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8月29日(木) 旧暦7月26日
すでに8月も終わろうとしている。 海に行ったことがすでに遠いむかしのことのようだ。 まだ二週間しか経っていないというのに。 首都高速はいつも死ぬような思いでいる。 助手席にすわりながら終始一貫、わたしは身を縮めていた。 その恐怖もすでにうすらぎつつある。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、『鷹羽俳句集成』より。 新涼や素肌といふは花瓶にも 鷹羽狩行 句集『十三星』に収録されている一句である。鑑賞によると、坪内さんは「朝夕にボクは新涼を感じる」と書かれている。きっと気持ちのよい充実した日々でおられるんだと思う。掲句については、「新涼という季語を介して俳人は花瓶の素肌を発見した」と。あらためて、鷹羽狩行という俳人の瑞々しい感性にであったような思いのする一句だ。 今日のわたしはといえば、「新涼」を感じるどころじゃなかった。 ちょっとショックなことが仕事上であって。 頭をかかえてしまった。 関わる人すべてが気の毒におもえてくる。 ここでつまびらかにすることはできないのだけど、 う~~む。 どうすべきか。 しかし、 悩んでばかりいられないので、 仕事をする。 仕事をすることで気持ちはすくわれるってこともある。 もともと、図太い人間なので。 今日もまた、弟からもらった美味しい秋田の「稲庭うどん」でも食べるか。 食べて落ち着こう。 いま、もっぱらこの「稲庭うどん」に凝っている。 (と、結局食べ物に帰着してしまうのか) 俳人の江里昭彦さんよりエッセイ集『俳句を橇にして』をいただいた。 江里さんとはほぼ同世代なので、時代の風景をともにしている所為か共感する部分が多く、面白く拝読している。 そのなかでイタリアのルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『家族の肖像』についてのエッセイ「家族ならざる者たちの肖像」がおもしろく、 『家族の肖像』をもう一度みたくなり、U-NEXTで見始めた。何度かみている映画であるけれど、 登場人物たちのいけすかない横暴な態度がはなっから気になった。あれ、こんなに無礼な奴らばっかりだったけ。 多分日本人的な感性でみるとそうで、イタリア貴族社会では当たり前のやりとりなのかもしれない。そうかあ? それにしても、なんだ、これは、などと思ったり、美青年であるはずのヘルムート・バーガーの美しさがいつもわたしにはなじめず、ヴィスコンティの恋人でもある俳優で、エロティックではあるのだけれど、いまいちかなあ、なんて、そんなこんなを思いながらそれでも細部が興味ふかく、目が離せない。 教授が住んでいる部屋の素晴らしさ、ローマという都市の建築物の巨大さ、あらゆるものが質感と重さをうしないつつある現代とは対照的な世界があり、それを見ているだけでもたのしい。 この秋の夜長は、ヴィスコンティやフェリーニ、ベルトリッチなどの映画を見直そうかって思っている。 秋の海。
by fragie777
| 2024-08-29 19:04
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