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8月9日(金) 長崎原爆忌 旧暦7月6日
女郎花(おみなえし) 秋である。 明日からふらんす堂は15日までおやすみである。 スタッフが帰り支度をはじめた。 「地震こわいね。気をつけよう」 「じゃ、よい休日を!」などと言いながら、みな帰っていく。 わたしはこれからブログを書く。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 390頁 歌人・吉川宏志(よしかわ・ひろし)さんの第10歌集である。2023年の一年間、ふらんす堂のホームページの「短歌日記」に連載していただいたものを1冊にまとめたもの。「歌と一緒に短い文章も載せるようにした(他者の作品から引用している日もある)。私にとっては初めての試みであり、歌と文章が即つかず離れずになるように意識したけれども、成否は読者の方々に判断していただくほかにない。」と「あとがき」に記されているが、連載当初から、短歌と散文のとの間がつきすぎておらず、たがいにそれとなく響き合いながらも、それぞれが読ませるものにしてくださっていたように思う。 以下は編集担当者としてのPさんの言葉である。 「短歌日記の連載をご依頼したときに、 すでに「叡電のほとり」という連載タイトルをおつけくださいました。 吉川先生は叡電のほとりで家族とうさぎと暮らしています。 装丁ではぜひウサギを使いたいなと思っていました。 最初はビビットなカバーの色を提案しましたが、 吉川先生から「叡電の車体の色を連想させる緑を」というご要望をいただきました。 また、各月の扉に叡電の路線図を配置するのも吉川先生の案です。」 吉川さんにお願いして、「叡電」の写真を送っていただいた。 「叡山電車は、比叡山や鞍馬に向かう小さな電車である。私の家は、一乗寺駅と修学院駅の中間にあり、週に数回は必ず乗っている。踏切のカンカンと鳴る音や鉄路の響きも、窓から入ってくる。少しうるさいけれども、ここに三十年近く暮らしているので、私の生の一部になっている感じがする。」と「あとがき」に書かれている。 なんともエレガントな電車である。本歌集のなかにも「修学院」という駅名がたびたび登場する。 そして登場するのが、「うさぎ」である。もう10歳以上で兎としては老人になるらしい。 ということで、カバーには兎が銀箔で押されている。 あけがたの眠りのなかに遠くより音ひきずりて電車は来たる 帯にすられた一首。 まずは、Pさんがすきな短歌と文章を三つ紹介したい。 一月九日㈪ 積もりたる紅葉のずれてゆく坂を曼殊院までのぼりきたりぬ 山道を歩くと、去年の落ち葉がたくさん溜まっている。自然は連続しているのだが、人間が「去年/今年」のような言葉を用いて、区切りを作っているにすぎない。時間は言葉で、ことばはじかん。 二月九日㈭ 途中まで読みたる本に一か月ぶりの心をつながむとする 年に一度くらい、アガサ・クリスティがむしょうに読みたくなる。最近は『ホロー荘の殺人』を読んだ。芸術家は悲しみの最中でも作品にすることを考えてしまい、真に悲しむことができない、と吐露するシーンがラストにあり、印象深い。 これはyamaokaもよくわかる。アガサ・クリスティって、何度も読みたくなる本なのだ。いま古本を処理すべく整理したのだが、なんとアガサ・クリスティの文庫本が2冊ずつ揃って出て来た。呆れてしまった。3冊のヤツもあった。ヤレヤレである。 八月十九日㈯ ふとぶとと八月の陽の射す道に枯れたるのちも草は茂りぬ ナズナやカラスムギやヒメジョオンなど、春にやわらかくそよいでいた草が、灰色や褐色になって立っているのをよく見かける。近くでは夏草の葉が勢いよく伸びているので、さらにわびしく感じられる。そんな茎に、しじみ蝶や蜻蛉が止まって、翅を休めていたりする。疲れたような光の中から秋が生まれてくる。 8月の叢の景であるが、「疲れたような光の中から秋が生まれてくる。」という言葉にたちどまる。 本歌集を読んでいると、吉川宏志という人の豊かな振幅におどろく。 日々の景色のうつろいを詠み、生活者としてのありようを詠み、家族を詠み、世界の出来事を悲しみ怒りつつ詠み、出会った人々を詠む。 詠まれた事象のさきに、吉川宏志という人間の細胞ひとつひとつに宿っている豊かな思い出や知識や経験がみえてくる。そして、その短歌の背後にあるものが、添えられた短文を通してみえてくる。その血肉となっている経験(ここでは文学や音楽の経験もふくめたあらゆる経験)が散文の魅力にもなっているのだ。 戦争についての短歌をよみながら、戦いの世を生きた西行に思いを馳せる。 その振幅の揺れが豊かだとわたしは思ったのだ。(うまく言い得たかなあ。) 好きな箇所はたくさんあったが、いくつか紹介したい。 三月十九日㈰ 風強き夕べとなりぬ冬がまだ見ている夢のように水仙 若い頃はラッパスイセンしか知らず、先輩の歌人の岩切久美子さんに、「本当の水仙はもっと品がええんよ」とたしなめられた。「水雪に濡るる木屋町午後三時水仙の荷が解かれていたる」(岩切久美子『そらみみ』)。この歌が、歌会に出されたときだったかもしれない。確かに、白く清冽な花である。ラッパスイセンがかわいそうではあるが。 五月十五日㈪ 暮れ方は睡蓮の葉の切れ間より白鯉の背のおりおりのぞく 今日は妹の誕生日。私が結婚しようとしたとき、母はかなり反対した。二十四歳でまだ早かったし、故郷で結婚することを望んでいたらしい。すると妹が「お兄ちゃんこの機会を逃したら、一生結婚できないかもしれない」と言って説得したのだそうで ある。ありがたいような、ちょっと憮然とするような話を、後になって聞いた。 十二月二十三日㈯ 俺が書いて何になるガザの死を 消せば埃の吸いつくテレビ 「戦争がはじまると、歌人は勇奮感激して歌を作り、また放送局でも雑誌でも新聞でも競うて戦争の歌を徴求し(中略)いきほひ、一つの材料だけの歌に始終し、単調にならざることを得ぬ運命になつた。」(『童馬山房夜話』)と斎藤茂吉は書いている。今もその本質は変わっていない。しかし、歌わないことも、何かを喪失することになる気がするのだ。 いまブログを書いていたら、すごい音の地震警報がiPhoneで鳴って、そのあと地震がきた。 わたしは机の下のヘルメットを取り出してかぶったところ。神奈川震度5 東京は? さあ、ブログをつづけよう。ちと、コワイ。。 この本の最後の日に私は、「世界中で起きているさまざまな波乱は、いつここに押し寄せてくるのか分からない。」と書いている。その翌日の一月一日に、能登半島の大地震が起きて、非常に驚かされた。「いつここに押し寄せてくるのか分からない」などと悟ったようなことを書きつつ、実際に起きたらショックを受け、混乱してしまうのが、私という人間なのだろう。 不安を抱えつつ、それでも日々の小さな思いを短歌として表現してゆく。はかない営為だが、平凡な暮らしや情景をリアルに描くことにも意味があるはずだと信じたい。 「あとがき」の言葉である。 わたしもこれからやってくるかもしれない地震にちょっと怯えながら書いているが、吉川宏志さんが取り組んでくださった2023年は2023年の短歌日記として作品化されたものととして残っていくだろう。 真率に日々を生きた歌人の短歌と文章として。 本歌集の装釘は和兎さん。 カバーをとった表紙。 表紙にもうさぎ。 扉。 吉川さんご提案の各章の見出し。 叡電の駅がローマ字で記されている。 三六五日、短歌と短文を書いていくのは、想像以上に苦しみが多く、何度も言葉が涸(か)れたような状態に陥った。それでも無事に完走できたのは、体調を崩さずに、粘って書くことができる健康を維持できたからだと思う。支えてくれた妻に感謝したい。 夫人は、歌人の前田康子さんである。 「短歌日記」にときどき登場されるがすてきな方である。 本歌集の担当はスタッフのPさんであるが、Pさんは、吉川宏志という歌人を尊敬している。それは、吉川さんの表現者としての世界に向き合う姿勢によるものだと、わたしは思っている。この「短歌日記」を読めば、そのことはおのずとわかってくるのではないだろうか。 短歌と散文がよき緊張関係でひびきあっている優れた「短歌日記」であると思う。 ここでは、わたしの好きな短歌を一首のみ紹介したい。三月二十六日付のもの。 朝はまだ寒き厨(くりや)に苺切りいちごのなかの白をひらきぬ 吉川宏志 地震はいまんとこ大丈夫そうだ。 帰るか。。。。。 ヘルメット、被ったまま帰る? ちょっとそれはね。
by fragie777
| 2024-08-09 20:24
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