カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
1月10日(金) 水泉動(しみずあたたかをふくむ) 旧暦12月11日
無患子(ムクロジ)の実。 空が青かった。 今日はひときわ寒かった。 わたしは着古した黒のダウンジャケットを着て、仕事場に行くことにした。 着古してはいるもののダウンジャケットは温(ぬく)い。 そして軽い。 イヤフォンをして歩きながら聴く音楽は、サザンオールスターズの古い曲だ。 「HOTEL PACIFIC」なんて大好きさ。。 しかし、夏の曲である。 北風がふくなかをダウンを着て背をまるめて、 ♫ ギラギラ輝く 太陽が 時代の片隅へ おちてゆく ♫ なんていう歌詞を聴いているのだ。 桑田佳祐のかく詞は、イカシテルっていつも思う。 今日は、俳人・綾部仁喜の忌日である。 2015年1月10日に亡くなった。 すでに10年が経つとは。。。 享年85歳。 『綾部仁喜全句集』も刊行になった。 編者の藤本美和子さんが、昨日メールをくださった。 「明日は先生の命日……。十年も経ったことに驚きつつ、全句集も刊行できましたのでいっそう感慨深い命日となりそうです。 たまたま「泉」の句会がありますので皆さんと一緒に先生を偲ぶことができそうです。 巳年の先生が巳の年に全句集刊行、この偶然きっと仁喜先生は喜んでくださると思っています。」 そうか、綾部先生は巳年だったのか。。 綾部仁喜氏は、全句集をつくるよう生前藤本さんにそのことをきちんと託されたのだった。 『綾部仁喜全句集』をすこし紹介しておきたい。 四六判仮フランス製本カバー装帯有り 364頁 第1句集『山王』、第2句集『僕簡』、第3句集『寒木』、第4句集『沈黙』、「俳句日記」、『沈黙』以後、「補遺『鶴』投句時代」、解題/年譜、初句索引、季語索引 初期の「鶴」投句時代の作品が読めるというのも資料性がある。 「鶴」投句時代の俳句をいれるように、というのは綾部仁喜氏の希望であり、それに応えるべく藤本美和子さんは、いそがしいなかをぬって俳句文学館に通われたのだった。 教師いつまで梅雨の白墨折れやすし 「鶴」1955年7月号 全句集よりすこし句を紹介をしたい。 底澄みて殉教の島の草泉 『山王』 銭洗ふ鼻はこの世のしぐれかな 怒りゐてだんだん怒る曼珠沙華 桐の花居留守を妻に言ひわたす 大寒の木を樫と言ひ樟と言ふ 雑木山春の氷を置きにけり 『撲簡』 死ぬるにも力を要す春の霜 たたかはぬ蛙がわれを見上げけり 更衣駅白波となりにけり 晴れてきし蛍袋の下の土 白玉の器の下が濡れにけり 天よりも地のよく晴れて唐辛子 さしのべし手と綿虫と宙にあり 笹鳴の顔まで見せてくれにけり さまざまに世を捨てにけり歌かるた 寒風の最も先を歩きけり 涅槃図の一人みづみづしくありぬ 『寒木』 湖を叩いて洗ふ水着かな ななかまど信濃の雨の固さかな 七五三しつかりバスにつかまつて 一鳥を歩ませてゐる氷かな 水仙をまつすぐ立ててくる手かな 雪吊の中にも雪の降りにけり 『沈黙』 たくさんの音沈みゐる冬の水 青空が日ごとに深し耐ふるべし 耳掻きの二日の曲り具合かな 三月の咽切つて雲軽くせり 一章を読みそれからの夜長し 沈黙のたとへば風の吾亦紅 一本の芒の水を替へにけり 秋天や車椅子ごと妻擁く 柊を離れたる香に触れにけり 舌すこしのぞける雛飾りけり 生別と死別といづれ実千両 桐咲くや永遠に小さき母の顔 落葉松の奥も落葉松雪降れり 寒木となりきるひかり枝にあり 綾部仁喜 以下、綾部仁喜著『山王林だより』(角川SSC刊)より。 「『切れlの確かな句」(「泉」平成16年8月号収載のもの)の項より抜粋。 たまたま「俳句研究」六月号の「俊英競詠」欄にわが同士の千葉皓史君が登場しているので、お相手の田中裕明氏ともども各二句ずつ紹介する。 山中に人ゐる春の寒さかな 千葉皓史 浮かびゐる鴉の数の日永かな 風に散るはなびら白し竹の秋 田中裕明 鯉こくや水の近江の花の冷 それぞれ「切れ」の確かな作品である。俳句は「切れ」が確かだと一句が安定し、品格も高まる。上記の四句も一読こちらの心が改まる思いがする。佳句のゆえんであり、「切れ」のゆえんである。 (略) 俳句界にはさまざまな考え方があり、多様な作品が作られている。そしてなかには、「切れ」を軽視した句もけっして少なしとしない。しかし、「泉」はそれに酌みしない。「切れ」の確かな句をつくり、「や・かな・けり」を使いつづける。それが「泉」である。 霜柱俳句は切字響きけり 石田波郷 以下は、句集『樸簡』の「あとがき」より。 俳句は造化の語る即刻の説話と考へてゐる。俳人はその再話者である。 や・かな・けりを疑つたことはない。なるべくものを言ひたくない者にこれほどうつてつけのものはない。
by fragie777
| 2025-01-10 18:16
|
Comments(2)
![]()
1月10日は大隈重信公の忌日でもありますね。佐賀に生まれ、1922年東京の自邸で亡くなりました。享年八十三。
悪筆を自称し、書簡などをほとんど遺さなかったので、俳句や短歌は詠まれなかったのでしょう。
0
村山半信さま
そうでしたか。 大熊重信公の忌日でしたか。 悪筆とは、知らなかった。 いまはパソコンがありますが、当時は、のがれようもなかったでしょうね。 どんな字を書いたか、かえって興味が出てきました。 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 (yamaoka)
|
ファン申請 |
||