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12月29日(日) 旧暦11月29日
飯能・名栗に咲いていた侘助。 やや色の濃い侘助である。 わが家にも侘助があるが、今年はいつもより花の数が多い。 しかし、花の数がおおくてもどこかつつましやかな侘助である。 紹介したい新聞記事などがあるのだが、それは明日にのばして今日は新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 二句組 204頁 初句索引 季語索引付き 令和俳句叢書 著者の中村堯子(なかむらたかこ)さんは、昭和20年(1945)京都生まれ、現在も京都在住。昭和49年(1974)「霜林」(桂樟蹊子主宰)に入会。「霜林」を退会し、昭和54年(1979)「畦」(上田五千石主宰)入会、「畦」新人賞受賞。「畦」同人。平成9年(1997)上田五千石逝去により「畦」を退会し、平成10年(1998)「銀化」(中原道夫主宰)創刊より参加。銀化第一同人。「醍醐会」「空の会」「魯の会」を経て「破の会』「石の会」参加。句集に『風の的』『樹の音』『ショートノウズ・ガー』がある。この度の句集は、第四句集となる。 『布目から雫』は『ショートノーズ・ガー』につづく私の第四句集です。平成二十四年より令和五年までの作品の中から三三一句を選び一集としました。句集名は、〈四万六千日布目から雫〉の一句から貰いました。 と「あとがき」に記されている。「布目から雫」というやや散文的な句集のタイトルは、 七、八年前、まったく偶然、七月十日に浅草寺付近に居り、気が付いたら「四万六千日」の群衆の一人となっていました。ほおずき市もあり、その鉢を抱く嵩高い人々が群衆の瘤とも思えたものです。この日に参拝すれば、「四万六千日」参拝したと同じ功徳があるというのです。 と「あとがき」に書き、ほおずき市の一句より生まれたものである。 本文中よりいくつかわたしの好きな句を紹介したい。 はくれんに腐るはくれん引つかかり 春に象牙の肌のような花びらをもって咲く「はくれん」を詠んだ一句である。これまで詠まれた「はくれん」とはなんとも様相が異なる。今まで詠まれた「白木蓮」の多くは、わたしたちにややクリームがかった陶器のような花びらをもつ白木蓮の存在感を呼び起こすものが多いのであるが、この一句は、陶器の肌を誇る白木蓮もかたなしである。一読すぐにわかるように白木蓮の花びらが腐っていることを読者に喚起する。腐るというのは、白木蓮の場合、盛りをすぎて花びらがしぼむというより茶色く濁ってくることを言ったのである。しかし、花びらが腐ると詠んだ俳句はこれまでにない。水分をたっぷり含んで質量のある花びらはその白さをうしなって無残にも茶色に変色していくわけだけれど、それは生から死へと物質が化学変化をおこしつつ変容、つまり腐っていくことでもある。この花びらの衰退の過程を「腐る」と言い得るのは、白木蓮であるからこそだとも。その死にむかう花びらが、落ちる途中でまだ精気を保ちながら咲いている花びらに引っかかっているという。その対比も面白い。それのみならず、腐臭を放つ(?)白木蓮の花びらが、まだ生きている花びらを浸食していくようにも思えてくる。それほどにこの「腐るはくれん」の措辞は、強烈である。白木蓮の物質感を感じさせる一句である。「引つかかり」の素っ気ない下五もクールだ。はくれんの重さを感じさせる一句でもある。 脇腹は魚にもあり霜の花 この一句も、面白い。魚と霜の花との取り合わせもさることながら、魚のどこに着眼しているかといえば「脇腹」である。この一句、「脇腹は」と最初の上五にもってくることによって、読者に「脇腹」一般を思い起こさせる。人間の脇腹をとっさにイメージするのではないだろうか。しかし、その「脇腹」は「魚の脇腹」なのだ。たしかに魚を前にしてあえてわたしたちは「脇腹」という体の名称を思ったりはしない。しかし、この一句、その身体の一部分である「脇腹」が魚にもあるのだよとあえて告げる。一個の魚以上に、「脇腹」の存在感がふくれあがるような上五中七である。そして「霜の花」の季語である。いったいどんな関連性があるのか、と読者は思う。そこがネライなんだろうか。「霜の花」は、結晶体としての霜の美称である。冷たくて繊細にはかなく咲く霜の花である。「脇腹」というなんというかふてぶてしい響き、しかし人間の脇腹ではなく、魚の水にぬれて美しく光る脇腹、そして霜の花、なかなか出会うことのないそれらが俳句において一句として詠まれたのである。いや俳句であるからこそ詠まれうる世界となったのではないだろうか。 菫より俯く時計修理人 わたしは好きな句である。「菫」も好きだし、「時計修理人」も好き。菫は俯いて咲く。時計修理人もひたすら俯いて仕事をする。そのうつむき方の角度がさらに大きいのが「時計修理人」であるという一句、と鑑賞してしまえば、なんだか理におちてしまう。この一句がすきなのは、「時計修理人」という言葉を俳句に詠んだことがいい。なかなか詠めないと思う。宮澤賢治の童話に出て来そうな「時計修理人」ってわたしは勝手に思った。小さな時計盤を特有な眼鏡をかけて覗き込んでいる、作者はそんな時計修理人をみかけたたのだろうか。なんとも俯き方のはげしいこと。その俯く姿に「菫」を想起するとは。それが面白い。小さな可憐な菫の花、時計の無機質な金属を修理する人、その対比もみえてきてくる。そうしていつの間にかこの「時計修理人」が菫のように可憐にみえてくるから不思議である。 躓いて地面が近しクリスマス 著者ご自身も自選句にいれておられる一句である。「クリスマス」を詠んだ句はたくさんある。救い主の生誕を祝う「クリスマス」である。一読したときこの「クリスマス」の詠まれ方はなんだろうって思った。あまりにも「クリスマス」らしくない、なげやりとも言えそうな詠み方である。しかし、立ち止まった一句だ。こんな風にクリスマスを詠んでみる、それも面白いのではないか。径を歩いていたら前につんのめるように躓いた。あやうく地面に顔をぶっつけそうになった。それを「地面が近し」と客観性をもたせて冷静に詠み止めたところが、いい。あたりは「クリスマス」時期とあって、イルミネーションなどで活気を呈していたのか、それとも「クリスマス」という行事そのものを思ったのか、いずれにしても作者は、「クリスマス」に対して、低体温で臨んでいることが、上五中七でみえてくる。それがかえって面白い。 寝すぎては骨まで重し花の昼 中村堯子という俳人は、類想句から自由である俳人であると思った。それほど、発想がユニークである。掲句も、そう。桜さく季節に昼寝をしたのだ。体がゆるんで熟睡をしたのである。そして目覚めた。体が重い、いや、そういう感覚よりもっと、ちがう感覚、そう、「骨まで重い」と思った。「骨まで重い」とはいったい、とも思うが、尋常でない体の重さであることはわかる。目覚めに「骨」を意識することがどこか桜の情趣と響き合うようにもわたしには思える。桜の花は、人間の心を消滅へと導いていくものに思えてならない。死の淵をのぞかせるというか。ゆえにこそ、その冷徹さからのがれるために人はあえて浮かれてみせるのである。そんな桜の季節の仮眠であれば、寝ている人間にヒタヒタと桜の無常感は侵食していく。寝過ぎたことの時間の堆積は骨に染み込んだのか。桜の季節の昼寝は控えるにこしたことはない。こんな風に書いてきて、考えすぎ? って思った。いずれにしても、掲句、「骨まで重し」が桜とあっていてやはりとてもいいと思う。 中村堯子さんの俳句は、それをそのまままるごと塊として受け止める、理で鑑賞されることを拒否するものがあると思ったのだが、どうだろう。。いろいろと書いてきて、よく言うよって、まあ、そうなんですけど。。。 校正のみおさんは、〈鳥止まるところ黒ずみ日短か〉に惹かれました。鳥にもきっと「定位置」というものがあるのでしょうな」と。 野山をあるいていて、この鳥の定位置をおもうことって多い。去年みたところにきまってというように、同じ鳥がいる。 四冊目の句集を上梓するなど、自分が一番驚いています。ここまで𠮟咤激励を繰り返して下さった方々あってこそです。心より感謝いたします。そして日々共に歩んできた仲間達とはかたい握手を。 「あとがき」である。 本句集の装釘は、和兎さん。 赤が印象的な1冊である。 「布目」を意識して、布感のある用紙を選んだ。 布クロスは、酸漿の色。 金箔が美しい。 四万六千日布目から雫 布目から雫が落ちるように一滴ずつが一句となってあれやこれやと語ってくれたらと願っています。(著者) 上梓後のお気持ちをうかがった。 1 出来上がった句集を手にしたときの感想は、 「四万六千日布目から雫」の句から句集名を『布目から雫』とした。 初めて手にしたときは自分の句集なのに、何だか不思議だった。 四万六千日を象徴するホウズキの色や形がすっきり図形化された 表紙は情緒的でなくすかっと明るくとても気に入っている。 2 今回の句集にこめた思いがありましたら、教えてください。 とくにテーマは持たないが、日常、あるいは小さな旅であってもそこにある一瞬を私と物や事が体感的にぶつかりあうことだろうか。 3 句集上梓後の今後のヴィジョンは、 まことにおこがまし喩えだが、私の句群にはどこか蕪村の匂いがするといわれることがある。とくに蕪村を勉強したことはないが、来年80歳。おくればせながら、少しだけ覗かせて頂こうかと思っている。 中村堯子さん 句集に響き合うかたちで、ポストカードも作られた。 アスファルト打つ雨硬し鳥の恋 中村堯子 俳人の大木あまりさんとお親しい中村堯子さんである。 お二人とも、同じ美大の先輩後輩ということもあって、若い頃から交流がおありである。 わたしは、第一句集『風の的』のときの担当編集者だった。 かつて、大木あまりさんと二人で、中村堯子さんに京都をご案内していただいたことがある。 檀家であるという法然院をとくべつに訪れて、普段ははいることのできない寺院内を案内してもらった。 そこで出された麦茶のおいしかったこと。 法然院はその後何度も、九鬼周造のお墓にいきたくて訪ねたことのあるお寺だ。 明日は、新聞記事を紹介します。
by fragie777
| 2024-12-29 19:16
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