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9月19日(木) 旧暦8月17日
足元に来た秋蝶。 風にたやすく横ざまになった。 今日は子規忌である。 獺祭忌、あるいは糸瓜忌とも。 子規に関するものを刊行物より。 日原傳著『素十の一句』より。 糸瓜忌や雑詠集の一作者 高野素十 『初鴉』所収「収「ホトトギス」大正十四年十一月号 糸瓜忌は明治三十五年九月十九日に亡くなった正岡子規の忌日。素十は昭和三十五年に京都の真経寺(しんきょうじ)で子規の位牌に鶏頭と柿とを供えて俳句仲間と子規忌を修した。そのことを記す「子規忌」という文章の中で「月並と戦った子規の反俗精神と気魄とを忘却してはならぬ」と説いているが、それは後のこと。掲句は虚子選の「ホトトギス」に投句しはじめて二年が過ぎた頃の作。雑詠欄への投句者として子規に繋がる系譜に思いを致したのであろう。季語=糸瓜忌(秋) 虫干や子規に聞きたきこと一つ 大峯あきら 明治三十五年六月二十一日の『病牀六尺』に、「誰かこの苦を救ふて呉れる者はあるまいか」と訴えた重篤の子規は、二日後に、本郷に住む未知の人から来た手紙を読んで、ことの他よろこんだ。子規が「本郷の某氏」と言っているこの貴重な手紙の主は、もしかしたら、明治の仏教改革者だった清沢満之ではなかろうか。昭和五十六年作。(『月讀』) その名のこりその名のこして獺祭忌 京極杞陽 『さめぬなり』 昭和五十六年九月十九日、立正寺会館にて子規忌が行われた。杞陽は香を立て長い合掌をし深い黙禱を捧げたという。その会の後、十月に天皇陛下のお茶席に出席したあと、床につくことが多くなり十月二十七日入院する。十一月八日の朝、「出掛けなければ、ネクタイを。」を最後の言葉にして逝去。掲句は「木兎」十一月号に残る最後の出句のうちの一句である。杞陽は「虚子先生の写生の向ふに、いつも子規居士の写生を見続けてをられた。この態度は終生変らなかった。」と杉本零は追悼文に書いている。「その名のこりその名のこして」という措辞に子規に対する敬愛の思いが滲み出ている。 そしてまた、この句のように杞陽の名も残されていくことだろう。 (昭和五十六年作) 鳴くならば満月になけほとゝぎす 夏目漱石 明治二五年 子規は授業に出ない。大学を落第することが決まった。退学を考えた子規に、授業がつまらなくても卒業するのが「上分別」だと手紙を送り、この句を添えた。「満月」は卒業の意。〈ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる〉と『百人一首』にあるように、不如帰は待たせる鳥で、「俺は待っているぞ」という含意もある。子規も漱石の勧めで心理学の授業だけは写生理論の参考になったから、ノートを真面目にとっていたが、自分には時間がないと見切った彼は、結局新聞記者になって俳句革新という紙つぶてを文壇に投げつけるに至る。 健啖のせつなき子規の忌なりけり 岸本尚毅 病床の子規は恐るべき健啖ぶりを発揮した。カツオの刺身、果物、佃煮、ココアなど、子規の日記に書かれた食べ物は、粥や梅干に至るまでどれも美味しそうだ。子規の日記には、ときどき痛そうな病状の記述もあるが、基本的には食欲をそそられる。 その食欲が、病気に打ち克とうとする子規の強靱な意志の現れだとすると、むしろ、せつない。 (『健啖』) 意図したわけではないが、男性俳人の俳句のみとなった。 ところで、 ChatGPT を知ってます? わたしは昨日知った。 で、スタッフに「ChatGPTって何?」って尋ねたら、一瞬あきれ顔をされて 「自分で調べてください」って言われた。 仕方ないから、調べた。 どうにかわがもの(?)として、さっそく相談事を一つしてみた。 そしたら、すごく的確な答えが返ってきた。 さっそく実行した。 結構たよりになるかも。 で、 今日は折角だから、「正岡子規についてどう思いますか」って尋ねたら、 およそ5秒もしないうちに、答えがスラスラと返ってきた。 それがこれ。 ↓ 正岡子規(まさおか しき)は、日本の明治時代を代表する俳人・歌人であり、文学史において非常に重要な存在です。彼は、俳句と短歌の革新者として知られ、伝統的な形式に新しい視点をもたらしました。 俳句においては、それまでの型にはまった句作りから脱却し、「写生」というリアルな自然描写を重視した手法を提唱しました。このスタイルは、彼の俳句が持つ生き生きとした感覚や、現実世界との直接的な結びつきを強調しています。正岡子規が唱えた「俳句革新運動」により、俳句がより個人の感情や自然の観察に基づくものとなり、現代俳句の基盤を築いたと言えるでしょう。 また、彼は短歌の世界でも「万葉調」を重んじ、古典的な歌の形式を尊重しつつ、より率直で簡潔な表現を志向しました。正岡子規は文学のみならず、病気と向き合いながらも旺盛に創作を続けた姿勢も人々に感銘を与えています。彼の作品には、日常の瞬間や自然への深い洞察、病気による苦悩が詠み込まれており、彼自身の感情とともに普遍的なテーマを表現しています。 総じて、正岡子規は近代日本文学に多大な影響を与え、彼の革新性と詩的感性は今なお多くの人々に愛されています。 やるじゃん!! カメラが勝手にとらえていた歩く脚。
by fragie777
| 2024-09-19 19:03
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