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12月20日(金) 旧暦11月20日
神代植物園の曙杉。 このあたりには大鷹がいる。 このところ逢っていないな。。。 今年生まれた鷹の子どもたちも元気な様子である。。 新刊紹介をしたい。 46判半上製カバー装帯有り 208頁 2句組 著者の宮崎洋(みやざき・ひろし)さんは昭和26年(1951)三重県生まれ、現在は鎌倉市在住。平成22年(2010)「春燈」入会、平成28年(2018)「春燈」春星賞受賞、平成30年(2018)「春燈」同人。令和6年(2024)年「春燈」主宰就任。俳人協会会員。 今年、「春燈」主宰となられた宮崎氏の第一句集である。 跋は、「春燈」のお仲間の三上程子さんが寄せておられる。味のあるいい文章であるが、抜粋して紹介をしたい。 宮崎洋といえば、先ず誰もが無口な人、と思う。何を考えているのだろうかと思うと、不安で声も掛けにくくなる。しかし、質問には的を射た返事がすぐにかえってくる。 彼が「春燈」鎌倉句会に入会したとき、「私は褒められて育つタイプです」と挨拶をした。それ故彼の句を褒めているわけではないが、彼の句には噓がない。少し噓を入れたほうが佳くなることもあるが真面目である。真面目すぎるとつまらない句になるが、そこはさすが、「春燈」に入るまで有力な指導者の許で学んできているので、つまらない句など詠むはずはない。褒めるより他なかった。 初硯まづは大きな丸を書く 古稀はわが革命の時大どんど この句を見たとき、肝の据わった並の人ではないと思った。このところ無口の蓋も少し外れて、ユーモアも飛び出す会話になってきた。これが本来の姿なのかも。 (略) 鈴木直充主宰の突然の大病に急遽主宰交代となり、宮崎氏に白羽の矢が立った。「春燈」を潰してはならぬとの思いで彼は引き受けてくれた。身にしみて有り難く思っている。 突然の主宰の交替にわたしたちも驚いたのであるが、のぞまれて「春燈」主宰となられた宮崎洋さんの第1句集である。 夫人の浅木ノヱさんが、編集長となり、ご夫婦で「春燈」のために力を尽くされている。 本句集の担当は文己さん。 まつ新な音の落葉の丸の内 万緑に大欠伸して又眠る 田を刈りて水平線の円かなる 冷たさのまた新たなり五十鈴川 よき顔や春の夕日を仰ぐひと ふゆあけぼの母のたく火のにほふかな 釣忍もう海風に変はるころ まつ新な音の落葉の丸の内 この一句はなんといても「まつ新な音」という措辞であると思う。いったいどんな音、って一瞬おもうけど、落葉の音であると思うと、うなずける。あの乾いたかさこそサラサラとした音は、空気をあたらしくするような清潔な音といってもいいかもしれない。丸の内のビル街の街路樹から風にとばされた落葉がふいてきて固い地面にあたる。きっとさまざまな音がするだろう。その音を新鮮に聴きとめたのである。この句、「丸の内」だからいいのだろう。たとえば「新宿」だったら、「まつ新な」は合わない、新宿のいろんな人間がいきかう場所では、「まつ新な」は、ちがう。「丸の内」というスーツ姿のサラリーマンやきびきびとはたらく女性が行き交う、緊張感のある街の空気感こそ「まつ新な音」がふさわしいのではないだろうか。 神輿来てここも神田と知りにけり この句は、三上程子さんが跋でとりあげられている句である。久保田万太郎の〈神田川祭の中をながれけり〉を思い起こすように、万太郎の句への挨拶句でもある。おなじように〈傘雨忌も過ぎて祭の神田かな〉という句もあってこれもそうである。掲句は「祭」の傍題である「神輿」を詠みながら叙法がさりげなく、「神田」という地名を詠むことで、万太郎におもいを馳せている。無理のない詠み方がすうっと読み手のこころに入ってくる。 水かけて窓の五月を洗ひけり この句も三上程子さんが跋文でとりあげていたものである。「窓の五月」が巧みである。「五月の窓」であったら「窓」の形容する説明となってしまうが、「窓の五月」としたことで、窓が包括している五月の景色すべてが見えてくる。窓を強調するのではなく、五月が強調される。その洗ったというのであるから、その景色まで刷新されたのである。見えているのは五月の青い空だろうか、目にしみるような新緑だろうか、あるいは泳いでいる鯉のぼりだろうか、いずれにしても洗われて、あたらしい表情をえた五月の景である。 釣忍もう海風に変はるころ 作者は鎌倉のきっと海のちかくにお住まいなのだろう。釣忍をつって涼をたのしんでいるひとときか。釣忍は日常的にしたしく、日々目にとめている。ああ、もうそろそろ風がおだやかな海風が吹く頃になるな、なんて思いながら釣忍との静かな時間を過ごしているのだ。涼感を感じさせる一句である。 ざるそばや風のみえたる古簾 これはわたしの好きな句。しぶいかな。。「ざるそばや」という上五の置き方もおもしろく、「古簾」の季語によって、そのお蕎麦屋さんの雰囲気もわかる。いかにもお蕎麦屋さんという感じもある。この一句は「風のみえたる」という措辞につきると思う。「風の吹きたる」や「風の揺らせる」では当たり前。「風のみえたる」ということによって、「古簾」も鮮明にみえてくるのが不思議である。作者はその古簾にたしかに風を見たのである。 昭和二十一年創刊、久保田万太郎主宰の「春燈」がまもなく一千号を迎えようとしている。久保田万太郎、安住敦、成瀬櫻桃子の先師より賜った至恩に対してはいくら感謝してもしきれるものではないが、この場を借りて厚く御礼申し上げたい。 また私が直接師事をした安立公彦主宰、鈴木直充主宰には計り知れないほどの俳恩を賜った。御礼申し上げたい。 「あとがき」の書きだしの部分である。 このあと、宮崎洋さんは、俳句人生においてお世話になった方々のお名前をあげて謝辞をのべておられるが、「あとがき」はほぼそれらの方への謝辞でしめている。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 宮崎洋さんには装幀のこだわりがおおいにおありだった。 それを活かすかたちでの装幀となった。 テーマカラーは、若草色。 帯には著者による言葉が記されている。 タイトルの文字は若草色。 見返しも帯も若草色。 表紙。 扉。 花布は、若草色。 栞紐は、白。 風は秋『夕爾の百句』手にとれば 鈴木直充著の『夕爾の百句』を手にとり、心引き締めて主宰交代のバトンを受け取ったのだろう。これからも褒めますからね。どうか「春燈」をよろしくお願いします。(三上程子/跋) 上梓後のお気持ちをうかがった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 春の兆しは儚げな中にも力強いものと思います。そんな春の兆しにふさわしい装丁になりました。帯を緑にしたのも正解でした。題字の淡い色を引き立ててくれます。美しい句集となりました。中身が装丁に負けている気がしますが…。 (2)この句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 自分の幼い頃からの思いがたくさん詰まった句集です。これを人に読まれるのは気恥ずかしいのですが、俳人の宿命ですね。 テーマを立てて詠んだ句は、一つの章にしています。俳句はもっとテーマを詠むことを重視すべきとの思いからです。 (3)今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 「春燈」の伝統である日常生活に根ざした即興的な抒情句。余情豊かな抒情句を大切にして行きたいと思います。古い情感を大切にしつつ、時代と共に移り変わる人のこころを見逃さず詠んで行こうと思います。 宮崎洋氏。 第1句集『風は春』のご上梓、 また「春燈」主宰のご就任、おめでとうございます。 こころよりお祝いを申し上げます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 「春燈」の皆さまとのこれからのご健吟の日々が豊かに充実した日々でありますように。 春風や子犬も我もはにかみ屋 宮崎 洋 大好きな一句である。 こんな主宰って素敵だって思いません?
by fragie777
| 2024-12-20 18:53
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