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12月2日(月) 橘始黄(たちばなはじめてきばむ) 旧暦11月2日
鵯(ひよどり) 冬空を泳ぐように盛んに飛んでいる。 冬になるといっそう元気になる鵯。 今朝も鵯の声をききながら、仕事場へむかう。 12月の2日目。 ふらんす堂の時報をしらせるチャイムが変わっている。 なんとクリスマスソングが流れるのだ。 (パートのTさんが変えてくれたのだ) ♫諸人こぞりて♫ とか、♫ジングルベル♫とか、 ああ、12月なんだ、って思うのと、 クリスマス、近いのね、 今年もあと少しかあ などなど、 浮き立つ心と焦る心と、まあ、忙しいこと。 新刊紹介をしたい。 すでにすこしこのブログでふれてはいるが、波戸岡旭エッセイ集『続・島は浜風(ぞく・しまははまかぜ)』 。 四六判ソフトカバー装帯有り 392頁 俳人・波戸岡旭(はとおか・あきら)のエッセイ集であり、既刊『島は浜風』 の続編となるものである。主宰誌「天頂」に連載をしているものを1冊にまとめたものだ。 「瀬戸内海に点在する島のひとつ、生口島で生まれ多感な幼少期を過ごした著者の自伝的エッセイの続編」と帯にある。 400頁ちかい大冊であるが、勢いのある文体によって一気に読んでしまうそんな1冊である。 本書は、高校生となった旭青年が紆余曲折を経ながらも大学生となるまでについて詳細に書かれたものである。 目次を紹介しておこう。それを見ただけで大学進学までが並大抵でなかったことがわかる。 尾道・高校時代 卒業・就職 呉・社員時代 在郷・浪人 上京 品川倉庫・浪人 大学時代 どうだろうか。「尾道・高校時代」の第一回は、姉の死よりはじまる。 その日は、五月八日月曜日であった。午後の二時間目の授業中、教室に事務の人が急ぎ足で私を呼びに来た。緊急の電話だと言う。「どなたか病気なの?」と聞かれた。事務室に入って受話器を受け取ると、田舎の長兄からであった。神戸の幸子姉が危篤だと言う。事務の人が、「私が早退することを担任の先生に告げておくから」、と言ってくれたので、教室にもどって鞄を手にすると、すぐ下宿に帰り、尾道駅で島から兄が来るのをじりじりして待って、上りの急行列車に乗った。 幸子姉は半月ほど前の四月十六日に無事に女の子を産んだばかりであった。だが、前に記したように、姉は以前、すなわちこの子をお腹に宿してから三月(みつき)後頃に、ちょっとした風邪から悪性(伝染性)の腫瘍が鼻のあたりにできた。その時、医者はすぐに胎児を堕ろして手術を急ぐように勧めた。けれども姉はそれを拒み、手術は出産後にすると言いはって聞かなかった。それは、その一年半前に男の子を初産した直後に産婆の手違いから窒息死させてしまっていたからで、姉はそのことがあるから、今度はどうしても産みたいと言うのであった。出産を待っていては、腫瘍の悪化が速くて、手術が手遅れになる危険性が極めて高いと医者は言ったが、姉の意思は固く、医者はやむなく対処療法で見守るしかなかったのであった。かくして、無事に元気な女の子を授かったのであったが、姉の腫瘍は伝染性のものであり、しかも悪化の一途をたどっていたのであったから、新生児はすぐに別室に移されてしまい、結局、姉は一度も我が手に子を抱くことすらできないまま、危篤状態に陥ってしまった。 25歳の若さで子どもをのこして姉は死んでしまう。 高校入学早々に姉の死にあい、心が折れそうになりながらも新しい高校生活はスタートする、中学をおえて就職するはずだった旭少年であるが、兄の理解と援助をうけて商業高校に入学することができたのである。たくさんの書物を読み勉学に勤しむ旭青年。友人を得、よき師との出会いなどさまざまなことが語られていくのであるが、このエッセイのすばらしいのは筆力のみならず、細部にわたる波戸岡旭氏の記憶力の凄さである。日記をつけることを習慣化されてもいたらしいが、その記憶に血脈が通っていて昨日のことのように新鮮に描かれているのだ。凡人ではないと思う。 本書の担当は文己さん。 文己さんの感想は、 上京して島を離れてから二年、一度も帰郷せず(できないものと覚悟して)大学で勉学に励みながら一生懸命働いていた旭青年。 「二年間働いた奨学生は、帰郷のための休暇をもらえる」ことを知り、因島行きの船に飛び乗ったときの、きらめく海や風の描写がすごく好きでした。 ということで、帯の裏にも印刷されているその箇所を紹介しておきたい。 三月二十五日。友人から小型のカメラを借りて、帰郷の途に就いた。新幹線ひかりに乗って岡山駅まで。そこから山陽本線に乗り換える。松永駅を過ぎると、もう海の香りがしてくるかのようななつかしさでいっぱいになる。尾道の駅に近づくと、海岸べりの家々の瓦屋根やビル越しに、備後水道の海が見える。林芙美子の『放浪記』さながら「海が見えた。海が見える」の景色である。尾道の造船所、向島の造船所の水色のクレーンもなつかしい。千光寺山が見えた。ロープウェイも見える。振り返れば、備後水道に架かる尾道大橋。駅に降りてまっすぐ正面の百m先に桟橋。因島(いんのしま)行きの船に乗る。濃緑色の瀬戸内の海が無性にうれしい。潮の香りが鼻をくすぐり身にしみてゆく。二年ぶりとは思えないほど、なつかしさがこみあげてきて、目に鼻に顔全体に全身に海風がしみ込んでくる。めったやたらにカメラのシャッターを切っていた。島に生まれてこのかた、十八年間。生口島はもとより尾道の町も呉の町もみな瀬戸内海の見える町で育った私は、海の見える暮らしが当たり前であったのだが、上京後二年間近く、まったく海を見ることがなかったのだから、ずいぶん心が海に飢(かつ)えていたのであった。 校正の幸香さんは、「当時の社会の雰囲気や作者の心情が手に取るように伝わってきて、ハラハラする展開にも引き込まれます。」と。 本書の装幀は、前回につづき君嶋真理子さん。 『島は浜風』は、ブルー系で統一し、この度はグリーン系。 題字は波戸岡氏ご本人のもの。 いわし雲未来はいつも蒼さもつ 旭 瀬戸内海の島に生まれた私は、 どこにいても、いつまで経っても、島人。 こころは、終生、島人なのである。 心の中に吹く風は、島の浜風。 島の浜風は、いつもやさしい。 「島は浜風」と題するゆえんである。 (あとがき) 清新な筆致の自伝エッセイであるが、興味ふかいのは、本著に一貫してながれているのは一つの問いである。 人間は何のためにうまれてきたか、自分とは何者であるか。 その問いが折節に旭青年の心をつきさす。 自己のアイデンティティーをもとめつづける旭青年がいる。 本著の後半に、どうやら旭青年は答えをみつけたのか、こんな箇所がある。 十歳の頃から悩みはじめた諸々のこと、自分ってなんだろう、自分の描く理想と現との大きな隔たりに心暗く悶え悩み、そしてそれはすぐに、何のために生きているのだろう、という問題にぶつかった。暗いトンネルは長く続いた。そして、大学に入って、やっと一つの解答を得た。それは、「何のために」という疑問自体が間違っていることに気づいたのが糸口となった。「何のために」という問い方は、自分を何かのための「手段」とみなしている。それがおかしい。その問い方自体に誤りがある。誰だって自分の命は自分のためにあるのであり、自分は自分のために生きているのである。誰かのためにとか、何かのために自分があるのではない。したがって、「何のために生きているのか」という問いかけには、「生きるために生きている」という答えしかないのである。しかし、それは人生は無目的であるということではないし、またいわゆる自己目的化というようなことでもない。目的は存在するのである。すなわち、生きること自体が目的なのである。目的は生きること、よく生きることなのである……、と。それから次々と幾つかの疑問が解けていったのであった。だが、このように会得したつもりになることが、また一つの大きな落とし穴になるのであった。なによりも分かったつもりになることが最もこわい。何のために生きるのか。生きるとは何か。自分とは何か。これらは、大学の四年間では果たせない課題である。今後も幾たび幾たびも自問自答を繰り返していくしかないのであろう。おそらくは終生の命題なのである。 エッセイは本書がおわりではない。 「天頂」においてなおも連載はつづいていく。 興味はつきないところである。 『島は浜風』と並べて。
by fragie777
| 2024-12-02 19:23
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