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1月8日(水) 初薬師 旧暦12月9日
今日の疵ひとつなき冬青空。 つくづくと見入る。。。 さて、 後閑達雄さんの急逝のこと。 詳しいことはわからないのであるが、昨年に病院に運ばれたということを知り、気がかりなまま年を越した。 なんとかその後のことを知りたいと思い、できるだけの手をつくしたところ、後閑さんにかかわりのある自治体から亡くなったという情報をもらうことができたのだった。 個人情報にかかわることなので、安否以外の詳しいことは聞けなかったが。 後閑さんが運ばれた病院が親族の人をさがしているということを知ったのが昨年の25日である。 たぶんもうその時に息をひきとられていたのだと思う。 24日の後閑さんのFacebookに、風邪を引いたこと、熱があること、薬を飲んでねます。と記されていたのが最後の言葉だった。 その後は、携帯に電話をしてもつながらない状態だった。 どうしたものか、連絡のつけようもなく、あるいはと最悪のことを考えつつ、年を越すことになったのだった。 昨日の朝、亡くなったことを知ったので、やはり心配をされていた金子敦さんに連絡をとったのだが、 金子敦さんもたいへんショックを受けられた。 「『ラスカル兄さん』と呼んでくれて、仲良くしてたんです」と金子敦さん。 ほかにも交流のある俳人の方々に知らせたくXに投稿し、後閑さんのFacebookに亡くなられたことを記したのだった。 投稿をみた方々は一様にその死におどろかれていた。 そしてみなさん嘆き悲しみ、後閑達雄さんがみなさんに愛されていたことを改めて知ったのだった。 もうすこし、その後の後閑さんのことを知りたいのであるが、なすすべもない。 後閑達雄さんは、ふらんす堂から、三冊の句集を上梓されている。 第1句集『卵』2009年9月刊行。 第2句集『母の手』2017年9月刊行。 第3句集『カーネーション』2024年6月刊行。 3句集すべてに漫画家つげ忠男さんが表紙の装画を寄せている。 鬱病がひどくて俳句をはじめられたと句集『卵』の「あとがき」にあるが、俳句をすすめたのは、お母さまであった。 このお母さまがアルツハイマー病になられ、介護をしつつ上梓したのが第2句集『母の手』である。 そしてそのお母さまが亡くなり、その母へささげる句集が『カーネーション』だった。 その後すぐにお父さまも亡くなられた。 その時のことなども、後閑さんから伺っている。 後閑さんは「鬱病」だけでなく、ほかの病気もあって、ずいぶんたくさんの薬を飲まれていた。 『カーネーション』を読むと、そのことがわかる。 しかし、ご本人はとても明るく、俳句熱心、勉強熱心だった。 少年の心がうしなわれることなく、そのまま大人になったそんな感じだった。 しかし、わたしは一度もお会いすることはなかったのだ。 金子敦さん曰く、「さびしがり屋で甘えん坊で、そして頑固」と。 後閑達雄さんの句集より俳句をいくつか紹介して、後閑さんを追悼したいと思う。 冷蔵庫まづは卵を並べけり 『卵』 夢を見ぬ全身麻酔四月尽 鶯の声の五月となりにけり 桜草楽譜のコピーあたたかく マフラーを君に巻き直してもらふ 風鈴を踵を上げて吊しけり ラベンダー母にピントを合はせけり 冬空へたとへばこんなラヴソング 吾よりも母の手あたたかしいつも 『母の手』 母に腕嚙まれてしまふカーネーション 父の日やカーラジオより清志郎 障碍者後閑達雄と書いて蟬 炎天や足に挟んで置く鞄 鬱抜けて朝顔の紺美しく 長き夜や鳴らぬ電話を胸に乗せ 近所までジャージの上下花八つ手 今日も俳句にありがたうです日脚伸ぶ 印鑑に息かけてをり草雲雀 『カーネーション』 雪もよひ悲しい時に飲む薬 ぶらんこの白い老人ホームかな 新月や安定剤を六種類 地虫出づジャズにベースのうねりあり カーネーション母に抱きしめられしこと 運命の人から電話なきシャワー 肌色の岩波文庫初しぐれ 紫木蓮しあはせかふしあはせか母は 耳の骨きれいに残り遠蛙 一生を働かず死ぬ桃の花 くそ真面目ばか正直の吾に夏 涼風が母の空より吹いて来る 五十路なら白いTシャツ着てゆかむ 「後閑さんの詩のきらめきが読者の胸にとどくことを、私は疑わない。」(石田郷子/『卵』序) 「彼の句は決して技巧的ではないし、多分〝巧者〟というのでもないだろう。自身それは十分承知の上で、どこまでも自然体のまま、平易な表現で淡々とした解り易い句を心懸けているのではなかろうか。」(つげ忠男/『卵』栞) 「五十路なら」の句は最後から三番目におかれた句である。この句を最初に読んだ時担当スタッフのPさんは、すがすがしい白を着てこれからを生き抜く後閑さんを思ったということだ。「だけれども……」と言ってPさんは肩をおとした。 Facebookで、あるとき後閑さんは、「わたしは母の介護をするために生まれて来たのかもしれません」と呟いていたことがあった。 切ない思いでそれをわたしは読んだ記憶がある。 夜濯や来世も母を介護せむ 『カーネーション』の最後におかれた一句である。 大好きなお母さまのもとにいかれたのですね。 後閑達雄さま。 いただいた年賀状である。 22日付けのFacebook「年賀状を書きました」と記しておられたのだった。 それから3日後に亡くなるとは。 ご冥福をこころよりお祈りもうしあげます。 今朝の冬薔薇。
by fragie777
| 2025-01-08 19:16
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Comments(4)
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
仙田洋子さま
お言葉をありがとうございます。 本当に残念です。 仙田さまも大切な方を亡くされて、辛い思いをされていると思います。後閑さんとも交流がおありだったのですね。 それを伺ってしみじみと後閑さんという人を思っております。 風邪が流行っております。 仙田さまもどうぞお大切になさってください。 (yamaoka)
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yamaoka様
後閑さんの追悼文を書いていただき、どうもありがとうございます。天上の後閑さんもきっと感激されていることでしょう。 実は僕、後閑さんに一度だけお逢いしたことがあります。Facebookで知り合って間もなくの頃、電話で「兄さんにお逢いしたい!」と言うので、「ごめんね。僕はパニック障害という病気で、電車に乗るのが怖いんだよ」と言うと、「それなら、僕が兄さんちの近くまで行く!」と言って、わざわざ大船まで来てくれました。感激のあまり、胸がいっぱいになりました。 一緒にカラオケして、その後はお茶しながら俳句のことをいっぱい語り合いました。今、その時のことを、しみじみと思い出しております・・・。 後閑さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
金子敦さま
お言葉をありがとうございます。 後閑さんが金子さんのことをとても慕われていたことを改めて知りました。 一緒にカラオケをされたんですね。 わたしはお二人にお会いしたことがないのに、 その時の楽しそうな様子が眼にうかぶようです。 後閑さんにも幸せな時間だったでしょう。 風邪が流行っています。 お互い気をつけましょうね。 (yamaoka)
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