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1月9日(木) 旧暦12月10日
神代水生植物園の枯蘆の世界。 ブログで後閑達雄さんのご逝去について、 25日に亡くなったと記したが、確実ではないことをお断りしておきます。 25日の夜に、病院から親族かどうかをたずねる電話をもらった(わたしではない)ということで、すでにその時には亡くなっていたのではないかと推測して書いたものである。 あるいは、その時は昏睡状態であったのかもしれない。 というのは、後閑さんは、ふらんす堂へ『綾部仁喜全句集』を注文してくださっていて、25日着の宅急便で全句集を受け取っておられるようなのだ。 調べたところ、14時の段階で受け取り完了となっているのだ。 ということは、25日の昼間はまだ生きておられたということである。 いったいどのような状態で病院にはこばれたのだろうか、あるいは自力で行かれたのか、 その病院に電話をしてみたのだが、思ったとおり個人情報だということで何も教えてもらえなかったのである。 教えてもらったさる自治体では、年末に亡くなられたということ、それ以上はわからないと言われた。 なんとも切ない。 ただなんとなく後閑さんの明るさがクリスマスという日の明るさにも通じるように思えて、せめて亡くなった日を12月25日と思いたいのである。 クリスマスケーキ苺をのせて切る 後閑達雄 今日は松瀬青々の忌日である。 1937年(昭和12)の今日亡くなった。 狭心症にて死去。69歳。 茨木和生氏の解説によると「虚子は『投句六〇』、悉く之を採るも可」と書き、「『ホトトギス』で、「大阪に青々あり」と正岡子規に推称された。」とある。 作風は「初め蕪村に傾斜して天明調の句を詠み、子規をはじめ俳壇の注目を浴びた。漢籍、仏典に明るく、『俳句は自然界の妙に触れると共に人間生活の浄化をはかるにある』として、後は芭蕉に傾倒した。多作をもって知られ、大自然讃仰の句を詠み。向上一途の生涯を送った。古季語。難季語の句をよく詠み。独自の俳画も切り開いた。」(『現代俳句事典』三省堂) 日盛りに蝶のふれ合ふ音すなり 松瀬青々 松瀬青々句衆『妻木抄』(大阪の俳句ー明治編1) ふらんす堂 以下新年の句より 元日や目出た顔なる貧乏人 人㒵のほのぼの白き雑煮かな 押鮎や南は吉野草の宿 羽子板を胸にかかへて寝る子哉 酒過ぎてにぶき寝覚や松の内 「ふらんす堂通信183号」のコラムのイラストが君嶋真理子さんよりあがってきた。 今回は総勢九人によるご挨拶である。 お題は、恒例の今年の漢字一字。 スタッフそれぞれが、漢字一字にどのような思いをこめたか、楽しみにしていただきたい。 みな大まじめなのだけれど、けっこう笑える。
by fragie777
| 2025-01-09 18:53
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