度にわたり、我慢強く、辛抱強く、忍耐強く、私のワガママに付き合ってくれました。
今回もまた私は、チームワークの結晶を手にして、ひとときの幸福感に浸ることでしょう。そして再び、すべてを飲み込むブラックホールのような「明日」へ帰って行きます。

「あとがき」を紹介。


本句集の装釘は、君嶋真理子さん。


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既刊句集とひびきあっている。

君嶋さんも楽しんで装幀をしているようす。


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今度の表紙は藤紫で。



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 学び舎へ遅日の道は白く細く



上梓後のご感想をいただいた。

◆所感
そもそも俳句に能動的に関わるようになったきっかけが、自分自身の失語症の治療のためでしたから、今になって振り返って見ると、当初は早く成果が欲しくて、相当に“がっついて”いたように思います。

しかし世の中には無駄なものなど何一つないようで、そのような貪欲な時期を通したからこそ、無味無臭無色であるはずの言葉に、実は色や彩があり、香りやニオイがあり、同じニオイにも匂いや臭いがあり、五味を超越した深い味わいがあるという事実を早く知ることになりました。

しかし知る事とそれを俳句に再構築するのは全く別物です。カラフルでフレグラントでスイートな言葉を、縦横に駆使出来るようになるのは、一体いつになる事でしょうか?

 
 枯蓮へ死は一枚の素紙のごと    河内文雄




河内文雄さま。

句集のご上梓、おめでとうございます。

今回も素敵な句集をおつくりさせていただきました。
いつも、どんな句集になるかたのしみにドキドキしております。







晩年に至り、自分の句業を纏めるという喜びを知ることとなりました。_f0071480_16142176.jpg
 鶫。


もう少ししたら帰ってしまう。




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by fragie777 | 2025-02-28 18:44 | Comments(0)


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