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10月1日(火) 後の衣替 旧暦8月29日
実篤公園にいく途中に芙蓉を咲かせている家があった。 今日も29日におこなわれた「田中裕明賞」の授賞式とお祝いの会の様子をほんのすこし紹介したい。 が、 その前に新聞記事を。 9月29日づけの読売新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、鈴木しげを句集『普段』 より。 柿一つ腹に納めてからのこと 鈴木しげを この句には「やれやれ」の気分が漂うと長谷川櫂さん。柿のなめらかな果肉が身体の真ん中をつつーっっておりて行ってひんやりとおさまった。これから落ち着いて判断するぞってすこし気合いがはいる。ほかの果物だとこうはいかないだろうなあ。 吟行会、授賞式、お祝いの会とすべて語られた言葉は、録音されて電子版「第15回田中裕明賞」に収録されるので、是非それをご購読いただきたい、です。 写真をほんのすこし。 ご挨拶をいただいた小川軽舟「鷹」主宰、西山睦「駒草」主宰との記念撮影。 よき笑顔の浅川芳直さん、南十二国さん。 会場風景。 そして記念撮影。 選考委員のお一人の関悦史さんは、当日までなんとか出席されるおつもりであったが、体調がどうしても整わずやむなく欠席となった。 句集の講評をスタッフが代読する。 お祝いの会は、生駒大祐さんの乾杯で。 スピーチは出席者の方全員にいただく。 高橋睦郎さん、奥坂まやさんからはじまって全員の方々である。 昨年受賞された岩田奎さんは、大阪でのお仕事でやむなく欠席。 お言葉をいただいて、ほかの欠席の蓬田紀枝子さん、池田澄子さん、千鳥由貴さん、とともに会の最後にスタッフが代読。 会がおわって。 森賀まりさんとともに、浅川芳直さんを囲んで。(南十二国さんは、帰りの電車に間に合うためにお帰りになった) 中西亮太さん、野名紅里さん、藤原暢子さん、桐山太志さん、会の終わり頃となってしまったが駆けつけてくださった吉田哲二さん。 今回、会場を借りられず自分たちでなんとか切り回したのであるが、あまりにも反省点が多く、やはり会場を借りなくては無理ということになった。 行き届かないことが多かったと思うし、失礼の段もあったかとおもう。 ただ、会場から、「ハードな会でいいですね」とか「批評の会となっている」といった声を聞くことができたのは、ささやかにもうれしい。 田中裕明賞の「お祝いの会」は、「批評の場」であることを当初から目指していた。 それはなかなかハードルが高いことである。「お祝いする気持ち」は大切であるが、「田中裕明賞」はあくまで「励ましの賞」であって、到達点ではない。若い将来性のある俳人たちが挑戦するつもりで応募されるのだと思う。であるから、受賞されたとしてもそれは出発点となるもので、応募者もしかり、これからの俳句をみすえていく起点ともなるものであるとわたしはおもう。だからこそ、目の前の句集は十全に語られなくてはならないのだとも。 参加者ひとりひとりからかならず一句講評をもらうということは、受賞句集をどう読んだかその「読み」が自身の作句姿勢に関わるものであるはずなのである。それにしては一人3分以内は短いかもしれないが、時間の問題でもないということもある。前回同様、今回も皆さん真剣に句集を読んできてくださり、評してくださった。 本当に至らないことだらけであったのだけど、 参加してくださった方たちのお言葉の真剣さで救われるような気持ちがしたのだった。 岸本尚毅さんが、田中裕明さんを「ロゴスの人」とかつて称したけれど、本当に「言葉」を大切にする人であったと思う。 そんなこともふっと胸をよぎったりしたのだった。 この会のためにお言葉をくださいました皆さま、ありがとうございます。 心より御礼を申し上げます。 ひきつづき「田中裕明賞」をよろしくお願いいたします。 ここでも大谷翔平選手は大活躍。 金子敦さんが、メールをくださって、そこに「田中裕明賞」について触れてくださった。 「和やかな雰囲気の会になり何よりです。本当によかったですね。」と。 で、わたしは、 「田中裕明賞」は、なかなかストイックにハードにやっておりますので、 終わったときは魂がぬけたように疲れてしまいます。」とお返事をしたのだった。 そして、さらに「そうは言っておられませんので、気合いをいれてふたたび頑張ろうと思います。」と。
by fragie777
| 2024-10-01 19:00
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