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9月14日(土) 旧暦8月12日
萩の花。 古来より詩人たちに愛され詠まれてきた花である。 萩咲いて家賃五円の家に住む 正岡子規 今日は京王プラザにて11時半より俳誌「篠(すず)」創刊40周年のお祝いの会があり、スタッフのPさんが出席。 さきほど報告が入ったが、辻村麻乃主宰の豊かな交流をおもわせるたいへん華やかな会である様子である。 この会の報告はPさんのレポートを待って、あらためて紹介をしたいと思う。 この度、「篠創刊40周年」の記念として、辻村麻乃著『岡田史乃の百句』を上梓された。 この本について紹介をしたい。 「岡田史乃は華やかな存在感のある女(ひと)だった。その華やかさを満たしていたのが大きな悲しみであったことがくきやかに見えてくる。娘辻村麻乃さんの百句読解。生きることは悲しく、そのゆえにこそ美しい、と改めて教えられる史乃さんの句であり、麻乃さんの読みだ。」 高橋睦郎さんの帯文である。 辻村麻乃さんは、百句を丹念に読みながら、そこに俳人岡田史乃を改めて見出しつつ、母・岡田史乃への思いをつのらせる。本書はおおいなる「母恋」の一書でもある。 かなしみの芯とり出して浮いてこい 『浮いてこい』 この句は岡田史乃の代表句といっても過言ではない。『浮いてこい』は、まず表題からしても口語がところどころ使われている。横浜で笹尾家の長女として何不自由なく育てられた史乃は、自宅まで頻繁に通って求婚をした隆彦の熱意に根負けして結婚したという。それが、「砂のような男」隆彦の情熱が冷めて、酒に酔っては帰らない。最終的に虎の門病院分院で治療をしていた隆彦に当時の周りの人間が動いて離婚届を書かされる。のちに二人は後悔して再婚しようとするが、日にちが満たないため税金対策と思われ婚姻届は受理されない。そんな色々のことがあった。体面的には女一人で私を育てていたため、その悲しみは「芯」となって終生残ってしまったのだ。季語である「浮いてこい」に動詞としての意味ももたせた句となっている。 冗談ぢやないわハンケチまちがへて 『弥勒』 この句は、子どもとして母、岡田史乃の句をパラパラと読んだ時に一番印象に残った句である。口語であるからというのもあるが、内容に、である。父と別れてからもまだまだ母は若かったので恋愛もしていたと思う。よって父ではない男性に焼きもちから怒りの感情を吐き出す母親を垣間見た気がして、複雑な気持ちとなった。恋多きSさんという方とのやり取りの中で生まれた一句であろう。『浮いてこい』に「別々に拾ふタクシー花の雨」があるが、気の強い女性の恋愛風景が見えてくる。 冬晴やできばえのよき雲ひとつ 『ぽつぺん』 なんでもない句であるが、それこそ「できばえ」の良い句である。安東次男に師事(兄弟弟子は高橋睦郎氏)し、『浮いてこい』『弥勒』まではその影響が濃かったが、この『ぽつぺん』には「貂」で勉強会を開いていた川崎展宏氏の影響も垣間見られる。というのもその作句信条に表現が平明であることが挙げられていて、この句など正にそれを受けているからである。平仮名表記が効果を発揮して、のびのびとした冬の空が今読む私たちの上にも広がるようである。 昨日会ひ今日も会ひたし娘のショール 『ピカソの壺』 この句は娘の私が一番驚いた。赤坂から我が家のある朝霞のケア施設に入ってもらってからは「近いんだから毎日来い」と言われ、行くと「帰れ」という不機嫌な日(のちに癌が二箇所に転移)もあった。会いたいのは娘たちの方で、私とは思わなかったからだ。あとで本人にこの句のことを聞くと「麻乃のことよ」と。読むと今でも涙を禁じ得ない。 岡田史乃さんは、生前4冊の句集を上梓された。その句集より一句ずつを紹介してみた。 わたしは出版社勤務の編集者時代に第2句集の『弥勒』の出版をお手伝いしたご縁がある。 岡田史乃さんは、なつかしい方である。 出版社にお見えになってはじめてお会いしたとき、その華やかな存在感に圧倒されたことを覚えている。 (わたしなど吹けば飛ぶようなチンピラ編集者でしたもの。。。) 川崎展宏さんが、岡田史乃さんについてわたしにお話してくださったときに、「岡田史乃にはね、〈鉛筆を短くもちて春の風邪〉といういい句があるんだよ」とおっしゃった。それ以降わたしは、岡田史乃さんにお目にかかると「鉛筆の句」が展宏先生のお顔とともに浮かんできたのだった。 その鉛筆の句も、本書に紹介されている。本書で是非に読んで欲しい。 では、本書より「萩の句」を一句。 両側の萩に触れゆく帽子かな 岡田史乃
by fragie777
| 2024-09-14 18:52
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