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10月22日(火) 旧暦9月20日
秋蝶。 溝蕎麦には、アオスジアゲハがたくさんやってきていた。 目がおおきくて可愛い顔をしている。 岩田奎著『田中裕明の百句』の再版が出来上がる。 Amazonでも入手できるようになり、ほっとしている。 本著から秋の句を二句。 雪舟は多くのこらず秋蛍 『花間一壺』 これまで見てきた取合せにくらべれば、この有名句の季語はいくぶん素直なアナロジーで理解できる。雪舟のある画が歴史の中で散逸し、ある画は保存される。それと夏を経て減りつつながらえた残(のこ)んの蛍の類推、といえば済む話である。さりながらこの句が多くの人の心に刻まれるのは、みごとに彫琢された瑪瑙細工のような句だからだ。ひとたび「多く」と言及されたことで、存在はしたが霧消した数々の作品、数々の命が闇の中に浮かぶ。これは闇に目を凝らす句。秋蛍がやがて辿る結末を示唆する雪の一字も、心憎いというほかない。 季語=秋の蛍(秋) 小鳥またくぐるこの世のほかの門 『櫻姫譚』 大陸から日本に、あるいは山から人里に降りてきた小鳥たち。つまり、ここではないどこか別の世界からやってきたものたちだ。その感じが、ここではあの世に転化されている。もちろん小鳥はこの世の、すなわち現実の門をくぐりもするだろう。そして私たちが気づかないうちに、この深い秋空のどこかにあるこの世のほかの門もくぐっている。冥界に門はつきものだが、こんなに軽い門は珍しかろう。この句もリズムにすぐれている。カ行を基調とした言葉が小鳥たちのように次々と湧くなかに、自然と句の内容を吞みこまされてしまう。 季語=小鳥(秋) 最近、野良猫を見なくなった。 さびしいくらい。 スタッフのひとりが野良猫のことを話題にしている。 わたしはおもわず耳をダンボにしてしまう。 そのスタッフは団地の一角にすんでいるらしいのだが、 「野良猫がたくさんいて、猫好きなひとが餌をやっているらしいのね。図書館へ本を返しにいくときにいつも合うのよ」と話している。 「ええ、野良猫に会うの? いいなあ」って言うと、 「いますよ。黒猫のチビが…」 「ええっ、黒猫?!」 (わたしはもう猫を飼うつもりはないのだが、実は黒猫を飼ってみたかったという思いがずっとあるのだ。 「かわいいですよ。」 (見にいこうかな。。)って思って、いやいやと心で打ち消す。 死んでしまうのがツライ。。 その団地も区画が整備されつつ新しい道路の貫通工事もはじまっており、どうやら野良猫たちは居場所をなくしつつあるらしい。 そのスタッフの家にはすでに一匹、猫がいる。 黒猫かあ、見にいくだけ行こうかな。 いやいや行けば、絶対拾っちゃうような気がする。 やめておこう。。。。 溝蕎麦。
by fragie777
| 2024-10-22 18:54
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