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11月30日(土) 旧暦10月30日
今朝、出かけるときに侘助が咲いていることに気づいた。 一輪のみ。 透明感があって、凜としていて、 つくづくと良いなあ……。 今日は都心へ出かける。 先日、俳誌「陸」の50周年のお祝いの会があった如水会館を目指す。 いや、なに、忘れものをとりに行くのよね。 イヤフォンを落としてしまい、翌日家に帰って問い会わせたところ、あったということだった。 助かった! それを受け取りに向かっている。 実はこの日ほかにもちょっと言えないような忘れものもしていて、 ホント、あいかわらずなのよ。 都心に出たついでに新宿ですこしぶらぶらする。 今日はこのあと珍しく家に客がくる。 わが家に客が来ることなんてめったにない。 その客のために「モンブラン」をデパ地下で買う。 一個800円ほどのおそろしく高いモンブランである。 感想はのちほど。 今日は、田中裕明・森賀まり共著『癒やしの一句』より。 今日の日付のもの。森賀まりさんの鑑賞である。 鶴に逢へたらから今日はもう眠ります 上野さち子 日本に飛来する鶴には数種あるが、丹頂(たんちょう)などは一時は絶滅したと考えられていた。多くの鶴の飛来地である鹿児島県の出水では、長年給餌が行われている。「啼きあぐる鶴口中の真くれなゐ」「鶴守りのいよいよ白き下り眉」など、掲出句の他にもこの作者には鶴を詠んだ佳句が多い。 掲出句は平成五年の作。鶴に逢うために、作者は峠をこえてこの地を訪れる。それでも必ず逢えるかどうかはわからない。「年々減ってゆく八代の鶴。(略)その日は、天を舞う姿にも逢えたし、溝川側に佇む一羽にも逢った。」(同句自註より) 場所は山口県熊毛郡熊毛町八代、鶴の生息地として名高い。鶴がいるかいないかではなく、「逢えた」か「逢えない」かなのだ。そして、「逢えた」はすべてを満たす安堵(あんど)なのである。口語で柔らかく繋がる作者の眠りのなかに、鶴は静かに佇み、舞うのだろう。 作者上野さち子は大正一四年(1925)山口県生まれ。大野林火に師事。掲出句は自註現代俳句シリーズ『上野さち子集』所収。(鶴・冬) 動物園以外では、わたしは鶴をみたことがない。 一度は野性の鶴をカメラで撮ってみたいな。。。 今日の客(「お」をつける必要のないような間柄)にふるまったお高いモンブラン。 お味は? う~~ん。 モンブランだった。 (わたしがひそかに美味しいと思っている洋菓子屋さんの方が美味いかな。)
by fragie777
| 2024-11-30 19:07
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