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1月23日(木) 旧暦12月24日
田島健一著『平成の一句』が出来上がる。 久しぶりの365日シリーズのものである。 2022年1月1日から12月31日にわたって、ふらんす堂のホームページに毎日紹介されたものを1冊にしたものである。 すでに亡くなった俳人もいればとびきり若い俳人もいる。 執筆者の田島健一さんにすべてお任せした。 巻末の解説の部分をまず紹介したい。 タイトルは「平成の終焉、そして俳句の展望など」。 この解説はとても面白く読ませるものだとわたしは思う。 本書は平成期に詠まれた、あるいはその時期に発表された俳句作品について一日一句、一年三六五句を鑑賞したものです。同時に、一人でも多くの俳人に登場していただきたいと考え、一日に一人、一年三六五人の俳人を取り上げました。 平成は一九八九年一月八日から二〇一九年四月三十日まで約三十年続きました。 平成という時代がどのような時代だったのか、あるいはその期間の俳句史がどのようなものだったかといった詳細な分析は筆者の手に余るので、それについては然るべき専門家に譲りたいと思います。 と、平成という時代分析を避けるような田島健一さんの書きだしになっているが、田島さんは、平成時代がはじまるとともに俳句をはじめられた方である。「平成のはじまりが私にとっての俳句人生のはじまりでした。」と。 そして、あざやかな手つきで平成という時代を分析していく。 この解説は、一読に値するものである。 一部のみ引用しておきたい。 かつて昭和期には「俳句の本質」ということが言われました。俳句を俳句たらしめるたった一つの「本質」があると信じられてきました。それは、あるときは「花鳥諷詠」であったり、あるときは「有季定型」であったり、そしてまたあるときは「切れ」であったりしたかも知れません。そしてこの「俳句の本質」をめぐる対立軸が多くの論争を呼び、戦後の俳句界を賑やかにしたのです。 「平成無風」という言葉があります。これは平成期において昭和の頃のような論争が失われ、まるで凪のように穏やかだった平成俳壇の様子を揶揄する言葉として知られています。確かに振り返ってみると平成期には俳句史に残るような本質的な議論や俳句論があまり見当たらないようにも思われます。けれどもそれは昭和期に議論された「俳句の本質」なるものが失われたことを意味しません。むしろ、そうした「本質」が相対化され、俳人の数だけ「俳句の本質」がある、とされた時代だったと言えるでしょう。 こうして昭和期の「たった一つの本質」を求める時代から、令和期の「無限の多様性」が求められる時代への変遷の中で人々の真理は複数化しました。平成という時代はいわばその間の架け橋のような時代で、言い換えれば、人々がそれぞれの信じる真理を生きた時代だったと言えるかも知れません。 本書は、そうした平成期に書かれた作品をまとめたアンソロジーです。これらの作品は、一句としての表現のみならず、それを書いた俳人たちの経験と個々の俳句観のなかから生み出されたものでした。本アンソロジーは、そうした個々の真理の集合体でありながら、今もなお俳句という全体像に「俳句以上」の無限の可能性が拓かれていることのささやかな証左となるのではないでしょうか。 そして、解説の論が前後してしまうが、 俳句は多様性の文芸である、と言った場合、それは「いろいろな俳句が書かれている」という意味だけでなく、過去にも未来にも、すでに書かれた俳句も、書かれる可能性があった俳句も、そしてこれから書かれ得る俳句も、そこには無限の俳句が広がっている、ということです。この「無限」というイメージが持てるかどうか、それがいまこの令和の時代に問われています。 「平成の一句」は、「俳句を如何に詠み、読むか」ということにおいて、俳人たちをあるしばりから解放しつつ、多様な詠みと読みへと導いていくものである。 本文の鑑賞は、今日の日付のものを紹介したい。 ゆゑに侘助水も己を不気味がり 生駒大祐 「侘助」は椿の一種。人間がそうであるように、水もまた不可解な己を不気味がる。上五の「ゆゑに侘助」は唐突で、何者かの台詞のようでもあるが、そこには何かしらの理由が、言及されないかたちで書かれているとは言えないか。その花が侘助であること、水が己を不気味がること、人間もまたそうであること─それらには、理由がある。記述不可能な理由が。(『水界園丁』二〇一九年六月刊行)季語=侘助(冬) 田島健一さんは、俳句をつくりはじめたとき「寒雷」の句会に参加しておられたという。その楸邨の句をどんな風に読んでいるか。と思って本著をさがしたところ、楸邨の句は鑑賞されていない。 そうか、楸邨はまごうことなき昭和の俳人なのだ。 では、「炎環」に所属する田島さんの師である石寒太さんの句について、紹介をしたおきたい。 4月23日の日付である。 はんにちは母半日は海へちるさくら 石 寒太 海の見える大地。そこでしきりに散るさくら。その散るさくらのなかで日のある半日を働き詰めの母。ある春の日の、海とさくらと母の織りなす時間の流れを、作者はダイナミックに眺め続けている。大事なことは、このとき作者の視線は「ちるさくら」そのものに成り代わっていることだ。彼は、いまこの瞬間のかけがえのない風景を見つめる。その母の息子として。(『翔』一九九二年五月刊行)季語=桜(春) 「平成の一句」に紹介されている俳句の読みは、それが正解なのではなくて、多様な読みがあってもちろん良い。 平成の時代にどんな俳句が詠まれたかを知る一つのテキストとして、そしてそこに自身の自在な読みを加えうるテキストとして、是非読んでほしい『平成の一句』である。 もちろん、田島健一さんの平成の俳句についての分析に反論があってもいいと思うし、この一書もまた、一つの平成俳句論なのであると思う。 今日、家からピアノが去って行った。 狭い居間のドアーから出すのが不可能と思われたのであるが、それはもう念力をあたえ(わたしがカメハメハーをおくった)奇蹟としかいいようのない感じで居間の入り口がのびて、ピアノは業者さんに運ばれて行ったのだった。(業者さんもびっくりしていた) さようなら。 ピアノ。 業者さんが、ピアノを確認するために、一瞬中をひらいた。 (なんと、美しい!!) こちらは下の部分。 こんな風に糸が張り巡らされていて、美しい曲線をなしているとは。。。 5秒間くらいであったが、黒く武装していたピアノの夢みる部分を垣間見させてもらったのだ。 これほど優渼であるとは、、、 思わず感嘆の声をあげてしまった。 春闌けてピアノの前に椅子がない 澤 好摩 『平成の一句』より。 椅子は猫たちの爪研ぎによって見るも無惨となって、ピアノとは別れる運命となった。
by fragie777
| 2025-01-23 18:40
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