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⒓月10日(火) 旧暦11月10日
冬菊。 透きとおるような白である。 仙川沿いに横たわるように咲いていた。 最初は菊とはわからずに、美しい白いものた横たわっている。 そんな感じだった。 産経新聞の「産経書房」の覧の「イチオシ詩歌」というコーナーに、桑原聡さんによってサロメーヤ・ネリス詩集・木村文訳『オキナヨモギに咲く』が紹介されている。抜粋して紹介したい。 ほとんど白紙の状態で女性詩人。サロメーヤ・ネリス(1904~45年)が1938年に発表し、国家文学賞を受けた詩集『オキナヨモギに咲く』を手にとった。44の本編と、リトアニアを代表する画家・作曲家の絵画6点に触発されて書いた「M・K・チュルリョーニスの絵より」が、6点の絵画とともに収録されている。見開きの左に原詩、右に翻訳というしつらえだ。(略) 彼女が選び抜いて並べた言葉は、祖国の大地や自然や歴史、さらには待ち受けるであろう運命と共振し、リトアニアの人々の心を揺さぶってきたに違いない。リトアニア語による朗読を聞いてみたいと切に思った。 訳者の木村さんによれば、39年にリトアニアがソ連に占領されてのち、ネリスはスターリンを賛美する詩を書くなど、ソ連の協力者として立ち居振る舞ったため、特にロシアのウクライナ侵攻が始まって以降、リトアニアでは忌避すべき存在になってしまったという。 訳者の木村文さんは、サロメーヤ・ネリスの詩を訳しづづけている。詩集『あさはやくに(ANKSTI RYTĄ)』『へびの王妃エグレ Eglė žalčių karalienė』につぐ三冊目の詩集となる。大学で教鞭をとるかたわら、ネリスへの情熱は生半可ではない。 秋の大通り 青ざめた足で歩く凍土の大通り─ 夜に連れられた鴉が飛んでいった…… 誰がみなしごに道を示すのか、 あの生まれついた暖炉の火はどこだ? 冷たく風に吹かれた雲が赤らんだ。 気味の悪い幽霊は打ちつける柳。 雨と涙が君の顔を洗い流し、 継母が嵐の中を泳いでなでていく。 どうして君は秋の大通りに迷い出るのか? よそ者のパンが君のために吊り下げられたのか? その火はどこ、君の探し物はどこ? 嵐が門のかげで怒鳴り、ただ怒鳴っている─ 紹介では、この詩の最初の4行が引用され、「厳寒に向かう季節の巡りと祖国のこれからの運命を重ねたように読める。ここに感じられるのは運命に対峙しようとする懍とした魂だ」と、桑原聡さん。 冊子「第15回田中裕明賞」の電子書籍のためのゲラを読む。 紙の冊子「第15回田中裕明賞」に、吟行会、授賞式、お祝いの会すべてを録音して収録したものである。 吟行会のゲラを読み進めながら思ったことは、なかなか良き吟行会であったということである。今回はいつも借りている会場がかりられずあの広い小石川後楽園で吟行ができず、地元の仙川でやることへの心配がいろんな面であったが、こうして活字を通して情況が再現されると、吟行地・武者小路実篤公園も狭いながら、いろんな句材を参加者のかたに提供できて面白かったのではないかと思ったことである。 武者小路実篤公園というのは、晩年の実篤が過ごした家と庭がそのまま残されている場所で、言ってみれば個人の家にすぎない。 しかし、道路をはさんだふたつの庭は武蔵野の雑木林を感じさせる趣で、池が上と下とふたつあり、竹林、菖蒲園、小さな滝、四阿、等々なかなか素敵である。隣接するかたちで記念館もあり、けっこうイッパシである。 なによりも自然が豊かで、片栗の花などの山草から辛夷、桜、梅、にはじまりたくさんの木々が植えられている。整合されすぎず、雑然としているところもいい。 吟行のあった日は運よく、家のなかも公開されていて実篤の書斎などもみることができた。 ゲラを読みながらあらためて、参加された俳人の方たちがそれらをいろんな角度でとらえ、いきいきと俳句にしていることに驚いたのだった。 (ああ、吟行地としてはそんなに悪くなかったかもしれない)なんて思いながら、わたしは楽しくゲラを読んだのだった。 ただ、選評の時間があまりにも少なかったことが悔やまれる。 一句の選評をたくさんの方から聞きたかったのであるが、それができなかった。 時間に追われるようにして、はじまり終わってしまったことが本当に残念。 大切な課題として、次に活かしたいと思う。 クリスマスリースを吊してみた。 昨年奮発して購入したもの。 家を出てから何度もふり返ってしまった。 仕事にあくせくする日々なので、こんなことでも嬉しくなってしまうyamaokaである。
by fragie777
| 2024-12-10 19:29
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