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8月26日(月) 旧暦7月23日
今朝の空。 (台風くるのか……)って思いながら、見上げた。 伊藤一彦著『若山牧水の百首(わかやまぼくすいのひゃくしゅ)』が出来上がってくる。 若山牧水といえば、いくつかの歌が口をついてでてくるほどよく知られた歌人である。この牧水の百首の執筆は、若山牧水記念文学館長であり、牧水についての著者もある伊藤一彦氏が取り組んでくださった。牧水の歌は読んで、キイワードを三つあげるとしたら、「旅」「酒」「さびしさ」かなとわたしは思った。百首を読み進んでいくと「さびしい」という言葉にぶつかることが多い。そして、旅ばかりしている。歌碑もいろんなところに残っており、(まあ、ここにも来ているのか)って思うことも多い。本書の特徴は、伊藤一彦氏の「解説」によれば、 読者にぜひ読んでいただきたい作ということはもちろんであり、有名な歌は洩らさなかった。一方、これまで誰も言及し鑑賞したことのない歌も数多く入れた。私も牧水の歌の鑑賞を何回か執筆している。しかし、初めて取りあげた作もある。今回の執筆で牧水世界をあらためて知った思いがして楽しかった。 とある。まずは、いくつかの歌と鑑賞を紹介したい。 まず有名句から。 白鳥(しらとり)は哀(かな)しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 愛誦歌のアンケートがあると、つねにトップの地位を占める有名歌である。「白鳥」は鷗だろうか、スワンだろうか。一羽なのか、数羽なのか。空を飛んでいるのか、海に浮かんでいるのか。青海原をイメージしたらいいのか、海岸近くを思い描いたらいいのか。すべては読者の想像にまかされているのが魅力である。二句と四句で切れる五七調のゆったりした調べがその魅力を支える。ポイントは結句の「染まずただよふ」。周りのどんな色にも染まらず自らを貫く純粋さ。この結句まで読めば、第二句の「哀しからずや」が感傷などでないことは明らかだ。 牧水の歌を鑑賞する手引きとなるような鑑賞である。 伊藤氏は、鑑賞するにあたって、次のように書いている。 鑑賞文の執筆にあたっては、歌の言葉、文体、韻律などに触れると同時に、歌の背景となっている牧水の折々の境遇にも多少の説明を加えた。本書には牧水の年譜を付けていないので参考になれば幸である。 もう一首、有名な歌より。 白玉(しらたま)の歯はにしみとほる秋(あき)の夜(よ)の酒(さけ)はしづかに飲(の)むべかりけれ 前の歌と同じく、明治四十三年秋に信濃を旅したときの作。「信濃国浅間山の麓に遊べり、歌九十六首」の詞書がある。東京では苦悩からしばしば自虐的な酒を飲んでいたが、旅先でのこの酒の歌は対照的と言えるほど心が澄んでいる。句切れのない調べにうるおいがある。酒の一滴(ひとしずく)を「白玉」にたとえ、その酒が「歯にしみとほる」とは魂にしみとおっているのだ。一首のなかの三つの「し」音が印象的で、上の句は清音だけの透明感、下の句はあえて「づ」「べ」の濁音を交えて全体を軽々としたものにしていない。牧水が計算して作歌したとは思えない。酒を口に含みつつおのずから溢れた歌か。 さうだ、あんまり自分(じぶん)のことばかり考(かんが)へてゐた、四辺(あたり)は洞(ほらあな)のやうに暗(くら)い 口語の歌である。実感に即した表現をめざしたときにこのような口語の破調歌、いやもう自由律と言うべきだろうか。破調の歌として、作者の読点にしたがって読めば、「さうだ、あんまり/自分のことばかり/考へてゐた、/四辺は洞の/やうに暗い」の七、九、七、九、六音か。内容はこれまでの自分の生活が故郷の両親のことをなおざりにしてきたことについての忸怩たる思いであり、身のまわりの洞(ほらあな)の暗さを当然として自己批判している歌と読める。篠弘は「むきだしの告白ぶりは、まぎれもなく自然主義文学」と評した(『自然主義と近代短歌』)。 妻が好む花のとりどりいづれみなさびしからぬなきりんだうの花 牧水は古典和歌の歌人のなかで西行を最も愛していた。大正六年に『わが愛誦歌』という古典和歌のアンソロジーを編んでいるが、飛びぬけて西行の収録歌が多い。旅を重ねた点でも西行と共通である。ただ、西行が一人身であったのに対し、牧水には妻と子があった。旅をするにしても、牧水は妻子のことを考慮しなければならなかったのである。この一首は秩父の旅に来ていて、竜胆の花を見つけ妻を想ったという歌。「さびしからぬなき」の二重否定が心に残る表現である。喜志子に「摘みためて何するとにはなかりけり落葉がくれのりんだうの花」(『筑摩野』)の作がある。 本書の特長として、歌集未収録で最近発見された歌が一首、写真と共に収録されていることである。 この短歌がいい歌なのである。 この一首に出会うためにも本書を読むことをおすすめしたい。 本書のサブタイルは「自然に漂う未来の人」。 牧水は過去の歌人ではなく、未来の歌人であるというのか。 それは、これまで牧水について語られた大岡信の言葉からくる。 そして伊藤一彦氏は、「この(大岡信の)言葉を読みながら、さらに牧水の歌を読んでいきたいと思う。」と語る。 自他の区別ばっかりしたがる今の人とは違って、牧水のように胸を開いて、自然界を自分の中へ入れてしまって、その自然界に皆さん触ってごらんなさいといって見せてくれる、そういう歌人が今はいなくなっちゃった。これは時代の影響です。非常に大きな時代の影響。そういう意味では、牧水は過去の人に見えますけれど、実は未来の人なんです。 「実は未来の人なんです」。 すごくいい言葉だ。 うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花 若山牧水 新聞記事を紹介したい。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、阪西敦子句集『金魚』より。 金魚揺れべつの金魚の現れし 坂西敦子 長谷川櫂さんは、ガラスの鉢の金魚玉の世界のこととして美しい鑑賞をされている。鑑賞をとおして、金魚の住む夢の世界に招かれたようだ。 おなじく讀賣新聞の「枝折」は、岩田奎著『田中裕明の百句』を紹介している。 現代俳句のニューウェーブとして活躍した田中裕明(1959~2004年)の100句を収める。みずみずしい感性で世界の本質を追究した句が並ぶ。〈みづうみのみなとのなつのみじかけれ〉 お客さまがひとり見えられた。 俳誌「水明」副主宰の網野月を氏である。 来年「水明」は、創刊95周年を迎えられる。 それを記念する一環として、「長谷川かな女の百句」の上梓を考えておられる。 そのご相談におみえになられたのだ。 長谷川かな女(1887~1968)は、長谷川零余子を夫に、高浜虚子に師事、「ホトトギス」に投句。婦人俳句会を設け女性の俳句の先駆者的存在となる。零余子の「枯野」創刊とともに参加、零余子死後、「枯野」廃刊となり、昭和5年(1930)に「水明」を創刊主宰をした。 「長谷川かな女の百句」は、鑑賞を山本鬼乃介(きのすけ)主宰が、解説を網野月を副主宰が執筆予定。『長谷川かな女全句集』に未収録の俳句も加えての鑑賞となる予定である。 来年の9月28日のお祝いの記念会にまにわせるべくいろいとご相談をされたのだった。 網野月を氏。 網野月を氏は、玉川大学で教えておらえる。 うかがえば、ふらんす堂から詩集『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』を上梓された詩人の髙柳誠氏とは同僚でいらっしゃるとのこと。 現代俳句協会の常務理事もされていてほんとうにご多忙なご様子だった。 蝶のやうに畳に居れば夕顔咲く 長谷川かな女 「長谷川かな女」がこの百句シリーズに加わることはとてもうれしい。
by fragie777
| 2024-08-26 20:25
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