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2月4日(火) 東風解氷(はるかぜこおりをとく) 旧暦1月7日
水仙。 心惹かれる花だ。 今日の朝の天気予報だったかしら、 「春になりました。梅もほころび、このように水仙もきれいです」と予報士さんが言っていて、 「あら、水仙は冬の花よ」っておもわず突っ込んでしまった。 季語と向き合う仕事をしていると、つい言ってしまいたくなる。 立春を過ぎたのに超絶さむい。 身も凍るさむさである。 今日も野暮用があって、半日以上でかけてしまいさきほど戻ったところ。 すでにスタッフたちがいないところでこうしてブログを書き始めた。 昨年の12月11日に俳人の高橋悦男氏が亡くなられた。 享年90歳 俳誌「海」を創刊主宰をされた俳人である。 師は、野澤節子。 俳誌「海」は、ご息女の日下野由季さんによって主宰継承、まだお若い由季さんが頑張っておられる。 次の生(よ)は月の兎にならめやも 高橋悦男 句集『月の兎』より。 子供の頃、月には兎がいて萬月の夜になると餅をついている、と教えられた。萬月を見るとたしかに黒い影があり、餅をついているように見えた。その月に住みたいというのが、私の夢であり、ロマンである。(あとがき) ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 四ツ谷龍さんより「むしめがね」を送っていただく。 連絡をいただいていたのだが、「特集 『編棒を火の色に替えてから』」にフランス文学者であり、「ふらんす堂通信」にも連載の執筆をしてくださっている高遠弘美さんが、寄稿している。 タイトルは「寛衣からヴァイオリンへ」 高遠さんは、俳句という文芸にたいするある複雑な想いをかたりながら、四ツ谷龍編『編棒を火の色に替えてから 冬野虹詩文集』について語る。ここではほんのすこしだけとなるが紹介をしたい。 舌足らずだったらごめんさないさませ。 高遠弘美さんは、(以下抜粋です) ここで『集成』ではなく素粒社版選集をあへて取り上げるのは、本稿の依頼がさうだったからだけでなく、詩作品の選集といふ魅力的な問題に同書がみごとな答へを出してゐると思はれたからである。 いまさらことごとしく言ふまでもなく、詩作品はアンソロジーに収められたときはじめてその真価を現す。史上どれほど重要とされようとも、個人詩集には傑作と呼べない作品が必然的に入り込む。(略) その観点から素粒社版『冬野虹詩文集』収載の俳句について見てみると、美点と呼ぶべきある特徴が浮かび上がってくる。 として、冬野虹の俳句について(『集成』に収録してあるが『詩文集』から省かれたものなどを紹介しながら)四ツ谷龍さんが、編者として詩文集にのこしたものを6句紹介して、その幾つかを連句的観点によって鑑賞ほどこしている。そして、 煩瑣を避けて此処あたりで筆を止めるが、以上、粗略ながら見て来た冬野虹に俳句の四ツ谷龍による二度目の編纂はかにかくに俳句の本質に「孤心と宴」の存在を探り当てた上で、現代俳句ににはなかなか見られない連句的発想を冬野虹の俳句の裡にしかと掴んでゐる点で高く評価されなくてはならない。 高遠さんがあげた6句を紹介しておきたい。 冬芝の上のひかりの忘れ物 冬野 虹 寛衣着て庭を掃きたく候ふよ 慈姑むく螺旋の皮やヴァイオリン 慈姑置く重箱の隅清きかな だから矢を放つた神へ菊枕 烏賊のやうに平らかにフェードルは死ぬ 「むしめがね」では、四ツ谷龍さんによる「再論・田中裕明」が、連載されている。 四ツ谷さんが力をそそいでいる論考である。 これから帰ります。 寒さにビビるわ。
by fragie777
| 2025-02-04 19:52
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