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11月24日(日) 旧暦10月24日
ぐっと賑やかになった仙川。 神代植物園では、さまざまな鳥声がしていて、もっと鳥声を聞き分けられるようになりたいって思った。 夕方から仕事場で仕事。 ひとつ読んでおかなくてはならないものがあり、目を通す。 日経新聞で高橋睦郎さんが、先日亡くなった詩人谷川俊太郎さんの追悼記事を寄せておられることを聞いた。 是非読みたいとおもい、ブックデザイナーの君嶋真理子さんに頼んでみた。(君嶋さんは日経をとっている) さっそく昨日、メールで送ってくださった。 「詩を疑い続けた国民詩人 谷川俊太郎という孤独」と題した高橋さんの追悼文はとても良かった。 後半のところをすこし抜粋したい。 本当の事を言おうか 詩人のふりはしてるが 私は詩人ではない 1968年、画家香月泰男と合作の詩画集『旅』に収録された「鳥羽」連作11篇中の最初の詩編第2連のこの3行ほど、詩人谷川俊太郎の原点を示しているものはない。自分が詩人であり自分の書くものが詩であると信じて疑わない詩人たちの中にあって、自分が詩人ではなく自分の書くものが詩ではないという自覚のもとに、それでも詩を書きつづけずにはいられなかったのが谷川俊太郎の孤独なありようであり、その孤独こそが谷川が真の詩人だった理由だと、逆説的言うことができるだろう。この逆説、いや正説が無意識のうちに、谷川俊太郎を国民詩人にしたとしたら、現代日本の国民も捨てたものではない。 かつて、加藤楸邨のふらんす堂文庫テーマ別句集『猫』を刊行するにあたって、その栞に谷川俊太郎さんに文章を書いていただきたいと依頼したことがある。すると、文章は書かないけれど、詩だったら書きますというお返事だった。 そして詩作品を一篇くださったのだった。 わたしは、詩の作品をもって「栞」とする谷川俊太郎さんは、なんと詩人らしい詩人なんだろうとその時おもったのだった。 ちょっとピンボケだが、餌をめがけて飛び立つところ。
by fragie777
| 2024-11-24 18:32
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