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2月5日(水) 旧暦1月8日
今朝の障子。 障子に映った影がいいなあって。 しばらく見とれる。 そんなこと思うのはyamaokaだけかもしれないけど。 これはわたしの朝のともだち。 わたしが太極拳をやるのを見てくれている。 今日は、寒い朝だった。 仕事場まであるくつもりが、すぐにくじけて車で出社。 今日は一日中、机にへばりついて仕事。 地上におりることもなかった。 1月31日づけの東京新聞の俳句時評は、安里琉太さんの「正直日和」。 「切迫感」と題して、藤井あかり句集『メゾティント』をとりあげている。 抜粋して紹介したい。 (略)切迫感といえば昨年刊行の藤井あかりの「メゾティント」には、そういう良さがあった。〈胸に森その一本に鵙来る〉〈卯の花がなだれ込まないやう瞑る〉〈踏み込みてこよ草の絮とばしつつ〉―この句集の主体は心が、脳ではなく胸にあると思っている。瞼を閉じて世界を閉ざすこともあるが、瞼の裏や身体の内側にも景を映すことがある。内と外との隔絶があり、他者とは基本的には分かり合えない。390句程の句は章立てで区切られることなく、一連として進んでいく。(略) 〈幻聴か氷菓の溶けてゆく音か〉ー感覚に鋭敏な主体だ。句集の冒頭から特別音が意識される。音は瞼で閉ざせてしまう風景とは異なって意思に関わらず流れ込んでくる。〈花辛夷声出して喉取りもどす〉の”肉声”の感じは音によって自らに身体が現れている点で特徴的だ。 坪内稔典さんから、著書『モーロク日和』(創風社出版)を送っていただいた。 パラパラとめくっていたら、「枕はアリストテレス」と題したエッセイが目に入った。坪内さんは、岩波文庫版の「アリストテレス全集」を定期的に買っておられるという。第15回目の配本は、「弁論術」と「詩学」。その「弁論術」に「老人というものの」定義があってそれを書いておられる。その定義がおもしろくてR女のわたしはニヤッとしてしまった。アリストテレスと言えども、斬新なことは言ってなくて今の老人の定義とほぼ変わらないのも面白い。 このエッセイでわたしがいちばん興味深く思ったのは、次の一文。 四年前に胃がんの手術を受けたとき、死を身近に感じた。その感じの中で、今の自分からもっとも遠いものにアクセスしたい、と思った。 そこで、出版がはじまったアリストテレス全集を買うことにしたというのである。読んでもわからないだろうし、読み始めたらすぐに眠ってしまって枕になるかも(で、「アリストテレスの枕」か)と、坪内さんは書いておられるのだが、 「でもいい。とても遠いものにつながっていたい」 と更に書いておられる。 わたしは坪内稔典さんの心の動きに興を起こしつつ、坪内稔典さんを思いうかべ、また、会ったことはないのだけれどかつてヴェニスでみたラファエロの描いたアリストテレスの姿などをしばし思い浮かべたりしたのだった。
by fragie777
| 2025-02-05 18:21
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