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11月1日(金) 旧暦10月1日
仙川の翡翠。 この眼が好きなのよねえ。。。 うれしいお知らせがひとつ。 中西亮太句集『木賊抄』が、第39回北海道新聞俳句賞を受賞した。 著者の中西亮太さん、おめでとうございます。 こころよりお祝いをもうしあげます。 このお知らせを聞いたとき、「ああ、良かったわね-!」ってこころからそう思った。 「現代詩手帖」10月号に詩人の青野暦さんが、「止まり木に詩人のをらぬ夜の秋」と題して、岩田奎著『田中裕明の百句』および田中裕明の俳句について書かれている。 抜粋して紹介したい。タイトルの「止まり木に詩人のをらぬ夜の秋」は、田中裕明の俳句である。 まずは、岩田奎著『田中裕明の百句』について紹介をしながら、本著の優れた点に詳しく触れている。(全文は紹介できず、きわめて舌足らずとなってしまうことをお許し願いたい。) (略)俳句は、いくつかの線を並べ、余白――もとよりわたしたちのそばにいる存在たちとの、ことばなき対話のことだろうか――をめいっぱい使って、いつの間にか季語の枠組みをも突き抜けて大きな宇宙に読み手をいざなうことがある。そのことを確かめに、狭い視界で目につくところから句集を読んできたが、もう一歩、二歩、より深く俳句のことを知りたいと切実に思わされたのは、岩田奎『田中裕明の百句』(ふらんす堂)においてである。 ふらんす堂の『〇〇の百句/百首』は、初学者を意識したシリーズのはずだが、それぞれじゅうぶんに読みごたえがある。わたしなどそれほど簡単に読めないことが多いのだが、ついつい買ってしまう。右ページに一句/一首、左ページに編者の解説がある見開きの構成であり、当然だが、この解説によって楽しさが全然ちがう。ほかにも愛読してきた本があるが、『田中裕明の百句』がこれまででいちばん面白く読めた。(略)「はじめに」の岩田奎の文章には、拍手したくなった。それは単純に、この本が届けられようとする場所にわたし自身がふくまれることがわかってうれしかった、だけではない。俳句という宝物を数多く知っている、厳しい研鑽を積んできたひとが、その輝きをジャンルの垣根の外にいる他者に伝えるというのは、簡単なことではない。それを見事に徹底してみせたこの本が、真顔でその方針を伝える「はじめに」には、全体を読みすすめるほどに、感謝するしかなくなる。 そして、青野さんは、本著の田中裕明の気に入っている句を数句あて、そのうちの一句についての岩田奎さんの鑑賞を紹介し、 この同時代の俳人の、簡潔な散文の魅力も堪能できる一冊になっている。 青野さんは、田中裕明の句集のなかでも『先生から手紙』(邑書林)のなかの「小鳥」を詠んだ句に心をとめる。数句引用して、それらを詩人の目で鑑賞する。(ここはぜひ原文にあたって欲しい)そして、 以上の読みは、近現代詩史において、鳥というモチーフがいかに詩人にとって大切にされてきたかを想起することにも支えられている。わたしは江代充の詩におけるときにゴシック体で記され語り手となる「鳥」や、T・S・エリオットの詩、たとえば『四つの四重奏』における「bird」の持つ役割のおおきさを思いだす。それらと田中裕明の俳句とを勝手に並べてみている。そうしたことを許してくれる、ひろやかな構えの詩性が、この俳人にはあると信じているのだ。 詩人・青野暦さんによる田中裕明の俳句への鑑賞が、田中裕明の俳句の世界をさらに新たなる詩の地平へとひろげてみせる。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 204頁 二句組 山内節子(やまうち・せつこ)さんは、昭和29年(1954)大分県うまれ、大阪市在住。平成15年(2003)茨木和生に師事。第1句集に『七野七種』(2014)上梓。「運河」天水集同人、「晨」同人。俳人協会評議委員、大阪俳人クラブ会員、大阪俳句史研究会会員。本句集には、「運河」の谷口智行主宰が、帯文を寄せている。 打ち合へる気息の合うて羽子日和 句集名『気息』とは、句友との交感に謝意を表して名付けられたとある。能う限り季語の現場に立ち、感傷や嗟嘆に流されることなく、真摯に励んで来られた自身の気息でもあろう。柔軟性と靱さの融合した作品群はまさに、粋美純熟に至れりいうべきか。 この一句「打ち合へる」のは、「羽子」であるが、その間におかれた中七「気息の合うて」によって、互いにリズミカルに息をはずませている人間の上を羽子の行き来するひろやかな空間がみえてくる。「羽子日和」と言う時間を感じさせる季語を置いたところも巧みだと思う。 本句集の担当は、文己さん。好きな句をあげてもらった。 梅花藻の流れに解夏の足浸す ともづなを解けばこぼれて夜光虫 若水を汲みて山家を守り継ぐ しばらくは足投げだして冷し飴 先生に摘む初物の蕗の薹 詩人には詩人の歩調木の芽山 船頭の遠く見守る鳰浮巣 床下に鈴虫のゐる奥座敷 ともづなを解けばこぼれて夜光虫 海辺の夜の景色である。作者の生活圏では海は近いのだろうか。あるいは旅先での景だろうか。思いも掛けない美しい景だったのだろう。「ともづなを解けばこぼれて」という措辞が、青くかがやく夜光虫のさまを目の当たりにさせる。夏の暗い夜の海をそぞろ歩きで散歩をしていたのだ。一艘の舟のところに差し掛かった。舟をつなぎとめていたともづなを誰かがほどいたのか、あるいは漁師がやってきて手慣れた手つきでほどいたのか、いずれにしてもそれを解くやいなや、夜光虫が「こぼれた」というのである。飛び去ったのではなく、「こぼれた」という表現に夜光虫の宝石のような物質感を思わせる。わたしは、残念ながらこの「夜光虫」をみたことがない。 しばらくは足投げだして冷し飴 「冷やし飴」って、美味しい飲み物であることを知ったのは10年くらい前かしら。奈良の猿沢の池のほとりにある小さなお店の「冷やし飴」が美味しいって言われ、奈良に遊びにいったとき、立ち寄って飲んだことがある。生姜の味がして甘さもちょうどよく美味しかった。その店には冷やし飴を飲みたくて、何度か立ち寄ったことがあるが、それはもう遠いむかしのこと。いまでもやっているのかしら。この俳句においては、きっと家でのむ「冷やし飴」だろうな。夏の暑いさかり簡単服をきて、お行儀悪く足をなげたして飲む冷やし飴は格別に美味い。この句の味は、「しばらくは」の措辞か。冷やし飴を飲むわずかな時間の経過、それが至福のときなのだ。投げ出した足をもとにもどすときは、大方冷やし飴も飲み干されているだろう。足を投げ出して開放的に飲む冷やし飴のさまはそれを見ている人間も涼しくなる感じ。 煮凝や庇をあまた星過り これはわたしの好きな句である。「煮凝」と「星」の組み合わせがいい。一晩おいてさらに美味しくなった煮凝、透きとおって光っている。その煮凝りがおかれた台所。その台所の庇の上を、たくさんの星がよぎっていったのであり、その間は煮凝りがうつくしい煮凝りとなる時間でもあって。この句の上手さは、「庇」という言葉があることか。家と外をつなぐ庇であり、生活と宇宙との間に位置する庇であり、人間の暮らしを象徴するものでもあり、その暮らしの上をあまたの星が過ぎっていったのである。その暮らしのただ中にあるものはゼラチン質を黄金にかがやかせた煮凝りか。この句、校正スタッフのみおさんもお好きだとか。「静かに深まってゆく冬の夜を想像し、とても引かれました」と。。 草肥にするだけといふ種を蒔く これもわたしが気になった句。そういうこともあるのかと、立ち止まった。草肥(くさごえ)とは、「草木の葉や茎などをそのまま田畑にすき入れて腐敗させ、肥料とするもの。緑肥(りょくひ)。」ということで、夏の季語であるようだ。この句においては、「種蒔き」の春の季語を詠んだものである。畑仕事にたずさわる人間の労力を要する丹念な仕事ぶりがみえてくる。堆肥にするだけの草といっても種をまく作業や労力は変わらない。そんな仕事をたんたんとやっている人間を描写した一句。農夫の放った声が聞こえてきそうだ。 落葉掃き合うて老いたり隣組 よくわかる一句であるし、こういう思いをもっている人もいるのでは。よき関係性を維持している隣組である。『隣組」という言葉もあまり聞かれなくなったけれどなおも残っている「組」である。老いているのはわたしであり、お隣のあなたであり、もう一軒先のあななたちであるが、それらをひっくるめて「隣組」と叙したところが巧みだ。みな一斉にそれなりに仲良く暮らしながら老いてしまった。「落葉」の季語が、老いていく私たちにふさわしい。「落葉掃き合うて老いたり」の措辞にどれほどの物語が秘められているか。 校正スタッフの幸香さんは、「〈直越えに見送る夕日翁の忌〉 に特に惹かれました。」と。 第二句集『気息』は、平成二十五年から令和五年までに得た句から三百五十六句を選んだものです。 いつしか第一句集『七野七種』上梓から十年が経ちました。 その間に師と仰いでまいりました先生方はいずれもご高齢により、鬼籍に入られたり、施設に入られたりでお会いできなくなりました。 また令和二年早春からの長期に及ぶコロナ禍において、不安の拭えない出来事が私の身ほとりでも続きました。 そうした自粛の日々に、超結社のオンライン句会のお誘いは、大変有難いものでした。とにかく振り落とされないように、課題の句作に励む日々でしたが、大変よい経験と勉強をさせていただきました。 この新たな「座」を通じて、ネットの向こうにいる句友との互いの「気息」をより強く意識するようになり、何よりもその交感が私の心の安定につながったような気がいたします。 「あとがき」を紹介した。 装釘は君嶋真理子さん。 著者の山内節子さんのご希望をできるだけ、活かしたものとなった。 肌色のクロスが上品である。 ここに句集『気息』を上梓し、これまでお関わり下さいました多くの諸先輩方や句友の皆様に、深く感謝の意を表したいと思います。(あとがき) 上梓後の所感をいただいた。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 「運河」元編集長の藤勢津子さんのお勧めもあり「ふらんす堂」さんに句集出版をお願いしましたが、当初は、正直なところ不安もありました。それはふらんす堂の皆様と一面識もなく、ただメールと遠距離のお電話とのやり取りだけで大丈夫かなと言う点でした。しかし一校、二校と段取りが進んでいくうちにだんだんその不安は消えていきました。担当の横尾さんが依頼者である私の意向を推し量りつつ進めて下さったからだと感謝しております。装丁もほぼ思い通りのものが出来たと大変満足しております。今はふらんす堂さんにお任せして本当によかったと思っております。 (2)句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 第二句集ですが、第一句集以上によき諸先輩、よき句友に恵まれ、様々な句会で揉まれて出来上がった句集であることを実感しています。とても私一人の力では出来なかったと思います。第一句集以降の十年をともに走って下さったすべての諸先輩、句友の皆様に感謝申し上げたいと思います。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 「晨」の大先輩、ながさく清江様より早速お手紙をいただきまして、その中で芭蕉の「俳句は晩年こそ大事」と言う言葉を引いて「これからこそ俳句人生の本番」という激励のお言葉を頂戴いたしました。初心に返って真摯に俳句に向き合い、俳句と共にある人生を豊かに過ごしたいと思っています。 実は今日、山内節子さんは、大阪からご来社くださったのである。 ずっと前から存じあげている方のように親しく、いろいろなことをお話っくださったのだった。 この10月27日には、「運河」の皆さんと茨木和生氏にお会いになったということ。 「茨木先生、お元気ですか?」とわたしがお尋ねしたところ、 「ええ、お元気でした」とおっしゃって、その時のお写真をみせてくださったのだった。 茨木和生氏。 お顔の色つやもよく、ああ、お元気そうでとても良かった。。 「ふらんす堂さんのこと懐かしがってましたよ」と山内さん。 山内節子さん。 うかがえば、ご夫君は俳人の山内繭彦さんであるという。 山内繭彦さんは、「山茶花」同人であり、山内節子さんは、「運河」と「晨」。 お互いをよきライバルとして俳句をつくられている毎日であるようである。 これは、おみやげにいただいた「ウタマロ石鹸」 わたしが愛用しているのをご存じで、ふらんす堂スタッフ全員にもってきてくださったのだ。 たいへん有り難い。 これで思う存分、汚せる。。。 この会社の社長さんとお知り合いらしい。 いただいたから言うのではないが、本当にヤバイくらいよく落ちます。 わたしは白シャツにつけた赤ワインを見事に落としたのだった。 山内節子さま 今日は遠くよりご来社をありがとうございました。 たくさんのお話をうかがえて楽しかったです。 これは山内節子さんがお家につくられた「ポタジェガーデン」 「5年目となるわが家のポタジェガーデンの全容」 コロナ禍による外出制限の中で 通りがかった方に見て楽しんでもらえたら、という思いで始めたそうです。 ジューンベリー、山桜桃なども育てられていて、 今年は山桜桃を2kgも収穫されたそうです。 左手前方には見事なつる薔薇。
by fragie777
| 2024-11-01 19:47
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