カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
2月24日(月) 旧暦1月27日
神代植物園の紅梅。 梅林はまだ満開というわけではなかったが、人の出も多くそれなりに見ごろであった。 深大寺山門の梅。 白梅、紅梅、薄紅梅が植えられていて風情がある。 この寺の好ましいのは、この藁ぶき屋根の山門の小ささである。 幅の狭い急石段をのぼり、ここを通って境内にはいるのだ。 新聞記事を紹介しておきたい。 昨日の朝日新聞の岸本尚毅さんによる「俳句時評」に、『綾部仁喜全句集』(ふらんす堂刊)がとりあげられていた。『大峯あきら全句集』(青磁社刊)とともに。タイトルは「沈潜の果実」。抜粋して紹介したい。 〈青空のここまで降りて菊薫る〉大峯あきら 作者は二〇一八年に八十八歳で逝去。その最晩年の作だ。漂う菊の香にかぶさるような空がある。(略)〈秋風のまつすぐに来る門のあり〉なども単純な句姿ながら景を叙して間然とするところがない。 〈ねこじやらし過去ことごとく風に失せ〉綾部仁喜 二〇一五年に八十五歳で逝去するまでの十余年を入院病臥。掲句はそのさなかの作で、エノコログサを眺めながら、風に吹かれるように失せ去った過去を思う。(略)〈いちまいの窓ある桜月夜かな〉は単純化の妙。人口呼吸器を使う病状ながら、〈立春の蚊がゐて重き胸の上〉は諧謔を忘れていない。 二冊から引いた句はいずれも句集未収録。最晩年の作品が読めるのは全句集のありがたみだ。 大峯は平成三十年、綾部は平成二十七年没。ともに「平成」の主要な俳人に数えられる。この時代は、揶揄的に「平成無風」と呼ばれた。活発な論争がなく、斬新な作風・俳句観が出現しなかった時期という意味だ。真に「無風」だったかどうかはともかく、大峯や綾部の作品は平成の「沈潜」の果実として評価しうるものと思う。 今日は芝不器男の忌日である。 村上鞆彦著『芝不器男の百句』より、紹介したい。 奥津城(おっくつき)に犬を葬る二月かな 芝 不器男 「奥津城」とは、墓であり、墓所のこと。特に神道の墓の意味もあるが、ここではそこまで厳密に区別しなくてもよいだろう。ただし、単に墓と言うよりは、やや改まった語感があり、区画の整った、格式のある墓所が想像される。そこに犬を葬ったというのだが、目立たぬ片隅に埋めて小さな石でも置いたのか。「二月」は冬から春へと移り変わる端境期。寒さと暖かさ、翳と光という両極のイメージを含んでおり、それだけ使うのが難しいデリケートな季語だ。しかしここではもの悲しさの滲む上五中七を感覚的によく受け止めている。(昭和三年) 以下は巻末の解説より抜粋。 本書を執筆するにあたって、私にはぜひとも訪ねておきたいところがあった。不器男が生まれ育った土地である。 愛媛県松野町。松山市から車で、途中高速道路を使って二時間ほど。そこは四万十川の支流である広見川の中流域に位置し、周りを山に囲まれた静かな町だった。訪ねたのは八月の盆過ぎ、太陽は盛夏の勢いそのままにかっと照りつけていた。 不器男の生家は、現在記念館として保存され、数多くの資料が展示されている。それらをひと通り見てから、広見川の河原へ行ってみた。水の流れに手を浸すと、心地良い冷たさで、汗がすっと引いていくようだった。河原に屈んだまま、流れてゆく水の光を見つめ、近くの山の木々を揺らして風が渡ってゆくのを眺めた。これが不器男の山河なのだと思った。(略) 故郷の山河は、そんな不器男を懐深く抱き込んだ。今なお古びない新しさを持った不器男の一句一句には、彼の心の浸透した故郷の自然の姿が顕現している。 椿落ちて色うしなひぬたちどころ 芝 不器男 今日の椿。
by fragie777
| 2025-02-24 18:25
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||