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1月19日(日) 旧暦12月20日
神代水生植物園にて。 たまたま通りかかったところ、こうして撮ることができた。 ラッキーかも。 これほど紅色の鳥とは。 やはり渋い。 「ピッ、ピッポ、ピポッポッポ」って鳴くらしいが、今日は鳴き声は聞こえなかった。 はじめて見た鳥である。 今日は佐藤鬼房の忌日である。 2002年の今日亡くなった。 享年82歳。 わたしは生前何度かお目にかかっている。 渡辺誠一郎著『佐藤鬼房の百句』より数句紹介したい。 会ひ別れ霙の闇の跫音追ふ 『名もなき日夜』 昭和二十六年 昭和十六年十二月二十八日の夕ぐれ時、中国南京城外で、鈴木六林男と初めて出会う。二人は雑誌に載った作品を通して互いに知る仲であった。六林男は、鬼房の所属する部隊が近くにいることを知り、戦線離脱をして会いに行くのだ。〈跫音追ふ〉から戦場の緊迫感が伝わる。滞在の時間はわずか二時間ほど。後に二人はこの時、特別な話を交わしたわけではなかったと語る。六林男は同じ様に〈会い別る占領都市の夜の霰〉と詠む。戦場での最も劇的で、最も鮮やかな出会いであった。二人は盟友であり、生涯のライバルとなる。 松島の雨月や会ふも別るるも 『半跏坐』 平成元年 西東三鬼は昭和三十六年八月、角川源義に招かれ、仙台で開催された俳誌「河」の全国大会に出席した。その足で塩竈、松島などを巡った。鬼房も会場の作並温泉に泊まり、同行する。この句は、塩竈の桟橋で松島に向かう三鬼との別れを詠んだもの。雨月の佳景松島の良さ、そして〈会ふも別るるも〉には三鬼への思いが、旅情とともに深い。三鬼は、〈男の別れ貝殻山の冷ゆる夏〉と詠む。〈男の別れ〉の通り、弟子である鬼房への眼差しに哀愁深い優しさが滲む。三鬼は帰京後胃がんを煩い入院。鬼房も別れた二時間後に、胆囊を病み入院する。 みちのくに生まれて老いて萩を愛づ 『幻夢』 平成十六年 萩は昔から多くの歌人によって詠まれてきた。『源氏物語』にある〈宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ〉のように、「宮城野萩」は最も優美な花として知られた。まさに王朝文化の風情を象徴する。宮城に生きる鬼房にとって、萩は身近にあった。しかしこの句には、かつての〈毛皮はぐ日中桜満開に〉と詠んだ鬼房の姿はない。晩年にあって、萩を愛でるところまで至ったとする感慨がこの句に滲む。他に、〈宮城野の萩の下葉に死後も待つ〉。 以下は渡辺誠一郎さんの解説よりの抜粋。 死後刊行された句集『幻夢』には、詩想への思いを隠さず、さらに高みをめざす最後の鬼房の姿がある。明日に春を待つ妄想の中で、永遠なる命を目指すように、大いなる死(生)へと最後の力をふりしぼる。そして、現実のさまざまな枷から解き放され、次なる世へと向かうのだ。 死後のわれ月光の瀧束ねゐる 神代植物園の木々たちはすっかり裸木となっていた。 こうなるとちょっとコワイ。 息をとめて小走りに通過する。 が、 ふと空をみると、 鳥が。 鴉か。 いや、ちがう。 大鷹である。 わたしはひと目でわかった。 大木のひとつにとまった。 さっそくカメラをZoomして撮ってみた。 やはり大鷹。 たぶん、昨年生まれた若鷹のひとつである。 鷹がとまっている木に、もう一羽鳥がちかづく。 しかし、 鴉である。 大鷹も鴉もおおきさはほとんど同じくらいだ。 しかし、飛び方がちがう。 それと色ももちろんちがう。 大鷹とはかなり親しいつもりなので、すぐに見わけがつく。 結構仲いいのよ。 この木の上のほうに大鷹がいるんだけど、わかります? わたしはわかるんだ。(自慢げでしょ) 昨日のテレビで放映の「最強ハンター猛禽類」素晴らしかった。 過酷な現実を知力でもって生き抜いている猛禽類たち。 わたしも頑張ろう。。。。
by fragie777
| 2025-01-19 19:19
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