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2月8日(土) 黄鶯睍晥(うぐいすなく)針供養 旧暦1月11日
まだほとんどが開花していなかったけれど、いくつかの梅が咲きはじめていた。 今日は、山西雅子著『花の一句』より今日の句。 梅白しまことに白く新しく 星野立子 この句を読むと、立子はどう白くどう新しいかではなく、白く新しいということだけを言いたかったのだとつくづく感じる。立子の句の特徴の一つに大掴みな形容詞の使用があげられるが、それは手放しとか大らかというより、むしろ対象への礼節の表現だったのではないだろうか。己の見方で対象を恣に切り刻むことへの畏れを、この句は思い出させてくれる。(『続立子句集第一』季語=梅(春) 墓穴がきれいに掘れて梅の花 大串 章 この句の「きれいに掘れて」の「きれい」とは、どんな奇麗さだろう。死者を葬るための「墓穴」が、どのように掘れると「きれい」なのだろう。図らずも、掘られた墓穴を「きれい」と感じたその心の在りようこそが、この墓穴に葬られる者の〈死〉の清らかさそのものではないか。暗い墓穴を見つめている。その背後に、これから葬られるきれいな死者がひとり。(『大地』二〇〇五年六月刊行)季語=梅(春) そして、髙柳克弘著『芭蕉の一句』より。芭蕉は梅の季題でずいぶん詠んでいる、そのなかの17日日付のもの。 梅が香に追ひもどさるる寒さかな 松尾芭蕉 「余寒」といい、あたたかくなりかけた折にとつぜん冬の寒さが戻ってくることがある。その本意は「ものゝ滞る心」(『俳諧雅楽集』)。この句では、寒さなど追い戻し、万物を春へと動かす、梅の花の凛とした気高さを詠んでいる。『万葉集』では梅の花の色と香りの区別ははっきりせず、どちらも「にほひ」と称されていた。平安期に入って「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる 凡河内躬恒」(『古今集』)と色と香は分けて捉えられるようになったが、梅の香をこのように動的に、力強く詠んだのは、芭蕉がはじめてだろう。季語=梅(春) 梅の花の詠まれ方も鑑賞の仕方もそれぞれである。 では、『万葉集』より一首。 我が園に梅の花散る久かたの天(あめ)より雪の流れ来るかも 大伴旅人 蠟梅もなお咲いていた。
by fragie777
| 2025-02-08 20:19
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