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9月8日(日)草露白(くさのつゆしろし) 旧暦8月6日
実石榴。 石榴を食べなくなってもう何年になるだろうか。 小さかった頃に食べて、そんなに美味しくないって思って、あとは数えるほどしか食べていない。 美しい色をしているけれど。 今日は櫂未知子著『食の一句』より。 実ざくろや妻とは別の昔あり 池内友次郎 横浜中華街で見た柘榴の大きさが忘れられない。ペルシャ原産と聞けば、その東洋西洋混交の雰囲気もうなずける。さてこの句、なかなか意味深。妻とは別々に過ごしてきた歳月があり、そこには当然経てきた恋愛もある、という。しかし、女房の側からすれば「夫とは別の昔あり」と詠むことも可能である。(詩歌では「夫」も「つま」と読む)。嫉妬深さからいえば男性の方がはるかに女性を凌いでいるわけで、だからこそ黙っている妻も多いはず。(『友次郎句集』)季語=柘榴(秋) そして、山口昭男著『波多野爽波の百句』より。 もぎてきて置きて石榴の形かな 波多野爽波 『湯吞』昭和五十年。一見、何事もない句である。石榴の木から実を捥いで、テーブルに置いた。その石榴を改めて見ると、石榴の形なのだということになる。これが、俳句なのかと疑ってしまう。例えば「もぎてきて置き無花果の形かな」とする。どうだろうか。今さら無花果の形はこうなのだと念を押されても何の感慨もわかない。それが石榴に変わったとたん、なるほど石榴はこんな形だったのだと新鮮な感情をもってしまう。季語としての石榴の存在が大きく位置づいているのである。石榴というのは、このように句を作ればよいのだと示してくれているのだと思う。 同じ石榴を詠んだ句であるが、これほどまでに詠み方がちがうと、面白い。 今日も夕方に仙川に行ってみた。 軽鴨たちもよく肥えて、のんびりとしている。 10月には、いろいろな水鳥が渡ってくるだろう。 そして、 信じられないっておもうかもしれないけど、わずか仙川沿いを20分ほど自転車をおして歩いただけで、なんと10羽の翡翠に会った。 一度にこんな数に出会ったのははじめて。 今年は異常繁殖をしたのかしらっておもうくらい。 あるく先々に場所をかえることなく翡翠が静かにいたのである。 最初の翡翠がこれ。 枝の檻にとらえられているがごとく。 10羽の翡翠を見たと言ったけど、多分ほかの人は気づかなくても、わたしには気づいちゃうっていうこともある。 (自慢気に言っちゃうけど) たとえばここにも一羽の翡翠がいる。 わかります? このチビ翡翠。 まだ幼い翡翠である。 この写真を見て、上の写真を見返すとどこにいるかわかるでしょ。 10羽の写真全部撮ったけど、それをアップするのはあまりにもねえ。。。 一眼レフだったらもっとクリアに撮れるかもしれないし、翡翠が好きな人ばかりとはかぎらないでしょ。 しかし、翡翠に祝福された一週間になるような気がするなあ。 仕事、頑張るんだ。。。
by fragie777
| 2024-09-08 20:54
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