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9月1日(日) 禾乃登(こくものすなわちみのる) 旧暦7月29日
白芙蓉。 雨に濡れて透き通っていた。 わたしがこの白芙蓉を立ち去ったあとも、二人の男子はじいっと見入っていた。 まるで呪縛されたみたいに。 この白芙蓉の向こうを、南部線が走っている。 結構やかましい。 今日から9月である。 台風は相変わらずノロノロとしておられるようだ。(敬語になっちゃったわ) そして昨日は二百十日。 「このころは気象の変化により暴風雨がやってくることが多い。ちょうど稲の開花期でもあることから、農村では心構えをし厄日とした」と歳時記にある。まさに台風の渦中である。 であるので、今日は田中裕明・森賀まり共著『癒しの一句』より、9月2日付けのもの。 田中裕明さんの鑑賞である。 風少し鳴らして二百十日かな 尾崎紅葉 立春から数えて、ちょうど二百十日。九月の一日二日あたり。このころ季節の変わり目で台風がやってくることが多いとされるが、実際は秋の台風の襲来はもう少し遅い。二百十二十日とあわせて、農家などでは厄日とされている。稲の花の咲くころであるので、この時期に風雨などによって被害を受けることを警戒したのだろう。高浜虚子に「荒れもせで二百十日のお百姓」という句もある。 作者尾崎紅葉は慶応三年(一八六七)江戸生まれ。小説家として『多情多恨』『金色夜叉』などを書いた。俳人としても秋声会を興し、正岡子規らと競い合った。明治三六年。三六歳で亡くなっている。正岡子規が俳句革新をめざしたのに対して、紅葉はどちらかといえば旧派の俳諧を作ったとされるが、掲出句などはけれみがなく、すなおな情緒がある。風の音が少しするくらいの、穏やかな二百十日のかんじが過不足なく描かれている。(二百十日・秋) 高山れおなさんの『尾崎紅葉の百句』で、この明治の俳人はずいぶんと身近になったと思う。 友人たちが買った万願寺唐辛子を見て、(農家さんが庭でいろんな野菜を売っているのだ。わたしは荷物になるのがいやで買うことはまずないという、生活消極派(?)なのだが、友人たちは上手に買っている) 「ねえ、それってどうやって食べるの? 今、家の冷蔵庫にあるんだけど」って聞いたところ、即座に返事が返ってきた。 「焼いて、醤油とかつお節をかけて食べるの。簡単よ」って。 「そりゃ簡単だわ」 やってみようと思ったのだけど、今日は仙川にできた新しい蕎麦屋さんでお蕎麦を食べてしまった。 明日は、やるつもり。 今日一緒に聞いた茄子のレシピの「茄子の蒲焼」もやるつもり。 持つべきものは、酒飲みの友である。
by fragie777
| 2024-09-01 19:30
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