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10月25日(金) 旧暦9月23日
井の頭公園にいた川鵜。 うれしいお知らせである。 高橋睦郎氏が、令和6年度(2024)の文化勲章をご受章され、矢島渚男氏が、おなじく今年度の文化功労者に選ばれました。 →https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241025/k10014618741000.html ふらんす堂にとってもご縁の深いお二方のご受章をこころよりお祝い申し上げます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() なお、高橋睦郎氏には、来年度のweb連載の「短歌日記」をお願いしてあり、来年度にむけて祝福にみちた「短歌日記」のはじまりとなったことを喜びたいと思う。 高橋さんからは、充実した「短歌日記」にすべく、先日もそのことでご連絡をいただいたばかりだった。 新刊紹介をしたい。 46判ハードカバー装帯有り 214頁 二句組 著者の北川愛子(きたがわ・あいこ)さんは、1951(昭和26)年、石川県羽昨市うまれ、金沢市在住。2008(平成20)年、「雪垣」入会、2013(平成25)年、「雪垣」同人。俳人協会会員 、石川県俳人協会理事、石川県俳文学会理事。本句集は第1句集であり、「雪垣」の中西石松主宰が序文を寄せている。 序文より抜粋して紹介したい。 立春の我に一つの志 帰省子と卓袱台囲む京言葉 海鳴りを背で聞きゐる初詣 駅あとの裸電球林檎買ふ 銀杏を一筵干す寺領かな 入母屋の薪を廻らす冬支度 天秤棒担ぎて重し珠洲の秋 寝て涼し起きて寂しき生家かな 能登で生まれ、金沢で生活する中で詠まれた数々の句から特に前の八句に注目したが、これらの句だけでなく、どの句も過剰な装飾を加えていないのが好ましい。言い方を換えれば風流や風雅といった気取りが見られない。すなわち俳句とは肩の力を抜いて、自然体で詠めば良いと教えてくれるのである。 本句集の担当は、文己さん。 著者の北川愛子さんとは、何度ものお電話のやりとりがあって、この句集刊行の運びとなったのだった。 文己さんの好きな句は、 立春の我に一つの志 海鳴りを背で聞きゐる初詣 達磨市小さき福を求めけり 立葵うしろに母のゐるやうな 春一番音立てて行く旅鞄 立春の我に一つの志 句集の最初におかれた句であり、中西主宰もとりあげておられる一句だ。冒頭におかれることによって、「この「志」がこの句集を貫いているそんな毅然とした思いを感じさせる一句だ。あとがきに「私の七十歳の人生の節目として、句集を作りたいと思っていました。」と書かれているが、句集上梓もその志であったのかもしれない。春が立つとともに自身のなかにかねてよりあった思いがひとつの明確な志として立ち上がってきた。シンプルな詠みではあるが、力がみなぎっており、イ行の音が、句にアクセントをあたえ、句をひきしめ、強い余韻をあたえている。その志はかたく立って、ゆるぎないものであることが伝わってくる一句だ。 海鳴りを背で聞きゐる初詣 金沢市にお住まいの作者である。海を感じながらの日々だろう。初詣も海鳴りを聞きながらのものとなるのだが、神へ礼拝をするという心静まったその時にこそ海鳴りは背(そびら)に迫ってくるのだろう。新年をむかえ平穏をねがう思いはつよいが、天変地異に晒されているというのも避けようのないものである。「背で聞きゐる」という表現に、複雑な心境のようなものが見えるといったら考えすぎか。。。 立葵うしろに母のゐるやうな おもしろい、そして不思議な一句である。北川愛子さんというひとは、背後の感覚が研ぎ澄まされているのだろうか。季語は「立葵」。立葵は髙さのある花であり、すっくと立っているそんな花である。そんな「立葵」のうしろに母の姿を感じとったのである。夏の日盛りに咲いているときではなく、夕暮れちかくになって、身体も暑さから解放されてホッとして夕涼みにでも外にでたときのことだろうか。すらっと立っている立葵のうしろがわにふっと母を感じたのだ。「ゐるやうな」という下5によって、母恋のそこはかとないおぼろげな気持ちがつたわってくる。漢字表記は「立葵」と「母」のみ、というのも効果的。 春一番音立てて行く旅鞄 「春一番」が吹くこの日、さあ旅への出発だ、そんな気合いが「音立てて行く」の措辞から感じられる。金沢の冬は寒くて湿り気もおおく暗い、しかし、春ともなれば、明るい日差しに人々は解放される。旅心だって充分におこってくる。この句「春一番」という日本海側ではとくに荒々しい風は、そうそう長閑な気持ちを人々に起こさせはしないかもしれないが、しかし、春はやってきたのである。そんな「春一番」をむかえうつ覚悟で、旅鞄の音を立てながら旅へと闊歩していく人の姿がみえてくる。荒々しい音を立てているのは旅鞄であるが、その音には人間のちからが漲っているのだ。この旅鞄は、いわゆる車輪のついたスーツケースのことだと思うが。 寝て涼し起きて寂しき生家かな 生家に帰られたのだろう。かつて生まれ育ったなつかしい家だ。しかし、父母はすでになく、親しい身内も少なくなってしまった。久しぶりに泊まれば、いつもの自分の家とはちがってひろびろとして涼しい。暑さで目覚めてしまうこともなく、ゆっくりと寝られた。が、起きてみれば、よく知っている生家であるはずなのによく知っているかつての家族たちの顔はない。なつかしい家であっても懐かしい人間はおらず、あらためて寂しいことを実感したのである。リズム感よく詠まれているが、涼しさのはてに寂しさがのこる一句である。 校正スタッフのみおさんは、「〈巫女二人茅の輪の道を清めたり〉が好きです。『茅の輪の道』という言い方に清潔感があって、清々しさが伝わってきます。」と。 現在の「雪垣」の主宰、中西石松先生はこの句集のために「雪垣」の作品の中より三百六十八句を選んで下さいました。また、序文も書いて頂きました。ここに雪垣叢林第四十集『青瓢』を上梓できますことは、誠に身に余る光栄で感謝致しております。 句友の方々にも俳句を教えて頂き、皆様のおかげと思っています。大変有難く、心より御礼申し上げます。今後も俳句を続けて行く所存です。 俳句を習ってからは、自然や故郷の風景、吟行、家族のこと等、心を動かされたことを俳句に表現して来ました。 退職後に旅行の機会を持つことができたことも大いに作句の助けとなりました。 そして予てより、私の七十歳の人生の節目として、句集を作りたいと思っていました。そんな折、「雪垣」の中西主宰よりお許しを得、又夫と家族より背中を押されて、句集『青瓢』を出版させて頂くことになりました。 「青瓢」という句集名は、父が瓢箪の栽培を得意としていたことから名付けました。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 北川愛子さんの装釘へのこだわりを反映させる1冊となった。 句集名となった「青瓢」を、カバーの裏に。 表側は金沢を感じさせる雅なもの。 見返しは金銀の箔があるもの。 表紙のクロスは、華やかな朱。 瓢が型押しされて。 本句集は、可愛らしい挿画がところどころに配されている。 これは、北川愛子さんの姪御さんとお孫さんによるもの。 さりげなくて、そして可愛い。 青瓢三尺にある種の未来 北川愛子さんの俳句人生、もう二十年、まだ二十年。多作多捨で鍛えられてきた我々「雪垣」の仲間である。(中西石松/序) 上梓後のお気持ちをうかがった。 皆様からのご反響が続々と届いています。どなたもまずは装丁の美しさを褒めて下さり、共鳴句を挙げてくださる方もいらっしゃいます。 「俳句は日記である」と敬愛する岡本眸さんが仰っている通り、まずはこれからも俳句を末永く詠み続けていきたいと思います。 以前から、古希を一つの区切りとして、何かをまとめたいと思ってきました。このたび、句集という一つの形で、父と母、そして恩師の南典二先生にお見せすることができて、これが少しでも恩返しになればという気持ちです。こうして様々な方の御縁で句集を出版することができて、本当に運がよく幸せでした。句会で慕っている先輩には、自分のことのように嬉しいと涙を流してくれる方もいらっしゃって、仲間の祝意を有り難く感じています。ありがとうございました。 ![]() 北川愛子さん 最後になりましたが、能登は私の故郷です。この度の震度七の能登半島地震で様変わりした能登の姿に胸が痛みます。 被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。(あとがき) このお言葉は、わたしどもも同じ気持ちでおります。 能登のみなさま、 地震の被害のみならず、この度の豪雨による被害、心よりお見舞いを申し上げます。 今日はお客さまがひとり見えられた。 山田耕司さん。 もっか、「澤好摩全句集」をおすすめしているのだが、その打ち合わせに桐生から見えられたのだった。 本文ゲラは整ったので校正前ではあるが、いちおうお渡しし、あとは年譜とうなどの打ち合わせと、今後のおおまかな予定について話あった。 新宿から仙川まであるいて来られたという山田耕司さん。 来年の7月7日は、澤好摩さんの亡くなられた日。 三回忌にあたる。 それにむけて気を引き締めて進めていきたい。 山田耕司さんと俳句の話をしていると、面白くて話がつきない。 ついついいろんなことに話が発展してしまって、今日も時間切れとなってしまった。 そんなお話の最中に、高橋睦郎さんからお電話をいただき、文化勲章を受けられたことを告げられ、お昼のNHKニュースで放映されることを教えていただいたのだった。 そして、山田耕司さんもいっしょに喜ばれたのだった。
by fragie777
| 2024-10-25 19:33
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