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10月20日(日) 旧暦9月18日
雨がふるかもしれないと思いつつ、しかし、良い天気の休日となった。 自転車でぶらぶらと近所を散策。 仙川沿いを行くと、木をたたく軽快な音がする。 啄木鳥か?と思い、そのあたりをみわすが見えない。 自転車を降りて、木の後ろ側へと行ってみると、いたいた。 身体は小さいが木を叩く音は大きい。 ときどき思うのだけど、鳥って人間の視線を感知する機能があるんだと思う。 おお、いた、いた! オナガガモのオスの姿がみえない。 美しい鴨なのですぐにわかる。 まだ渡ってきていないのだろうか。 川鵜もいた。 こちらは常の住人(?)である。 仙川をのぞく楽しみが増えそうである。 新聞記事を紹介したい。 昨日19日付けの東京新聞の「俳句の窓から」に相子智恵さんが、石田郷子句集『万の枝』をとりあげてくださった。 抜粋して紹介したい。タイトルは「季語と霊魂」 宮坂静生句集『鑑真』(本阿弥書店)とともにとりあげ、「風土の力強さが印象的」と評し、 石田郷子の第4句集『万の枝』(ふらんす堂)も風土、自然の気配が全編から立ち上がってくる句集だ。石田は埼玉県飯能市の名栗に移住して久しい。そこは〈邂逅の君踏むなそこ鹿の糞〉〈猪のあとか凍土ふつとんで〉といった生き物が身近な土地である。 「万の枝」には「声」の句が多い。〈大瑠璃のこゑに縛されゆくごとし〉は、オオルリビタキの美しい青色ではなく、〈つゆけしや夕暮れの声捨てに出て〉〈死者のこゑ満ちゆく蕨折りにけり〉。夕暮れに捨てた声は、耳をそばだてた鳥獣に届くだろう。蕨採りにゆけば、今は亡き者たちの声が響く。目に見えず消える声とは、精霊の気配を色濃く感じるものなのかもしれない。 今日の朝日新聞の「風信」には、矢島渚男句集『何をしに』が紹介されている。 2015年から22年の作品集。「何をしにホモ・サピエンス星月夜」「にんげんの愛しさ銀河鉄道も」「胎盤は海のミニチュア春の月」。 こちらは昨日国立・谷保でみた雀。 これはほんの一部である。 すさまじい数だった。 目の前は稲田がひろがっている。 つまり稲雀である。 遠くから望遠で撮ったのであるが、カメラを向けていたら、いっせいに飛び立ってしまった。 やはり視線をキャッチしたらしい。 稲田をはさんで本当に遠くからだったのだけど。。。 遠くにみえる塀にずらりと並んでいた。 肉眼ではほとんど見えないのだが、 鳴き声で気づいたのだった。 これは人間の影。。。
by fragie777
| 2024-10-20 19:04
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